序章 5-1


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「本日の良き日を迎えられましたことを、王国を代表してお慶び申し上げます」


 悠久の時を経て地表へと吹き出した冷泉れいせんのように、純度の高い透き通った美声が祝言を述べる。そのも言われぬ神秘性を宿した貴人に、参列者はしばし心を奪われた後、万雷ばんらいの拍手でそれに応えた。


 ウィンダニア=ジン=ハナラカシア……現国王ヒコイツセの唯一の実子にして、王位継承権第一位の王女である。


 触れれば手折たおれてしまいそうなほどに細くしなやかな腰には、檳榔子黒びんろうじぐろの髪が桃源郷のように流れ落ちており、全てを受け入れる包容力と底知れぬ重厚さを漂わせていた。


 ――今日、彼女は十八となり、晴れて成人の仲間入りを果たす。


 屋敷で催された祝宴には各諸侯の子弟が集い、来賓を代表して王女から御言葉を賜ることと相成あいなった。いくらレイの姓を持つとは言え、一貴族への対応としては異例の事態である。


 もっとも、そこにはぜんとした理由があった。今回の式典は表向きには彼女の成人を祝うためのものだが、その実はミストリアの封禅ほうぜんの儀に向けた御幸ごこうの壮行を兼ねており、むしろ参列者の多くはそれを目的としていた。


 本来であれば、王国を挙げて大々的に執り行うべきものなのであろう。


 しかし、天人地姫の動向は秘匿されており、また王国の安全保障の観点からも公にすることは避けねばならないため、あくまでホーリーデイ家の私的行事という位置付けに収まっていた。


 故に、国王の代理として王女の御臨席を賜ったわけだが、流石に王嗣おうしたる国家の最重要人物であるため、冒頭の祝辞を終えたらすぐに退席する手筈となっている。


 仮にも宴席の主役である彼女は、謝辞を述べるべく王女の見送りに向かった。人集ひとだかりを掻き分けて傍に寄ると、たちまち王女から醸し出される大人の色香に当てられてしまう。やはり纏っている空気が周囲とはまるで違うのだ。


 そんな彼女を認めて、王女は護衛には聴こえぬほどに小さく、しかし明瞭な澄んだ声で囁いてきた。


「まだ迷われているようですね。しかし、時とはいつまでも与えられるものではないのですよ」


 瞬間、彼女の全身に鳥肌が立った。まるで心のうちを見透かされているようで、いずれは一国を背負うであろう人物の器量、深慮を垣間見たような気がした。


 同時に、それが王女の胸の内を明かすものであることにも気付く。王国は絶対的長子相続制のため、女王の即位は既定路線だ。しかし、その伴侶となる王配おうはいの選考は依然として難航の極みにある。


 これまで敢えて比較されることはなかったが、彼女たちは驚くほど似た境遇にあった。しかし、彼女には王女と違い、まだ僅かながらも選択の余地が残されている。


 真に天人地姫を想うのであれば、ミストリアとの別れを惜しむのであれば、ホーリーデイ家の嫡子として、現世の日々を共に過ごしてきた友として、取り得るべき道があった。


 王女は彼女の意志を悟ったのか、柔らかな微笑みを浮かべて一礼すると、背を向けて出口へと歩み出す。しかし、優雅に見えるその仕草にもどこか哀愁を感じてしまうのは、既に王女が諦念の境地に達しているからなのかも知れない。


 どんな言葉を掛ければ良いか分からなかった。いや、どんな言葉も掛けられない。ただ国家のためだけに生きる……幼少期よりそれを宿命付けられてきた王女に、いったいどんな言葉を語れるというのだろうか。


「私たちには……それでもまだ、きっとまだ出来ることがあるはずなんです」


 時に、口は意思に反してこえを出す。それは誰に向けられたものだろう。


 彼女であり、王女であり、そしてミストリアであり……、決まってしまったことに対して、子どもが駄々をねるように、愚者が固執するように、諦めぬことだけが唯一の取り柄であるかのように、見果てぬ希望を信じることしか出来なかった。

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