殺人雁忘
知らない夜道ほど先の見えず、足取りが覚束無くなる道はそうない。しかし眼鏡の女に連れられて行く私の足は軽かった。ステップ・スキップで踊る足先が私の激しく刺激的な道行を報せてくれているようだった。
倉庫の中にはライトが一筋、血だらけの黒スーツを照らしていた。手足を縛られ、椅子に固定され、見るからに拷問の後といったかんじだった。ドラマやアニメくらいでしか見れないシチュエーションに胸が踊る。
一歩、一歩と靴底を鳴らしてゆっくりと近付く。あと三十歩であいつの前、あと二十歩であいつの前、あと十歩であいつの前、もう一歩であいつに届く
「化け物を殺すサポートをするというオーダーはこちらで宜しかったでしょうか」
眼鏡女の声が響く
「あぁ、満足だ。どうもありがとう」
私は化け物を見つめながら、笑みで応える。もうくたばる寸前といったところだ。息はか細く、首にかかった黒い帯が静かに揺れている。下を向いているせいで顔がよく見えない。
ぐいと髪を掴み覗き込む。帯で見えなかったそいつの顔は人間そのものだった。どこにでもいそうな普通の人間の顔だ。傷が少し付いてはいるが、普通の人間だ。
「こいつは化け物じゃないのか?」
「はい、あくまで人間です。ただ特異な力を持った人間です」
「そうか」
少々がっかりした。顔など元々無いのっぺら坊や一つ目の化け物を期待したのだが、所詮人間なのだと言う。だが、私はそもそも殺人がしたかったのだ。偶々今回は相手が化け物じみていたから化け物を殺したいと今まで思い込んでいたが、そうだ殺人だ。
そう思うと、また鼓動が早く鳴った。懐のナイフを取り出す。まだあの場所に残っていたのだ。前に行ったバーが壊れていたからやはり相手は化け物だと確信した数十分前を思い出す。あの時は躱されてしまったようだが今度こそ殺すことができる。私はこの退屈な日常から脱却できるのだ。ナイフを握る力が強くなって、心臓がバクンバクンと鳴って、止まる
思えば私はこいつのお陰でこの二日間、日常から離れることができた。全てはこいつがいたからこそ。そう思うと涙が出てきてしまった。
「ありがとう。ありがとう。ありがとう。」
背もたれに掛けさせ、真っ直ぐに目を合わせる。その人は諦めたような、それでいて観念したように私に視線を返す。
「私は貴方を殺す。私の非日常のために」
ナイフが心臓へ突き立てられる。わずか残った血が吹き出し、目蓋が閉じられてもう何も見ることはなくなる。
「それではお支払いの方ですが」
せっかく余韻に浸っていたというのに眼鏡女が邪魔をした。
「どのくらい払えばいいだろうか」
「いえ、お支払いは代金ではなく、我々の下で働くことにより完了されます。依頼が依頼なのでこれからずっと働いて頂くことになりますが」
かなり予想外で驚いたが、これはまたとない機会だ。こいつ達の組織で働けるということは裏社会の人間になれるということだ。これほど平凡でなく、非日常的なことはないだろう。私は快諾した。
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