満熟者《みじゅくもの》

 彼を殺してから数日、私は会社を辞めて組織に入った。そこで教えてもらったのだが、なんと私は彼の力を引き継いだらしいということだ。私の意思一つで人から見つけられなくなるらしい。まるで透明人間だ。


 この力を使って私は組織で働いた。様々な機関へ潜入し、情報を持ち帰って役に立った。上司からはそれなりに褒めてもらえたし、以前よりも豪華な暮らしができるようになった。成果が出る度に喜びがあり、非日常を生きていると感動した。感動していたはずだったのに…私はあの殺人を思い出す。


 彼の息遣い、ナイフが肉にずぶずぶと押し入っていく瞬間。息絶え、冷たくなる彼の体。全てが鮮やかで私を悦ばせるものだった。なのに情報収集だけでなかなか殺人を任せてもらえない。私は非日常が味わえればそれで良かったはずだ。殺人はその手段に過ぎなかったというのに、私は殺人に魅了されてしまったようだ。


 そう自覚してからの行動は早かった。夜、町へ出て一人の女を襲った。まずは背後からナイフで腹を刺し、なぜか刺さったナイフに驚く女の口を抑えて胸に一刺し。


 快感だった


 相手のことなどお構いなしに一方的に進む殺人、心の内から込み上げてくる快感が私を支配した。その晩だけであと三人を襲った。相手に気付かれぬまま、相手を知らぬままに私は彼等日常の中に、非日常を生む殺人者なのだと震えた。


 それからは別の町へも行ったりして沢山の人を殺した。目撃証言など出てこない。接点も見つからない。わかるのは同じ凶器で殺されたということだけ。世間ではジャック・ザ・リッパーの再来かなどと騒がれたが普通の人間など私と比べるまでもない。私は非日常に生きる特別な人間なのだから。


 ある日の昼、仕事も休みでのんびりしていた時、ピンポンとチャイムが鳴った。仕事の呼び出しだろうか。ドアスコープから見ると17,8歳くらいの女の子がいた。開けた途端、手を握られる。反射的にナイフを出そうとすると


「あのスーツ格好良いですね!」


 元気に彼女は言った。きょとんとしていると


「べランダに干してある黒いスーツのことです!」


「あぁ、あれかい。私も友達から貰ったものでね、お気に入りなんだ」


「そうなんですね!格好良いなぁ。一度着させてもらってもいいですか?」


「…あぁ、いいよ」


 そう言ってスーツを彼女に手渡した。彼女は嬉しそうにクルクルと回ったり、貸してあげた鏡で自分を確かめたりしていた。


「やっぱりこのスーツ格好良いですね!」


「私もそう思うよ」


 褒められて悪い気はしなかった、なんだか彼を褒められている気がしたから。


 それから少し世間話をして、彼女は帰っていった。勿論スーツは返してもらった。世の中には変わった人もいるものだ。わざわざ気に入ったスーツのために話しに来るなんて私ならしない。しかし、久し振りに日常らしい時を過ごした気がした。


 驚いたのはそれから何度も訪ねて来たことだ。余程スーツが気に入ったのか、私に興味が出たのか簡単な世間話をして帰っていく。偶に来る彼女に、私は日常の喜びを見出していた。


 そんな私だが、私にとって私の存在を確かにするものは殺人だ。それは非日常を感じさせるものであり、生きている・今ここに存在していると自覚できるからだ。相手のことなどどうでもいい。私という殺人者が存続できていればそれで生きていける。


 その日も満足してアパートに帰った。給料は前よりも高くなり、もう少し上等な所へ移り住むことも考えたのだが、彼との思い出もある場所だったので残ることにしたのだ。ここに残ったお陰で彼女にも会えたのだから残っておいて良かったと思う。


 ベランダに干した彼の黒スーツへ目を遣る。最初の殺人の証として貰っておいた宝物。殺人をしに出掛ける時はこのスーツを着て行く。私には少し大きいが、私の存在を確かにしてくれるようで愛用している。血は落としてちゃんと洗ってもいる。胸ポケットにある目の模様が良い味を出しているが、いったいどこで買ったのだろうか。


 ピンポンとチャイムが鳴る。時刻は午後11時、ドアスコープ越しにいつもの彼女がいた。こんな遅くに何かあったのだろうか。そういえば話したいことがあると言っていたな、何か悩み事だろうか。私はナイフを持つ。


 正直、殺人にも飽きてきた。何度も何度もやっていれば日常だ。快感は感じるが薄れている気がする。彼女との日常を壊したのならどれほどの快感になるだろうか。次に訪ねて来る時に殺すと決めていたのだ。


 ドアノブを握り、勢いよく開けて一歩踏み出す。突き出したナイフの先に彼女はおらず、懐で私の胸を刺し抜いた彼女がいた。


「お前を殺す」


 逃げ場の無い真っ直ぐな殺意。女の目が私を貫いている。目の前の死に怯え、右腕に追撃を食らう。


「ガアァッ」

ズシュッ


 叫びを上げた途端に喉を切り裂かれる。女は鋭い眼光で私を見ている。顔には秘めた激情が透けていた。憎悪と嫌悪、冷たい感情が私を刺す。


 現状を打破するには女から視線を外して逃げるしかない。退路は真正面のドアと後方の窓、正面は女がいるから現実的ではない。ならば


 素早く方向転換して走り出す、その刹那右足の腱がブツンと切られた。激しい痛みと体勢の不安定化によってうつ伏せに倒れる。その機を逃さずもう一方の腱も切られた。


 もはや逃げられない、声も上げられない。絶望に伏す間もなく壁に叩きつけられた。女の目には相変わらず醜いものを見るような鋭さがある。


 痛い、痛い、これでは死んでしまう。辛い、辛い、辛いはずなのに笑みが浮き出た。


 空気が更にヒリつくのを感じる。そう怒るなよ、仕方ないじゃないか。これまでこんなに殺意を向けられたことなんてなかったんだ。非日常の中へ飛び込んでからも安全地帯から覗き込んでいただけだったんだから。


 私はようやく、真の非日常というものを味わえたのだ。悔いはない。あるとするなら眼前の彼女を殺せなかったことくらいだ。ニヤっと笑った


 彼女は私の心臓を抉った。私の生が否定される、それも私にとっては存在の証明に他ならない。最後に笑ったのは私だった。


 女は黒スーツと中折れ帽に身を包み、仇を睨みつけると闇に消えた。


 殺したからといって死ぬ道理はない

 死んだからといって消える道理はない

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お前を殺す 青空一星 @Aozora__Star

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