序章 5-2


「お姉さま、ご成人おめでとうございます」


 多くの参列者から祝福の嵐を受け、休憩とばかりに階上に避難していた彼女に祝言を述べたのは、自身とよく似た蒼みがかった銀髪を肩まで伸ばし、清らかな笑みを浮かべる一人の少女であった。


 身に纏うひらひらとしたみやびな薄手の衣装も相まって、その笑顔はまさに天女と形容するに相応しきものであるのだが、それを向けられた彼女は少し気後れした様子で返礼した。


「ええ……ありがとう、サンデリカ」


 彼女の心の機微を敏感に感じ取ったのだろう。サンデリカと呼ばれた少女は天女から人懐ひとなつこそうな妹へと転身すると、拗ねた仕草で不平を漏らす。


「もうお姉さまったら他人行儀が過ぎますわよ。昔みたいにサンディと呼んでくださいまし」


 天然とも演技とも判然としない少女を見ながら、彼女は僅かに眉をひそめる。少女の名はサンデリカ=レイ=ホーリーデイ……、彼女の実妹にしてホーリーデイ家の次女、間もなくよわい十四となる傑物である。


 実のことを言うと、彼女は妹が苦手だった。より正確をせば、どのように接したら良いのか悩んでいる。


 それでも幼少期までは、およそ何処にでもいるごく普通の姉妹として、ミストリアも交えて仲睦まじく過ごしていた。しかし、今から二年ほど前、妹は十二歳を迎えるや唐突に家を出ると言い出した。


 当初、それはささやかな反抗期として微笑ましくすら思われていたのだが、どうやら冗談ではないらしく、理由をたずねた母に妹は迷いなく答えた。


 いわく、ホーリーデイ家は自分がいない状態が理想的なのだと。


 姉とミストリアの絆はとても深く、それは二人のみで完結すべきものである。対して、自分の存在は異物であり、人と天人地姫を繋ぐ妨げに他ならない。それが妹の主張であった。


 母は懸命に説得したが、その信念は頑として揺るがず、それを耳にした父方の祖父であり、祭司長でもあるハジ家の老当主が妹に猿女さるめとして奉公することを提案した。


 猿女さるめとは神に舞を奉納する巫女であり、幼くして親元を離れて共同生活を送りながら、日々厳しい修行を積む女性たちの集団である。


 当初は早々にを上げると思われたが、妹はそこで驚異的な才能を開花させ、神楽かぐらのみならず祭祀全般に関する知識や技術を瞬く間に習得していった。今ではハジ翁に師事して王国の年中儀礼にも従事するほどである。


 翁からは一族よりも筋が良い弟子として、ハジ家への正式な縁組も検討されたが、本人はあくまでもホーリーデイ家の一員であるとして、それを固辞した。


 二人の父親であるミオミはハジ家の庶子であり、したる取り柄のない凡庸な人物と見られていた。ホーリーデイ家の嫡子であった母との婚姻は寝耳に水であり、周囲は一粒万倍いちりゅうまんばいと大騒ぎになったそうだ。


 しかし、その娘となる妹が祭祀への非凡な才を見せ、りとてハジ家に迎え入れることが叶わぬと知り、翁はそのときになって初めて、父を婿にやったことを後悔したという。


 もっとも、妹の姿は幼き日の母の生き写しであり、その素質も色濃く受け継いだものと考えられるため、嘆いたところで栓無きことではあった。


 生まれる時期を間違えた不遇の天才、妹をそう呼ぶ声は多い。しかし、当の本人はいたって気にする素振りを見せず、むしろ嬉々として祭祀に励んでいるようであった。


 一方、姉である彼女としては、自分が妹に苦難の道をいてしまったのではないか……、むしろ妹こそがミストリアに相応しいのではないかと思い悩むこともあった。


 しかし、肝心のミストリアのひょうは、精神性こそ公人としての理想にあるが、私人としては歪なものであり、端的に言ってつまらないという辛辣なものであった。


 また、ハジ家によく出入りするようになってから、一族特有の天人地姫への過度な信奉心が芽生えており、しばしばミストリアを辟易させることもあった。


 それでも天人地姫とホーリーデイ家の特殊な関係性が、少女の健全な成長を妨げ、家族の仲を引き裂いてしまったことにミストリアもまた心を痛めており、いつかその呪縛から解放してあげたいとも語っていた。


 彼女がひとり物思いにふける間も、妹は変わらず顔に満面の笑みを貼り付けながら、それでいて遮ることもなく静かに控えていた。傍から見れば、姉想いの健気な妹に映ったことだろう。


 いっそ、恨んでくれたら楽だった。自らの不遇を嘆き、天人地姫との日々をねたみ、ただ先に生まれたというだけの不出来な姉に取って代わろうとしているのであれば、まだ心の置き所もあった。


 しかし、結局今日に至るまで、彼女たちに干渉するような一切の動きは見られなかった。妹は本気で自分が身を引くことが使命だと、ホーリーデイ家の一員としての役割なのだと確信しているようだ。


 いったいどうして、そこまで達観することが出来るのだろう。それとも、その境地こそがホーリーデイ家としての在るべき姿なのか。やはり、自分には荷が重すぎるのかと彼女は嘆息する。


 先の王女との邂逅で至った決意に再び影が差そうとしたとき、不意に式場から歓声が沸き起こった。二人共に欄干から身を乗り出し、重なる視線の先に映ったのは、白無垢しろむくの衣装に身を包んだミストリアの煌びやかな御姿であった。


 途端に妹は姉を置いて駆け出していく。彼女はその様子を眺めながら、やはり妹はハジ家の影響を強く受けているのだと苦笑いする。


 見下ろす視線の先には、金糸のような髪をなびかせて、参列者を魅了しながらさぎはしを登るミストリアの姿があった。白無垢の姿はさながら婚礼衣装のようである。いや、まさしく神との契りを象徴するものなのだろう。


 しかし、清楚に着飾られたミストリアの姿を見ていると……まるでその、相手が自分であったらと願ってしまう。そこには多大なる語弊があるのだが、なぜか今だけは自然なことのように感じられた。


「おお、天人地姫の御姿を拝めるとはまさに一生の誉れよ」

「ミストリア様、どうかハナラカシア王国に平和と繁栄をお与えください」

「何という美しさ……まさに、伝説に謳われるヌーナの女神にございます」


 先の演習の顛末は文武問わず貴族の間に広く知れ渡っており、半神半人の王国の守護神をひと目見ようと、会場に足を運んだ者は少なくなかった。


 してや、それがこの世のものとは思えぬ美麗さを体現しているのであれば、この時ばかりは日頃の権力闘争などは忘れ、割れんばかりの喝采を浴びせる他ないだろう。


 ミストリアがこちらにやって来る。この夜宴の本当の主役はミストリアだ。今更そのことに疑問は抱かないし、嫉妬するほど自信過剰にはなれない。


 しかし、何故だろうか。この場には居たくない、居てはならないという感情が徐々に込み上げてくる。それはミストリアが近付くほどにより顕著となっていった。


 ミストリアは私の何なのだろう。私はミストリアの何なのだろう。私はミストリアに何が出来るのだろう。ミストリアは私に何が出来るのだろう。


 私たちはとても大きなものに流されて、結局は何も出来ないのではないのか。ミストリアの人智を超えた力を以ってしても、自らの運命を変えることが出来ないのなら、只人ただびとである自分に尚更変えられるはずもない。


 その瞬間、彼女は駆け出していた。壁の花から飛び出した冠毛かんもうは空へと舞い上がり、大切な半身を置き去りにしてしまう。


 独りその場に残された花は、微かに憂いを帯びた表情を浮かべると、熱狂した会場に応えるようにきびすを返した。

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