序章 3-2


此度こたびの演習の第一功だいいっこうはシバイ皇太子であろうな。流石さすが天人てんじん地姫ちぎも肝を冷やしたに違いあるまい」


 最初に口火を切ったのは、帝国軍の指揮官を補佐する老将であった。あの時のミストリアの行為を挑発と見做みなした人物であり、幾分酒も入っているせいか、些か横柄な口調となっていた。


「いや、私にはモリヤ将軍の剣戟けんげきの方が冴えていたように思えましたぞ」


 それに応じたのはキノ家当主のオイワ将軍である。キノ家は王国の外交を担う一族であったが、帝国の圧力が高まるに連れて発言力が低下しており、最近は軍事に秀でたモノノベ家に擦り寄っているとも噂されている。


 このやり取りに端を発し、宴席ではシバイ皇太子とモリヤ将軍のどちらに功があるかで論戦が繰り広げられていた。尤も、両国とも自軍の指揮官を支持するのは明白であり、はなから議論の決着など付きそうにもない。


 しかし、当の皇太子はそんな些末なことには興味がないらしく、その視線は心做こころなしか彼女の方に向けられているようにも思われた。


 一方、モリヤ将軍はというと、流石に自画自賛するような真似は控えていたが、オイワ将軍を始めとする懇意の将たちがその声を代弁していた。


 しばし、両陣営からは不毛な応酬が繰り返された。やがて、沸き立った場に冷水を浴びせるがごとく、沈黙を破った皇帝が論者たちを一喝した。


「敗軍の将を語って何とする! 勝者ならば天人てんじん地姫ちぎに他ならぬわ」


 皇帝の痛烈な批判により、それまでの論戦は何処へやら宴席は水を打ったように静まり返ってしまう。それは誰もが自覚してはいたが、指揮官への忠誠から敢えて触れずにいたことであった。


「陛下の仰るとおりでございます。あの力ならば此度の封禅ほうぜんの儀も安泰でしょう」


 そんな重苦しい空気を破り、賛同の意を示したのはくだんの老魔術師であった。もとより帝国内では長老のような立場にあるらしく、王国側からも一目を置かれている人物なのだという。


 これぞ幸いとばかりに皆が取り繕うように追随すると、やがて話題の中心は天人地姫へと移っていった。


「いやはや、あの矢の雨には背筋が凍りましたが、いとも容易く防ぎきりましたな」

硝煙弾雨ファイア・バレッドの一斉掃射など、王都の大門でも耐えきれるかどうか」

「千体の魔法人形とは、これはもはや一個師団にも匹敵する戦力ではないかと」


 参席者たちは演習を振り返り、口々にミストリアのことを褒め称える。その称賛の声は滞在する王国側だけでなく、警戒すべきはずの帝国側からも上げられていた。


 それは純粋にミストリアの魔法に感服しただけでなく、先の老魔術師の口から出た封禅ほうぜんの儀にも関係する。


 封禅の儀とは、天人てんじんたる神に感謝と祈りを捧げる儀式である。ヌーナ大陸の最北部には、かつて天人が神の世界から降臨したとされるタカチホと呼ばれる霊峰があり、そこに天人の巫女たる地姫ちぎ御幸ごこうし、その恩寵を授かると伝えられてきた。


 しかし、儀式は秘中の秘とされ、その詳細を知る者は歴代の天人地姫だけであり、作法はおろか日時や場所さえも、国王やホーリーデイ家であろうとも秘匿されてきた。


 一般に広く伝わっている話では、人として成人を迎えた天人地姫がタカチホで神と交わり、後継となる娘を現世に産み落とした後、天上の世界へ還るのだという。


 宴席で繰り返される賛美の声に反して、彼女の表情は次第に重苦しいものへと変わっていった。伝承の真偽は定かではないが、ただ一つだけはっきりしていることがある。それは儀式が終わったら、ミストリアはいなくなってしまうということだ。


 ホーリーデイ家当主にして、母であるクラウディアナから伝聞した話では、天人地姫の最期を見た者は誰もいないらしい。しかし、時期が来れば必ず後継となる娘がホーリーデイ家にやってくるのだという。


 それは世代によって異なり、身重の天人地姫が屋敷で出産したこともあれば、幼児にまで成長した娘が自ら訪ねてくることもあるのだが、いずれにしても人間離れした膨大な魔力とくだんの障壁を有しており、その判断に迷うことはなかったそうだ。


 ホーリーデイ家に課せられた使命とは、天人地姫となる娘を来たる封禅の儀まで庇護することであった。


 そのために同世代の子を産み、共に愛情を持って育むことで、人に対する信頼感を醸成し、神の世界に還った後も現世が善き処であると知らしめ、再び神が降臨することを願ったのである。


 故にホーリーデイ家の当主となる者は、幼少期を天人地姫と過ごすと同時に、封禅の儀に合わせて婚姻することが慣わしとされてきた。


 もともとホーリーデイ家では女子の出生率が異様に高く、男子は凶兆として夭折ようせつするという言い伝えがあった。自然と女性が当主となることが常態化し、現在では大陸屈指の女系の一族として知られている。


 彼女がミストリアと出会ったのも物心が付き始めた頃であり、それから二人は本当の姉妹のように育てられた。そのあまりの親密さには、やむを得ないことではあったが、実の妹とも疎遠となってしまったほどである。


 彼女の想い出の殆どがミストリアと共有されており、まさに互いが互いの半身と言っても過言ではなかった。


 かつて、儀式の是非を問うた彼女にミストリアは淋しそうに微笑んだ。これが自分の運命であり、決して逃れることは出来ないのだと。いつになく弱気なその姿は、神姫しんきとして崇められる少女とは似ても似つかぬものであった。


 皆が畏敬の念を抱く天人地姫も、楽しいときには笑い、悲しいときには泣き、嫌なときには怒り、喧嘩をしたときにはねるような、道理も不条理も併せ持ったれっきとした一人の人間なのだ。


 だからこそ、ミストリア個人を顧みようとせず、天人地姫という名で持てはやす者たちを冷ややかな目で眺めていたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る