第一章 5-1


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「まさかとは思うけど……またなんてことはないよね」


 砂竜サンドワームと遭遇してからはや四日、二人の足跡そくせきはようやく荒野の終わりに差し掛かろうとしていた。両国の緩衝地帯であるシュンプ平野を越えれば、いよいよその先はシュウシンカン帝国領である。


 彼女にとってはこれが二度目の入国となる。もっとも、以前とは目的も手段もまるで異なっており、感慨が湧いてくる暇などなかったのだが、それにも増して胸に去来していたのは、かつて帝国で出会ったる人物のことであった。


 今からおよそ一年前、彼女は国使の任を受けた母に付き従い、帝都カンヨウへの旅路に就いていた。そのときは王国が手配した特製の馬車で移動したため、帝国領までは三日ほどで着くことが出来た。


 生憎と眺望よりも防備を重視した造りであり、外の景色を楽しむことは叶わなかったが、帝国領に入ったことだけはすぐに分かった。それは荒野の終わりに迎えの使者が来ていたからである。


 しかし、返礼のために馬車を降りた一行は驚愕することとなる。素人目にも明らかな練度を誇る大隊規模の軍列……りとて、それすらも遠く霞むほどの存在感を放っていたのは、皇帝の末娘サナリエル皇女であった。


 皇女が使者に赴くなど公設の使節団は勿論、たとえ国王が相手でも考えられぬことである。しかし、皇女は王国側の動揺を意には介さず、案内役として帝都まで随伴することを申し出てきた。


 そして、更に耳を疑ったのは、彼女に御料車ごりょうしゃへの同乗を求めてきたことである。何から何まで異例づくしの展開であったが、帝国の使者……してや皇女の要請を固辞できるはずもなく、彼女は壮麗な意匠が施された車両に足を踏み入れた。


 御料車の中も外部と同様に豪華な装飾がされていたが、それほど大きな造りではないため、座席は一列分しか見受けられない。つまりは座れる場所は皇女の傍しかなく、彼女は恐る恐る隣へと腰掛けた。


 そんな様子に皇女は満足そうに頷くと、御者ぎょしゃに指示を出して御料車を走らせた。王国の用意した馬車とは異なり、両側の壁には小さな窓が付いており、流れゆく風景が映し出されている。


 一瞬、不用心にも感じられたが、く思い返してみると、乗り込む際には窓を見掛けなかった。どうやら内側からは窓として機能するが、外側からは壁としか認識されないらしい。おそらくは『四鏡今鏡マジカル・ミラー』の魔法が施されているのであろう。


 しかし、なぜ自分に同乗を求めてきたのか。人質という線も考えられなくはないが、むしろこの状況では危惧すべきは帝国側である。


 そうして思案に暮れていた彼女であったが、やがて隣席から射抜くような視線を感じ、慌ててこうべを垂れて非礼を詫びた。


 いと貴き御方の前で物思いにふけるなど無作法にもほどがある。しかし、皇女はその謝罪を途中で制すと、少し頬を膨らませるようにして嘆声たんせいを漏らした。


斯様かように恐縮されては息が詰まるというもの。折角せっかく、そなたと話がしたくてここまで赴いたのじゃ。もっと楽にいたせ」


 皇女の話によると、迎えの使者は本人たっての希望であり、宮中でも反対する声が多数を占めたそうだ。しかし、最後には押し切る形で皇帝の裁可さいかを受け、文官たちも承知せざるを得なかったという。


 皇女とはこれが初対面のはずである。いったい何が皇女を埒外らちがいな行為に及ばせたのか。疑念は果てなく尽きないが、好意的な佇まいに過度の恐縮はかえって礼を欠くと考え、しばしの歓談と相成るのであった。

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