人が降る町

杜侍音

人が降る町


 ──今日もこの町は人が降る。


 都心に人口が一極集中し、郊外に住居用として高層マンションが建ち並ぶようになったが、ある日の大震災の影響で人は消え、地価が下落してからは、誰も戻らなくなった。

 否、不法滞在する輩か廃墟マニアが出入りするようになり──そしてが集まるようになっていた。

 いつしか溜まりゆく死体を片付けるために、国から不正に寄付された民間企業が特殊清掃員をし……いずれ仕事が追いつかないとして、従業員が住み込みで働くようになった。

 この経緯をメディアが『悲惨だ』『批判だ』と騒ぎ立て始めたが、むしろ大衆の興味をそそり、「そんなにも飛び降り自殺をするのなら見てみたい」と一人、また十人と加速度的に訪問者を増やすこととなった。

 いつしか、ここに来る人は観光客と括られるようになり、彼ら相手に商売しようと底意地の悪い企業や団体が店を出すようになり──


 十数年後。

 この町は〝飛び降り自殺の町〟として、唯一無二の観光地となった。

 国も表向きにはしないが、電車のダイヤを乱すくらいならここでお願いします。と遠回しに追い詰めるようになった。

 自殺をこの町以外で行うことが不名誉であるとの新しい価値観も、水面下で生まれているとのこと。


 これが、降生町ふりゅうちょうの沿革である。

 中古の高層マンションと、人々が安全に移動するための地下街が新しく発展した町。

 日本のみならず世界中から注目されるこの町は、需要と供給が奇妙にも釣り合った、話題が尽きない場所へと成り果てたのである。



『本日のは60%。広い地域で飛び降り自殺が見られるでしょう』


「……今日は仕事が多いな」


 滑舌が甘い、可愛いお天気お姉さんの予報。

 それを聞きながらカーテンを開けた男が呟くと、窓越しに自由落下する黒い塊が確認した直後、何かが弾ける音がした。

「……早いな」と、男は生焼けのパンを齧り、作業着に着替える。


 彼の仕事は特殊清掃員だ。

 この町の見所は、飛び降りるまでの過程、落ちていく断末魔と歪んだ表情、そして絶命する瞬間の衝突。

 これらがエンターテイメントとして成り立っている。

 だが、死んで五分も経てば人々はそれに興味を失う。

 景観と衛生を守るため、死体を片付ける特殊清掃員が程よくいる。出入りが激しい仕事だ。

 時には、先週酒を飲み交わした同期を片付けたこともあった。


 ストレスが溜まるのは違いないが、貯金に余裕が出るほどには割が良かった。

 彼は元々動画配信者だったが芽が出ず、一か八か話題の町から実況しようと試みた。

 だが、既にそのようなチャンネルは存在しており、二番煎じのような動画しかできなかった。

 そのまま投稿頻度は落ちていき……いつの間にか今の忙しない仕事に就くこととなっていた。


 今日も死体を片付ける。

 昨日は三体片付けた。

 基本給に歩合制も上乗せしてくれるから、綺麗に素早く片付けた。

 ただ欲を出し過ぎて、頭上から降る次の掃除対象にぶつかり亡くなってしまうこともあるから無闇に死体探しで出歩いてはいけない。

 二ヶ月前に北海道のお土産をくれた後輩が、それで死んだ。


 観光地化してから建てられたガラス張りの高層ビルには多くの観光客が、狭い空から落ちてくる人を観て、熱狂していた。

 それが非常に男は鬱陶しかった。

 どうしてこの仕事を続けているのだろう。考え込んでしまえば辿り着くのは、死、のみだ。だから深くは考えない。

 貯金もあらかたあるから町を出てしまえばいいだろうが、今さら他の世界で生きていける自信がない。

 だから男はこの仕事を続けるのだ。


 死体処理が終われば、次は遺品整理がある。

 飛び降りる前に、出発地点に何かを置いている可能性があるからだ。

 それらの処分も彼らの仕事。

 男は自身の住む社宅の屋上へと向かった。

 この社宅は都心ならば憧れる形の高層マンションで、今では多くの特殊清掃員が住んでいる。同時に空き部屋も多いが。ここは究極の職住近接だろう。


「……風強いな」


 時折、吹く風に踏ん張っていないと自身が真っ逆さまに落ちてしまいそうだ。柵などない。

 男は十分に気をつけながら、飛び降りたところに近付くと……そこには一人の女子高生がいた。


 黒いセーラー服と赤いリボン。黒い髪、背中の半分を覆うほどには長い。靴下も長いし黒い。ローファーもだ。

 地獄からの使者みたく真っ黒だ。

 いや、今からそちらに向かう死者となるのだ。

 若い自殺者もそう珍しくないし、むしろ多い。10・20代の一番多い死因は自殺。つまり大半がこの町で死んでいるのだ。

 女子高生ともなると、観光客から絶大な人気を誇る肩書きとなる。きっと、今もどこからか彼女を見ている輩がいるはずだ。



「……ねぇ。そこの人」


 今日は楽に稼げそうだと、男は眺めていたら、ふいに女子高生が振り向き、こちらに話しかけてきた。

 最初、自分だとは思えず、もしかしたら彼女は既に亡霊で、死へと招こうとしていたのとも思えた。


「背中、押してくれない?」

「……俺が君を?」

「他に誰がいるんですか? 見えないものでも見えてます?」

「いや……俺は殺人犯にはなりたくない。あるいは自殺幇助として裁かれるのも避けたい。今、寛容になっているのは能動的自殺だけだ」

「ヘタレ」


 初対面の年上に女子高生は、らしい言葉遣いで偉そうに言った。

 押して欲しいとは自分で飛び降りる勇気がないからじゃないか。ヘタレは一体どっちの方かと男は問いたくなったが、また論理性のない短い言葉で返されるのは嫌だったので止めた。


 それにしても、今日は本当に風が強い。

 冬の気圧配置、西高東低は北からの寒風を呼び寄せた。あと、数時間もすれば雪が降ると、降人予報の後にお天気お姉さんが言っていた。

 油断すれば、彼女は背中から向こう側へと落ちてしまう。

 死体は見慣れていたが、これから死ぬ瞬間を男は見たことがなかった。


「そこは危ないぞ」

「私、死にに来たのよ」

「そう、か。そうだな。きっと君を片付けるのは俺の仕事だ」

「……その制服、特殊清掃員よね。大変ね。死体ばかり片付けて嫌になるんじゃない? もしかして、あなたもこちら側に来るつもりだった? 一緒に行くのはお断りよ」

「違う。仕事の一つに遺品整理があるんだ。……君の前に男がここに来ていなかったか?」

「いたわ。扉開けたら落ちてったけど」


 彼女が言うには遺品らしきものはなかったという。

 あの死体は靴を履いたまま、屋上に来ては覚悟決めることなく作業的に落ちていったのだろうと男は推理する。

 ただ、この真実など世間からしてはどうでもよいが。


「で。私は押してくれるの? 特殊清掃員さん」

「……どうして死ぬんだ?」

「イジメ」


 彼女はあっけらかんに言った。


「イジメ、か。君みたいな美人が……」

「美人だから疎まれるの」


 また、同じように言った。

 顔ではなく、そういう性格だから「嫌われるとでも思った? 事実を言って何が悪いの?」と、男の心中は見透かされてしまった。


「そうか。なら一層死ぬようには見えない。君と少し話すだけで意地でも生きて見返してやるような性格にも思えるし、たとえ死ぬとしても誰かに押してもらえないといけないほどに躊躇うようには見えない」

「人は見かけによらないのよ。……まぁ、イジメだけではここには来なかったでしょうね。知らない人からは町を歩くだけで執拗に迫られるし、血の繋がった人間からは疎外感を感じるし……なんか人って面倒だな、というか、普通に生きる意味ないというか」

「死ぬ意味もないと思うが」

「どちらにも意味がないならば、最期くらい好きにしたいじゃない。若くて綺麗なままで死ねたらって、人並みに思ったの」

「そう、か……。君には何言っても無駄みたいだ」

「でもね。ただ、普通に飛び降りたって面白くないなってここに来て思ったの。だって、毎日何百人と飛び込んでいるのよ? 自殺者数に一括りにされるのは嫌」


 人々は慣れてしまったが故に、自治体が生死管理するまでにしか、死体の個人情報を求めようとはしなくなった。


「目立ちたいのか」

「平たく言えば。なんかいい案ない? たくさん片付けてきたんでしょ。印象に残ってる人とかいなかった?」


 それこそ観光客よりも彼ら特殊清掃員の方が死体とひとまとめにしている。

 まず人として見ていない。死ねば皆、強烈な臭いを放つ物体としか思えなくなっていた。

 人は、生きている時にしか何かを遺せないから。


「──なら、死ぬまで生きるところを配信すればいい」

「配信?」

「自分があと何日で死ぬかを明記した上で、配信する。昔バズっただろ、死ぬまであと何日ってやつ」

「知らない」


 ジェネレーションギャップを感じる年齢となっていたことに、男は密かに動揺した。


「でも、いいね。それ、採用」

「そうか。じゃあ、いつまで生きるんだ?」

「……桜が散る頃。今日はクリスマスだから、今からちょうど百日後かな」


 男は今、今日がクリスマスであったことを思い出した。

 それと同時に、予報よりも早い雪が散らつき始めた。

 町に降る色が白からピンクへと変わる時、彼女に真紅の華が咲く。

 その時を見届けることができるのだろうか。男は俯き考えていると、いつの間にか目の前にまで女子高生が近付いていた。


「おじさん編集できるの?」


 間近で見れば、彼女の言葉が嘘ではないことが分かる。

 可愛さと綺麗さを兼ね備えた容貌。

 乾いた空気に晒されていようと潤った肌、無駄のない艶やかな髪、一級品を揃えた一つ一つのパーツが理想の配置に付けられた顔立ち。


「ねぇ、聞いてる?」

「……綺麗だな、君は」

「知ってる」


 あどけなさのある美声も彼女の魅力を何倍にも引き上げる。


「それだけの素材があれば、人を惹きつけるのは簡単だろう」

「だから知ってる。褒めるのは聞き飽きてるから、早く質問に答えてよ、おじさん」

「……昔、少しかじってた。それと、俺はおじさんと呼べるほど、老けてはない。まだ20代だ」

「見えない。死にそうなくらいやつれてるけど?」


 生きる意味を見出せていなかったのは彼女だけではない。

 死体を片付け、目的のない無気力な生活をして、死ぬようにして寝床に潜り込む。


「それと、私からしたら成人済みはおじさんだよ」

「相対的な観測というのものか……。編集、本当に俺でいいのか?」

「他に誰がいるの。今までに頼めるような人なんていないし、これから新しく都合の良い人を見つけるのは面倒なの。今、目の前にいるあなたにお願いをしているの。拒否権はない」


 ならばと男は頷いた。

 もっとも拒まれない限り、断るつもりはなかった。


「君、名前は?」

佐倉千夜さくら ちよ。佐渡島の佐に、倉敷市の倉。千の夜と書いて、佐倉千夜」

「いい名前だ」

「知ってる。これだけは親に感謝してる」

「俺は──」

「いい。おじさんで。名前を知っても、どうせ死んじゃうもの。おじさんが私のこと覚えてたらそれでいい」


 何とも自己中心的な子だと男は思ったが、ここまで突き抜けていると心地良いとも感じるようになっていた。


「おじさん特殊清掃員だから、この辺に住んでるよね。私、帰るお金と場所がないの」

「俺が捕まるだろう」

「死人に口なし。私とおじさんが黙ってたら世の中は気付かない。誰も私を捜しにも来ないから」


 こうして……佐倉千夜と名乗る女子高生との、奇怪な町での奇妙な生活を、男は送ることとなった。



   ◇ ◇ ◇



「何もないじゃん」


 家具も家電も最低限しかない男の部屋。

 殺風景な内装に彼女は「面白くない」と呟いた。


「特に必要はないからな。それに、自分が死んだ時に片付けしてもらいやすいだろ」

「やっぱおじさんもいつか死ぬ気じゃん」

「人はいつか死ぬだろ。いつ訪れても大丈夫なように準備してるわけだ」

「おじさん、もう死んでるようなもんだけどね──うわ、布団の予備ないだろうなと思ったけど、もしかして寝袋で寝てんの?」


 クローゼットを勝手に開ける佐倉に男は何も言い返さなかった。


「とりあえず着替えと布団、あと生活雑貨かな」

「そのつもりではいたが、金は全て俺が出すのか」

「借りるだけ。あ、もう映像回してよ。収益化したら利子たっぷり付けて返すから」

「収益化が認められるか分からんぞ」

「する。私は美少女女子高生よ。不埒な世間が黙ってるわけない」


 そういうものだ。

 一度誰かの目に止まれば、視聴者が間違いなく増えることは、男の経験則から予想は付いていた。

 収益化が認められなくとも、娯楽に飢えた金持ちあたりに投資でも打診しようと考えていた。

 ただ、その戦略は実現する必要はなく、二週間後には収益化の目処が付いた。



『──あー、どうも80日後に死ぬ女子高生です。みんなのお陰でお金には困らなさそうです。ははっ、まぁあと二、三ヶ月でビタ一文もいらないですけどね。今のうちに豪遊したいと思います』


 男は、もうちょっと愛想良くしたらどうだ、とカンペを出す。


『はぁ? どーせ死ぬんだから、好感度は求めてないんだけど。好きでも嫌いでもいいから、私を知ってくれればそれでいい』


 彼女の歯に衣着せない発言と、類稀なるルックスのお陰で、予想通り、視聴者数は爆発的に増えていった。



『──60日後に死ぬ女子高生です。正直、豪遊飽きました。なんか、金の割に色々薄いというか……別に最期にしたいことでもないなーって感じです。なんかみんなのオススメあったらそれしてみようと思います。金はある。面白いのちょうだい』


 今日もいつも通り、男は映像を撮った。

 カメラの前では作業的に淡々と、求められている姿を完璧にこなす。

 本人には相手の要望に答えてるつもりはないのだろうが。


「あー、撮影終わった。腹減った」

「おせちあるぞ」

「え、まだあるの? 一体いつまで届くの。もう一月終わるけど」

「君が注文をところ構わずするからだろう。ご丁寧に日付もズラして」

「高ければ美味いと思ったの。でも、結局かまぼこしか食べられなかった」


 かまぼこには赤が魔除け、白には清浄の意味がある。

 死に行く彼女を清めるには丁度いい。

 あとのご利益はいらない──と、言い訳してみるが、偏食家の佐倉の代わりに、男が一人で全部平らげるのは死ぬほど辛かったと、のちに思い出す夜がある。



『──ハッピーバレンターイン。死ぬまで49日の女子高生です。半分過ぎたね。……今日はチョコを作ります。料理とかしたことないけど、溶かして固めるだから簡単ですね』


『──ネットの言葉は鵜呑みにしないよう、みんなには気をつけてもらいたいと思います』


 キッチンに立った彼女の初戦は完全敗北と喫した。

 撮影を終え、佐倉は汚れたエプロンを外す。


「手洗いしてから洗濯機に入れとくね」

「いや、捨てていい」

「使わないの?」

「わざわざは」

「ふーん……でも、また料理するかも私」

「二度と立たせるか」


 殺害現場となった悲惨な状況に、心の底から清掃したくないと男は願った。


「ん、これ」

「……なんだ」

「私からのバレンタイン」

「俺が買った、市販のチョコだな」

「私を経由することで、愛情が増されたのでした」


 あざとい冗談に、男はわざと溜息をついてチョコを受け取った。

 思わず微笑んでしまうところだった。そんな表情を見られてしまえば、終わりまでイジられるに違いないからだ。


 佐倉はティッシュを何枚か取り出して、当然のことではあるが、お詫びにキッチンの掃除を始めた。

 手際の悪い彼女に、男は貰った板チョコを割り、佐倉の口の中に入れた。


「……甘っ。企業努力が見える」

「子供はあっち行ってろ。一応俺は片付けのプロだから任せろ」

「……最近、仕事行かないくせに。編集か、私を撮影してばっか」

「……会社自体は辞めたからな」

「そうなの? まぁ、お金には困らないか」

「別に俺がいなくなったところで、この町は廻る」


 ふと、窓の外へ目をやると、隣のビルから人が落ちていくのが見えた。


「……あれも、誰かが片付けてくれる」

「私もああなるんだね。いっぱい人見てくれるかな」


 ゲリラ的な自殺でも必ずと言っていいほど誰かが見ている。今でも歓声が小さく聞こえた。


「過去にも先にもない、この町一番のショーになること間違いない」

「そりゃそうか。……その時はさ、おじさんが私の死体を片付けてよね」


 何故と聞くと、「知らない人に私の体を触って欲しくないから」と。

 特殊清掃員に従事している人からすれば、大女優だろうと石油王だろうと興味を示すことなく、淡々と片付ける。

 ──あぁ、感情が豊かな奴からいなくなっているな。




「──死ぬまで30日の女子高生です。今日は下見に来ましたー。この辺では一番高くて……」


 景色が綺麗なビルの屋上へと来た。

 ここは人気だから、撮影前にも三人が外へと踏み出していった。


「東西南北、方向が四つあるけど、どうしようか。風水でも決めて……あ、また来た」


 他の飛び降り自殺者を映さないようにカメラを回していたため、たびたび撮影を止めた。ここは撮影には向いていない。

 もっと撮影時間を短縮するため台本を見直すべきかと、録画を止めようとした時、映り込んだ人は侵入者へと変わる。

 彼は、佐倉のアカウント名で尋ねてきた。


「……えぇ。ファン?」


 侵入者は不気味な笑顔を浮かべて頷いた。

 普段から出歩かないだろう痩せ細った男性ファンは、ジリジリと佐倉に歩み寄ってくる。

 いずれこういう過激なファンが現れるかもしれないと、公開する動画には個人情報が特定されないように細心の注意を払い、外での撮影も社宅よりか遠い場所ばかりを選んできた。

 だが、それでも誰かが見つけ出す。

 男は配信者時代から使っていた大事なカメラを置いて、佐倉を守るようにして立ちはだかる。


「彼女のマネージャーだ。ファンであることは感謝するが、活動にはファンと直接交流することは含まれていない。即刻立ち去ってもらおう」


 ただ、そのような忠告を聞くわけがない。

 死ぬくらいなら推しと一緒に心中しよう、そう狂った考えに支配されたファンは真っ直ぐこちらに向かってくる。

 男の動きは単調かつ読めるので、軽く足払いをすれば勝手にこけた。


「しつこいようだと、このまま警察に──」


 立ちあがろうとしたファンを佐倉が両手で押しのけた。

 ファンはバランスを崩し、足がパラペットに引っかかったので背から外へと放り出され、そして──


「……落ちた」


 数秒後に地面に叩きつけられた音と、いっそう大きな歓声が聞こえた。


「……殺しちゃった」

「……ああ」

「私のせいかな」


 肯定も否定も、男はしなかった。


「……もしかして、今みたく、中には他殺も混じってたりするのかな」

「あるだろうな。見たことはないが」


 普通の飛び降り自殺であれば、頭から落ちるので、建物に近い場所に、原型ない姿で見つかることが多い。

 ただ、誰かによる他殺であれば、抵抗の跡や足から落ちた結果、仰向けに倒れていたり、突き落とされれば放物線を描くから建物から離れていたり──自殺ではない証拠はいくらでも存在する。


「捕まるかな、私」

「真実が露わになることはないのが、この町だ」

「肌感どれくらい?」

「……二割だな。こちらの方が派手だから観光客は盛り上がる」

「いいね。私が死ぬ時はやっぱりおじさんに押してもらおうかな」

「断る。汚れた手で君を押すわけにはいかないだろ」

「押したのは私だよ」

「共犯だろ、俺たちはもう」


 結局、人が多く集まるのでこのビルから飛び降りるのは取りやめにした。

「たくさんの人に見てもらいたいけど、騒がしいのは嫌」と、彼女の注文が増えた。



 日は流れ、


 ──そして、桜の散る頃に。


 約束したその日が訪れた。

 彼女の生きてる時を映す、最初で最期のライブ配信。

 男は最後の撮影準備を進め、佐倉は飛び降りる場所をチェックしていた。


「……いい場所。案外見晴らしよくて、とても静か」

「町の端っこだからな。それに、そこのビルに注目が集まるから穴場なんだ──社宅は」


 二人が住んでいた社宅。仕事を辞めて尚、住み続けていられるのは、冒頭でも記した通り、空き部屋が多いため。

 隣にはこの町で四番目に高いビル。商業施設も多く入っており、人々の注目はそちらに集中する。


「初めておじさんと出会った場所。意外とロマンチスト?」

「違う。今や町中が君に注目しているんだ。街中を歩けばすぐに騒ぎになる。ここなら場所を特定されても、大勢が集まるのに時間がかかる。──準備は終わった。いつでも撮影できる」

「……うん」


 男の呼びかけに対し、佐倉は俯いたまま身体を震わせていた。


「……ビビってるのか」

「そりゃあ、ね。けど、不思議と怖くないの。緊張してる感じ」


 快晴。

 降人確率は30%。

 死ぬにはとても晴れやかな日だ。


「よし、いこう。いつでも回して」


「──本当に行くのか」

「なに、ビビってるのはそっち?」

「……やはり目の前で人が死ぬのは……いや、君がいなくなるのはどうにも耐えられない。生きる意味を見失うことになるんだ。久々に感情が揺れ動いて、酔った自分が気持ち悪い。俺はこれから、何を……支えに、いたら……」



「──おじさんも行く?」

「……行こうか」

「あはっ、躊躇しないんだ。泣いたの初めて見た。──最後まで可愛い私の顔を撮っておいて」

「……撮るさ。いつもの君の笑顔を」


 これより、男の目に映る全てを全世界に共有する。


 配信が始まり、彼女が変わることは何もなく、ただ遺言を残した。

 コメント欄の流れは早い。内容は全ては見通せない。


『じゃあ、いくね』


 男は彼女の横顔を撮りながら──共に身を投げた。


 地が近付き、死が迫る──


 目を瞑る彼女の最期を──男は──俺は、ぜひとも正面から撮りたいと思った。


 ──君と出会った時は雪が降る灰色の空だった。

 今日は見上げれば、眩しいほどに青い。

 段々狭くなる空に、俺は初めて感動した。


 そういえば、俺の名前は……言わなくてもいいか。

 意外と今風な若々しい名前なんだ。君に教えたら似合わないとして笑われてしまいそうだ。

 カメラを手離し、俺は目の前の佐倉千夜を抱き寄せ──






「……信じられない。最後の最後に仕事を投げ捨てたな……」


 ──佐倉の目の前には、口元が緩み、頭が潰れた男の死体があった。

 カメラは少し離れた場所で粉々になっている。


「何で最後に私を生かしたの。足は折れちゃったよ。どこにも行けない、また飛び降りるのには治すために時間がいる。──人も来た。救急車が来る、今日は私は死ねないみたい。……それまで、ずっとおじさんを見てろってことかよ。誰も興味ないよ、おじさんの死体なんて……ほんと、自己中心的な私のファンめ……」


 恨み言を吐きながらも、涙が止まらない。

 けれど、泣き顔をほんの少し気になる人に、最後まで見られずにすむことだけは、運が良かった。


 桜の花弁が散る中、男と女子高生の生活は幕を閉じた。

 この物語は、明日には忘れ去られ、誰の記憶にも留まることはない。

 何かが変わることはなく、ただ、ひっそりとインターネットの中に記録だけが残されるだけである。


 ──今日もこの町は人が降る。


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人が降る町 杜侍音 @nekousagi

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