第一章 4-2


砂竜サンドワーム……実在していたのね」


 ワームとは古の英雄譚で語られる邪悪な魔物、ドラゴンの亜種である。外見は蛇のように細長い姿をしているとされ、中でも砂地に生息するものは砂竜サンドワームと呼ばれていた。


 この地方の伝承によれば、シュンプ平野のぬしでもあるという。普段は地中に潜んで姿を見せないが、時折地表に現れては荒野に棲む魔物や動物を捕食するそうだ。


 なお、魔物と動物の明確な線引きは難しいが、一般的に魔物とはマイナの影響を受けて変異した動物の個体、或いは種とされ、上位種ともなると魔法を行使するものまで存在する。


 しかし、今日こんにちではドラゴン自体が実在性を疑われており、必然的にワームもまた懐疑的に見る向きが多かった。言い伝えでは約二十年毎に活発化するらしく、ちょうど現在がその時期であった。


 数日前には荒野を往来する商隊がそれらしき姿も目撃しており、体高は大型馬車を遥かに上回り、体長に至っては地上に露出しきっていないにも関わらず、ゆうに十台分はあったそうだ。


 そのときは隊列を無視するように離れていったが、間近に迫ってきたら実に壮観な光景だろう。叶うことならば一度直に観てみたい……というのが、彼女のらした感想である。


 そして望みどおり、眼前には噂に違わぬ巨体が鎮座していた。やはり戯曲で語られる龍というよりは、全体的に蛇のような丸みを帯びた体躯たいくをしている。


 しかし、細長いといってもあくまで相対的なものだ。その胴体は大人が数人がかりでようやく手を回せるほどに太く、まるで巨木の幹がり倒されても尚、自然に抗いながら成長を続けたかのようであった。


 体表は黄土色を基調とした鱗で覆われており、先端にあたる部分には岩のような外骨格が発達、中央の二つの窪みからは野性味に溢れた赤い瞳が覗いている。また、下部の口と思しき隙間からは、二股の舌が小型の蛇のように出入りしていた。


 それはあたかも目の前の人間を捕食しようと値踏みするかのようであったが、彼女がここまで冷静に状況を観察できたことには理由があった。


 その威容を誇示するように鎌首を持ち上げた巨体が、まるで愛嬌でも振りまこうとしているのか、ミストリアが伸ばした手に頬を擦り寄せていた。


 周囲では商隊が遠巻きにこちらの様子を窺っている。果たして、彼らの目にはこの光景がどう映っているのだろう。大規模な隊列すら凌駕する巨大な魔物が、一人の華奢きゃしゃな少女に手懐けられているのだ。


 この事態について考えられるものとして『魅了チャーム』系統の魔法がある。それは人や魔物などを対象とし、一時的に虜にして命令を強制させることが可能となる。


 ミストリアはおよそ全ての魔法を高位領域で修めており、伝説的な魔物を以ってしても抵抗することは出来ないだろう。


 しかしながら、ミストリアは魔法を行使してはいなかった。つまりは、本当に砂竜サンドワームを手懐けていたのである。


 今から百年ほど前、当代の天人てんじん地姫ちぎ御幸ごこうにおいて荒野で暴れまわる個体を討伐した。そのときは往来する商隊や乗合馬車に甚大な被害が生じており、救世済民きゅうせいさいみんのためにやむを得ない措置であった。


 ところが、砂竜サンドワームは恐るべき魔物であると同時に、荒野の食物連鎖の頂点として周辺環境の調和を保つ役割をも担っていた。


 種としての生存本能がなせるわざか、死の間際に巨大な卵を生んだため、それを孵化させた後、人を襲わないように念入りにしつけながら育て上げた。


 以来、御幸に合わせて砂竜サンドワームが見送りに現れるようになったという。約二十年毎に活動を活発化させる原因はそれだったのだ。


 しかし、同じ天人地姫であるとはいえ、何代にも渡ってこうも懐いている様子を見せるのは、やはり本能的に何かを感じ取っているからなのだろうか。


 それにしても、これではあまりにも目立ち過ぎる。この光景を観た者の口には立てられず、その噂はすぐに帝国にまで知れ渡り、天人地姫の来訪を告げることとなるだろう。


 もっとも、敢えてその姿を目に焼き付けさせることで、天人地姫の御使いとして荒野を往来する者に安心感を与え、また討伐の動きを防止する狙いもあるのかも知れない。


 それにキノ家に動向を捕捉されていたくらいである。大陸の覇者たる帝国を誤魔化せるはずもない。案外、もううに存在を認識されており、荒野の先では歓迎の催しが準備されているのかも知れない。


 その整然とした光景を想像し、思わず身震いをする彼女であったが、視線を戻した先でミストリアが砂竜をでている姿に目を奪われてしまった。


 それは神々しいと表現すべきなのか、それとも禍々しいとすべきなのか。観察者によって評価が分かれるところだろうが、彼女にとっては間違いなく前者であり、やがて意を決したように近付いていった。


「……無理しなくて良いわよ」


 彼女の姿を認めてミストリアが警告する。砂竜は天人地姫には懐いているが、一緒にいたはずの当主はその限りではないのだろう。


 その獰猛な姿からは全身が総毛立つような畏怖を覚える。幾らみだりに人を襲わないとはいえ、決して安易に近寄ることが許された訳ではない。


 しかし、彼女はミストリアの隣に並び立つと、恐る恐る手を伸ばして頬にあたる部分へと触れた。一瞬、巨体が跳ねるように大きく脈打ったが、やがて嬉しそうに目を細めて舌を出してくる。


 ミストリアの口から溜め息が漏れた。何がそのような蛮勇に駆り立てたのか、それは彼女自身にもよく分からなかった。


 ただ、敢えて言及するのであれば、それは自らの手では決して届かない何かに向けて、それでも尚、藻掻き続けることを諦めたくはないという、そんな心情の現れであったのだと思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る