序章 4-4


 彼女が抱いた疑問、それは自身を人質とせんとする陰謀の前提を覆すものである。その柔軟な発想こそが彼女の真骨頂であり、心做こころなしかミストリアの表情も綻んでいるように感じられた。


「だって、そんなことしたら絶対にミスティが黙ってないと思う」


「ええ、皇帝と皇太子、それに重鎮たちが一堂に会し、戦力も第1師団しかないのだから、まるで滅ぼしてくださいと言っているようなものね」


 ……何か恐ろしく物騒な発言があったが、彼女は肯定と解することにした。そう、彼女を帝国へ招き寄せたいのであれば、モリヤ将軍の言葉ではないが、ミストリアが旅立ってからにすれば良かったのだ。


 王国にとって無二の安全保障である天人地姫の存在も、封禅ほうぜんの儀に伴う代替わりの期間には空白となる。儀式の正確な日時が秘匿されているのも、或いはそれを危惧してのものなのかも知れない。


「帝国が知りたかったのは王国側の出方だったのではないかしら。もしも、帝国との間でいさかいが起こったとき、諸侯たちがどのような反応を示すのか」


 絶対君主制の帝国と異なり、王国は王家と五大諸侯に権力が分散されている。今回は五大諸侯の中でも意見が割れ、ハジ家が否定派、モノノベ家とキノ家が容認派、そしてソガ家とナカトミ家は回答を保留した。


 尤も、ナカトミ家は内政に根差した文官の一族であり、帝国との衝突には消極的というだけで、他のどの家よりも王国側に根差している。


 無論、モノノベ家とキノ家についても、あくまで今回は帝国寄りの発言をしただけで、王国に叛意を示すような意図はないはずだ。


 一方、ソガ家に関しては昔から良くない噂があった。いわく、王国からの独立を画策しているという疑惑である。ソガ家は商家の元締めであり、王国の経済を裏から牛耳っていると噂されていた。


 また、王国の西側、ヌーナの西海岸一帯に広大な領地を持ち、西方大陸ロディニアとの交易も独占的に行っている。


 珍しい舶来品には莫大な値が付けられ、利益の一部を税として国庫に納めてはいるが、王家に比肩する富を秘蔵しているとまで囁かれていた。


「相も変わらず、王国の統治基盤とは随分と脆弱なものね」


 それは臣下としては決して口に出してはならぬものであったが、ミストリアには無縁のことである。


 ハナラカシア王国は、かつて大陸全土を巻き込んだ大戦を経て独立した国家であり、建国主たるヤチホコが戴冠し、その子孫が王家の命脈を保ち続けている。


 また、戦功のあった者たちがオオトモ家を含む当時の六大諸侯となり、領地を分与されて辺境地帯を守護してきた。ホーリーデイ家の祖が家名を賜ったのも同時期とされている。


 しかし、世代を経る毎に王家と諸侯の結び付きは薄れていく。諸侯の統治が安定化する一方、国王の権威は次第に弱まり、やがては諸侯が実質的な王国の舵取りを担うようになった。


 それを危惧したオオトモ家が諸侯の地位を返上し、側近として仕えるようになったのだが、その潮流を止めることは出来ず、現在に至るという訳である。


「ウィンダニア王女のこともあるし、しばらくは不安定な情勢が続きそうね」


 建国以来の構造的な問題に加え、王国にはもう一つ国運を左右しかねない難題が控えていた。それは現国王ヒコイツセの唯一の実子にして王位継承権第一位、王嗣おうしとなるウィンダニア王女の存在である。


 ハナラカシア王国は女王の即位が認められているため、順当ならばウィンダニア王女が次代に即位するのだが、伴侶となる王配おうはいが課題となった。


 如何に国王の権威が弱まっているとはいえ、元首としての存在感は健在であり、仮にいずれかの諸侯から王配を迎えた場合、国内の権力構造に重大な変化が生じることは明白である。


 この問題に対する諸侯の思惑は様々であり、自らの一族から擁立しようと画策する者もいれば、逆に王配は不要であると唱える者、或いは他国から招聘しようとする者、はたまた継承順位では下位の王弟の即位を推す者すらあった。


 然様さような国内における不和に対し、帝国が付け入ろうとすることは想像に固くなく、案外目的はそこにあったと考えると合点がいく。


 そこまで仮説を構築した後、不意に彼女はある引っ掛かりを覚えた。それは宴席で自身を擁護してくれた皇太子の存在である。


「それが帝国の真意であったとして、なぜ皇太子は私に味方してくれたのかしら」


 彼女の策を後押しした者……それにまつわる疑問を口にした瞬間、にわかにミストリアの瞳が輝き出した。どうやら既に目星が付いているらしく、ずっと彼女がそこに至るのを待っていたようでもある。


「漸く気付いたみたいね。演習での一件をよく考えてみてご覧なさい」


 今まではモリヤ将軍への憤りばかりが占めていたが、く考えてみれば、皇太子の方からも不可解な発言があったように思える。


『彼女に謝罪したまえ。先の発言は騎士として看過できるものではない』


『しかも、我が妃となるやも知れぬ貴人に対して何たる侮辱か! 重ねて述べるならば、貴国は決して属国などではあるまい』


 確かに、これは帝国とは似ても似つかぬ熱血漢である。斯様かような人物が皇帝に即位した暁には、存外と王国との諸問題は解決に向かうのかも知れない。


 しかし、いま考慮すべき点はそこではない。真に問題とすべきは皇太子の例の発言である。


「我が妃となるやも知れぬ貴人って、まさか……」


 ついにそこへ辿り着いたかと言いたげに、ミストリアが満足そうに頷いた。つまりはそういうことだったのである。彼女は赤面しながら嬌声きょうせい……ならぬ、叫声きょうせいを上げた。


「ミスティを妃にしようだなんて言ってるの、あのバカ皇太子!」


 彼女の身は怒りに震えていた。その表情は先ほどの意気消沈したものとは打って変わり、湯気が出そうなほどに火照っている。一方、それを眺めるミストリアは、もはや呆れを通り越して憤りを抱いたようであった。


「あなたって本物の馬鹿ね。帝都に行っちゃえば良かったのに」

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