禁絶のアイゼル・カーター
@cranefield
第1話 魔薬
第一話 魔薬
どこからともなくネズミの鳴き声が聞こえる、薄暗い地下実験室。室内を照らす光源はテーブルの上に置かれた燭台のロウソクのみで、かび臭いツンとした空気が部屋中に充満している。長らく使ってこなかっただろうことが伺える、不潔極まる環境だ。常人ならば息を吸うことすら苦しいだろう。
そんな部屋の中心には、背を丸めた男が一人。男はブツブツと何かしらを呟きながら、テーブルの上に散乱しているいくつかの試験管等を震える手で掴み、自身の近くへと寄せていた。
「ちくしょう……ちくしょう……!」
男は切羽詰まる様子で悪態をつきつつ、ぎこちない動きで試験管を並べた。中には色とりどりの液体が入っており、ロウソクの光を受けて妖しくキラキラと輝いている。試験管のラベルには何も書かれていない。だが男は、それぞれの試験管の中身が何の液体なのかを把握しているようで、迷うことなく三本の試験管を掴んで素早く蓋を開けた。
「もういい!原液でいい!ああ、あああ!耐えられない!」
そしてそれを一息に飲み干そうと口に咥え……。
バリンッ
「えっ……」
……口に咥えようとした瞬間、試験管は男の目の前で爆ぜ、ガラスの破片と液体の飛沫を辺りに飛び散らせた。
「アガッ、あがががががが!」
そして当然、いくつかの破片は男の顔面に突き刺さる。男は破片が刺さった痛みと試験管が爆ぜたことの驚きからパニック状態へと陥り、目を開けることもできずに暴れまわった。
テーブルが大きく揺れ、並べられていた残りの試験管も床に落ちると同時に高い音を立てて砕け、燭台に乗っていたロウソクも同様に床へと落ちる。幸い、火が消えることはなったが、男はそのことにも気づくことなく、獣のようにのたうち回ることしかできていない。
「あがぁあああああああああああああああ」
「ああ、やかましいなぁ」
男の絶叫が地下実験室全体に響く中。ゾッとするほどに冷たい女の声が男のすぐ近くから聞こえた。パニックの渦中にある男も、流石に自分しかいないはずの部屋の中で他人の声が聞こえたことに冷静さを取り戻したのか、ピタリと叫ぶのをやめた。そして、恐る恐る瞼を開けて声のする方向へ視線を向けてみる。
そこにいたのは、長い銀髪を腰まで伸ばし、深紅と黒で装飾された白衣に身を包んだ一人の少女だった。年の頃は十代半ばほど。その顔立ちは確かに美しいが、表情は完全に冷めきっていて、迂闊に視線を合わせようものなら心まで凍てついてしまう程に冷たい目をしていた。
「あぁっ、はぁ……だ、誰だあんたは……まさか魔導局か⁉い、一体どこから‼」
「普通に扉からだが……しかし酷い部屋だな。匂いもさることながら、埃、カビ、ネズミに……不衛生の博覧会だな、まるで」
少女は倒れたロウソクを掴んで燭台に戻し、部屋内を見回して眉にしわを寄せた。
「……私でなければ数分で感染症に罹患するなぁこれは。仲間も外に待たせてあるし、やはり諸々を省略して手早く済ませよう」
男は未だその少女が何者なのかもわからぬまま、ガラス片が突き刺さった顔を歪めて震えている。その震えの原因は恐怖でも焦りでもない。それは男自身が良く分かっていた。
「な、なぁ!あんたが何の用でここに来たのかは分からないが、頼む!そのテーブルの上に試験管をこっちにくれないか⁉礼はする!跪いて靴を舐めたっていい!」
「それだ」
は?と、男は間の抜けた、吐息なのか言葉かも曖昧な声を漏らす。少女はテーブルの上の試験管を手にし、男によく見えるように左右に揺らす。内部の液体がチャプと音を立てるたび、男の額に汗が浮かんだ。
「これは魔導六法にて禁術指定を受けた魔薬だ。ライカントニック。強い中毒性があり、一度飲めば人狼に……なれず、脳組織の変容によって凶暴性と身体能力を上げるだけの代物だ。十年も前に禁術指定されたが、知らなかったのか?」
「………ウ」
「知っていて飲んでいたのだろう?……しかも、服薬するだけでなく、地下組織と提携して売買もしていたな?証拠は残っているぞ」
「ウ……ウ、ウ、ウウウゥゥ、うおおおおおおおおおおお‼」
獣叫。雄叫び。咆哮。とても人間の声帯が出しているとは思えない凶暴な叫びをまき散らし、男は目の前の少女に襲い掛かった。魔薬の影響で上昇した身体能力は、今や獣のそれに近い。一度体を掴まれ押し倒されれば脱出は難しいだろう。その後の顛末は想像に難くない。
しかし、男が伸ばす手の先に少女はいない。見渡す視界の中にも。
「後ろだよ」
「え」
その声がした瞬間、男は視点が急速に下がっていくのを感じた。それから数秒遅れて、目の前に倒れ込む「自身の体」。それを見て男は理解した。斬首されたのだ、と。今自身が見ている景色は、切り落とされた首が最期に見せているものなのだと。
「ああ、そうだ。私が誰かを聞いていたな?」
……私の名は、アイゼル。
少女は男の頭部を持ち上げ、ポケットから取り出した布袋に放り込み、それを見下ろしながら告げた。
「魔導局、禁術処理課所属の魔術師、アイゼルだ。……偽名だから、地獄で呪っても意味は無いぞ」
そう微笑うのを袋の底から見上げたのが、男の最期となった。
▽
男のいた地下室のある家屋は、棄てられ、森に呑まれた廃村の中にあった。木漏れ日と枝葉の間に見える青空は爽やかで、とても地下に不潔極まる部屋が存在していること等悟らせない。隠れ家としては良い環境だったことだろう。
「待たせたな」
アイゼルはそう言い、外で待機していた大柄な騎士に声をかけた。
「いや、いつも通り速やかな執行だ」
青色の竜が描かれた銀色の甲冑。その顔はフルフェイスの兜で覆われ伺えず、ただ身を震わせるような低い声が中から聞こえている。
騎士の名はカーター。これも「アイゼル」同様、本名ではなく偽名だ。魔術に関わる者たちは、本名を秘匿する。名を奪い、自身の制御下に加える禁術に対しての警戒からだ。
「まぁ元々拘束ではなく殺害を目的としているからね。私だから速いんじゃないさ」
「そうか。執行方法は?」
「斬首。首は袋の中に」
「血で部屋を汚してないだろうな?」
「ちゃんと私の魔術で傷口を覆って止血したさ」
そう言うとアイゼルは掌の上に『ガラス』を作り出した。「土」と「光」の二重属性による、『ガラス』と『鏡』による魔術がアイゼルの専門だった。
「宮廷で専属芸術家やっていた時よりも魔術の冴えが良くなっているんだから、私はとんだ人でなしだよ」
アイゼルは掌の上のガラスを鳥や馬等に変化させ、最後は鋭いナイフの形に変えた。先程の動物の形よりも洗練され、整っている。カーターはそれを指でつまみ上げ、砕くと、
「お前をこの世界に巻き込んだのは俺だ。お前は俺の誘いに了承し、人を捨てた。……だが、もしお前が望むのなら」
お前をまた──。
そう続けようとし、カーターは口を噤んだ。アイゼルはそれを指摘しない。その先の言葉が何であるかも、何故カーターがその言葉を飲み込んだのかも理解していたからだ。
「それよりカーター。水持ってない?口の中に埃が入って気持ち悪い」
「ほら、水筒だ。誤って飲み込むなよ」
「飲み込まないよ。まぁ飲み込んでも私は病気にはかからないけど、それはそれとして埃を体内に入れるのは気持ち悪い」
水を口に含み、近くの草むらに吐き出し、二人はその場を去った。地下室の薬品や死体の処理は、別に待機していた魔導局の者達が済ませることとなっている。
こうして、禁忌に手を染めた者がまた一人、この世を去った。薬品は押収・成分分析の後に処分され、地下組織の提携に関する文書は持ち去られ、地下室は埋められることとなった。
その後も、男と提携していたという地下組織への追跡が行われたが、ついに男へ魔薬を渡した者を突き止めることはできず、次なる事件へリソース確保のために保留案件として追跡が一時中止された。
▽
殺害、及び証拠品押収から数日後の夜。
雲に隠れがちの月光に照らされながら、黒いローブに身を包んだ一人の人物がかつての男の隠れ家を訪れた。今はもう、地下室など存在せず、ただのあばら家が森の中の廃村に佇んでいるだけだ。
「ふむ……あの男、死んだか。……いや、斬首ということは、残った脳から情報を引き出されでもしたか。……ふぅ、危ない危ない!予め男の脳を一部切除しておいて正解だった!」
ローブの人物は森の中から月光を仰ぐためにフードを外し、その姿を月に晒す。
ぼさぼさに伸び放題の荒れた白髪。金色の瞳、縦に裂けた瞳孔。その口は横に広く裂け、覗く口内には鋭い犬歯がずらりと並んでいる。
「ああ、月よ!太祖ロームニウスよ!我が人狼魔術、未だ完成せず!口惜しきかな!ライカントニック!出来損ない!我が醜態、惨めなり無様なり!失敗作を裏に流し黄金を得たは次なる研鑽のため!ああ、ああ、月光よ!我に祝福をぉぉぉ!」
後半、その声は狼の遠吠えへと変わり、その肉体は身につけている衣服をも取り込んで肥大化、黒色の体毛が全身を覆った。人狼と化した男はその場を音も立てずに去り、後には毛の一本すら痕跡として残らなかった。
▽
旧文明の滅亡と共に見出され、今や常識として存在する「魔術」。
その魔術の内、幾つかはその危険性を憂慮され、「禁術」として使用を制限、あるいは完全に禁止された。
しかし人々の欲望、あるいは探求心は禁術の秘奥に惹かれ、それに挑み、敗れ、虜となって暴走する者達が後を絶たなかった。
事態を重く見た治安維持組織である魔導局は、違反者を拘束……あるいは抹殺する執行者を望んだ。
これにより作られたのが魔導局「禁術処理課」である。
これは、禁忌に挑み、敗れ、その虜となった者達と。
それらを殺し、封じ、世を平穏へと導く者達との戦いを綴った物語である。
禁絶のアイゼル・カーター @cranefield
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