Weather －姉 のち 姫 時々 神－

第一章 １－２

「でも、あの魔法があれば食べ物には困らずに済むわね」

　渡された枯飯（かれいい）を全て平らげ、少し膨れた下腹部を衣越しに擦（さす）りながら、彼女は率直な感想を呟いた。

　彼女が身に纏っているのは、いつぞやの神官衣を彷彿とさせる純白の外衣（ローブ）である。一方、隣を歩くミストリアもまた漆黒の外衣（ローブ）を羽織っている。

　二人の外見は対照的だが、共に特殊な仕立てにより艶消（えんしょう）の認識阻害の魔法が込められており、道中では衆目を集めずに済んでいた。

「ふぅん、やっぱり口に合わなかったかしら」

　ミストリアの不機嫌さを帯びた声色に、彼女は慌てて首を振って弁解する。枯飯（かれいい）は今回に備えてミストリアが自身の手で拵（こしら）えたものであった。

　ミストリアによると、鄒衍降霜（コール・オブ・マーン）は大気中の火、土、そして水属性のマイナを大量に用いるため、魔力の消耗が激し過ぎて近接地点での連続行使は困難なのだという。

　マイナとは魔法の源であり、最新の魔法基礎理論では世界中に普（あまね）く存在する目に見えない微小の物質であるとされている。

　マイナには火、水、風、土の四つの属性、更には活性と非活性の状態があり、活性状態のマイナから放出される力を魔力、それを利用したものが魔法と呼ばれていた。

　なお、四属性のマイナは均一に分布している訳ではなく、周辺環境によって偏りがあることが知られており、例えば先の演習地のような乾燥地帯では水属性のマイナが少なく、逆に河川や湖沼などでは多くなるという傾向にあった。

　また、燃え盛る炎の傍では火属性が、風が強い日には風属性のマイナが増加するなど、局所的な要因や気候変動などの影響も受けるようである。

　魔力を放出したマイナは非活性の状態となり、一定時間が経過することで再び活性化するものと考えられている。

　理論上はマイナが活性状態にある限り、魔法を無限に行使できるのだが、実際にはその活性状態を調整し、放出される魔力の出力を制御する必要があった。

　この操作にあたっては、マイナに術者自身の魔力を注ぐ必要があり、これをプラナと呼んでいる。プラナの総量には個人差があり、一般的に優れた魔術師ほど多く有するとされていた。

　なお、魔法研究者の中には人もまたマイナの集合体であり、マイナとプラナの間には本質的な違いはないと唱える者もいるが、主流な学派からは異端視されている。

　効率的に魔法を運用するためには、マイナの活性状態を調整する技術の他に術者との親和性……つまりは相性が重要であり、これにより自然と各属性に対する得手（えて）、不得手（ふえて）が決まってくる。

　ミストリアは四属性全てに対して高い親和性を持ち、極限にまで洗練された技術とも相まって、魔法の行使におけるプラナの消費は限りなく零に等しいのだという。

　また、各属性ともに現世（げんせい）の魔術師を遥かに凌駕しているが、特に水属性が突出して際立っており、先の鄒衍降霜（コール・オブ・マーン）を始めとした、魔術書にはない数々の秘術を有していた。

　なお、彼女の場合は四属性全てに対して著しく親和性が低い……いや、正確を期（き）せば『無』と断じられており、然（さ）しものミストリアからも匙を投げられてしまう有り様である。

「でも、枯飯（かれいい）だけでは栄養が不足するから、あそこにいる商隊と交渉しましょうか」

　ミストリアは枯飯の残りを外衣（ローブ）の袂（たもと）に仕舞うと、華奢な腕を前方に掲げて街道を指差した。彼女もつられるようにその先を眺めるが、人はおろか荷馬車の姿も確認することは出来ない。

　しかし、確かに地平線の彼方では、隊列を組んだ商人の荷馬車が木陰（こかげ）で馬を休ませていた。ミストリアにはそれが視えているのだ。

『四鏡水鏡（ミラー・ロード）』

　遥か遠方を望むことを可能とする水属性の防性魔法である。長細い円筒の中に屈曲した透明な硝子（しょうし）を重ね合わせ、遠見（とおみ）を可能とする道具が存在するが、その原理を魔法に応用したものである。

　道具よりも優れている点は、それが一方向からの視界しか望めないのに対し、この魔法は空気中の水分濃度を変化させ、途上に複数の鏡を創り出すことにより、任意の角度から観測できる点にあった。

　なお、彼女には秘密にされていたが、ミストリアは王都にいたときから日常的に魔法で周囲の人間を観察……もとい、監視していた。

　天人地姫は王国のみならず、大陸中から崇（あが）められる存在であるが、同時に帝国を始めとして疎む者もまた多く、身辺は常に危険に晒されていた。

　ミストリアだけであれば、件（くだん）の障壁によって防ぐことは容易であるが、その魔の手がホーリーデイ家にまで及ぶことを危惧し、時には先んじて火の粉を振り払うこともあったのである。