Weather －姉 のち 姫 時々 神－

第一章 １－３

「良かった、まだ居てくれたみたい」

　先の発見から暫（しば）しの時を経て、漸（ようや）く彼女は商隊の荷馬車を視認することが出来た。街道沿いの木陰では二頭立ての車群が列を成し、気持ち良さそうに涼んでいる。

　二人は荷馬車に近寄ると、御者台（ぎょしゃだい）に寝そべっていた若い男に声を掛けた。始めは訝（いぶか）しむ表情を浮かべていた男であったが、ミストリアが食糧品を購入したい旨を持ちかけると、気怠げにしながら奥の車両へと案内してくれた。

　そこには野菜や穀物に加え、保存食や香辛料などが山となって積まれていた。ミストリアはその中からいくつか選ぶと、外衣（ローブ）の袂（たもと）から対価として従銀貨（じゅぎんか）数枚を差し出した。

　男はそれを受け取ると、改めて二人を舐めるように見回し、他にも何か入り用はないかと訊ねてきた。

　その視線に微かな嫌悪感を抱く彼女であったが、背に腹は変えられず外衣（ローブ）の前留めを外すと、帯革（おびかわ）に備え付けた腰鞄（こしかばん）の中身を探る。

　手鏡、飾り櫛、艶紅（つやべに）、香水、絹布（けんぷ）、羊皮紙（ようひし）、毛筆などの小物が仕舞われていた。これもまた役に立つものではあるが、旅を続けていくにはあまりにも心許ない。

　そもそも替えの衣装や下着すらない悲惨な状況であるのだが、その点に関しては既に懸念は払拭されていた。

　本来は長旅に備え、もっと大きな肩掛け鞄に生活用品をまとめていた。しかし、出立が意図せず急であったため、路銀ともども自室に置いてきてしまったのだ。

　彼女が母親に贈られた資金は正金貨（しょうきんか）で百枚にも上り、それは平民の生涯年収を上回るものであった。幾ら何でも極端過ぎると思われたが、何の因果か今となっては無一文である。

　幸いにしてミストリアには持ち合わせがあったため、贅沢をしなければ特に支障はなさそうだ。いや、彼女の肩身がますます狭くなったことを除けばだが。

　なお、ミストリアもまた外見上は軽装であり、枯飯や金銭も外衣（ローブ）の袂（たもと）に潜ませている。しかし、大抵のことは魔法でどうにかなるため、特に不便は感じていないようだ。

　屋敷で生活していたときは、そのだらしのない生活習慣に辟易していた彼女であったが、むしろ今ではこの上なく頼もしく感じられていた。

　ひょっとすると、全てはこの旅の予行演習だったのかも知れない。寝台に脱ぎ散らかされた衣装や薄く埃の積もった収納棚にも、きっと意味があったのだろう。

　彼女は悩み抜いた末、金属製の丸鍋と洋杯（コップ）二つを所望した。男が眠そうな目を擦りながら他の荷馬車へと探しに向かう。

　その間に、彼女は拝むようにしてミストリアから金銭を受け取ると、暫（しばら）くして戻ってきた男に手渡した。

　注文した品々は収納性を重視した造りとなっており、三つを重ねて一つの革袋に収め、帯革（おびかわ）に付けられるようになっていた。どうやらあの一瞬で彼女の服装を熟知したらしく、流石（さすが）は商人らしく機転が利くようである。

「で、あんたらはそのまま歩いてくのかい」

　目的の品を手に入れて旅を再開しようとした二人に対し、男は先ほどまでの億劫そうな姿勢を引っ込め、些か真剣みを帯びた表情で問い掛けてきた。

　ここはキノ家の領内であるが、暫（しばら）くは広大な平原が続くばかりであり、領都「ヘグリ」まではまだ数日を要することだろう。

　これまでは王都の近郊であったことから、街道沿いには駅家（えきか）とともに宿場町が発達しており、食事や寝床に苦労することはなかった。

　しかし、この先は僅かに農村や民家が点在する程度である。女人が二人、それも碌（ろく）な旅支度もしておらず、遙か先の領都まで徒歩で向かおうというのだから、違和感を覚えない方が無理な話であった。

　返答に詰まる彼女に向けて、男は商隊の目的地が領都であることを告げると、荷馬車に便乗しないかと提案してきた。無論、彼らは商人であるため、それに見合った対価が必要となる。

　しかし、二人は丁重に固辞してその場を後にした。男の言動からは特に邪（よこしま）さは感じられなかったが、御幸（ごこう）の矜持としてそれを受ける訳にはいかないのだ。

　出発こそ先であった二人だが、すぐに休憩を終えた男たちの隊列に追い抜かれた。街道の先からは僅かに手を上げる男の姿が見える。彼女が手を振り返すと、隊列は見る見るうちに小さくなり、やがて地平線の彼方へと消えていった。