episode13:あれこれの帰結と、その先へ

第86話 変化する日常

 ひどく甘美な夢を見ていた気がして、頭を振りながら目を覚ます。

 キッチンの方から鈴を転がすような、絵本を読み上げるような、心休まる声が二つ聞こえて自分がどこにいるのかを思い出した。

 一晩の間に幾分馴染み深くなった部屋の、椅子の上に放り出された着衣や、小テーブルの上の開いたまま伏せた雑誌か何かが、それらの持ち主の名と顔を俺に鮮やかに思い出させる。


(ああ。そうだったな……)


 レダ・ハーケンとの一夜は現実。これまでの人生で想像すらできなかった、最高に幸せな朝だった。



 ベッドの足元に用意されていた、ひざ丈の半ズボンとゆったりした長袖のスウェットを身に着けて、部屋を出る。

 キッチンへ移動すると、膝上までのロングTシャツを羽織ってエプロンをつけたレダが、フライパンを握って何かかき混ぜていた。手前のテーブルでは、ニコルが食パン(風のなにか主食の塊)をトースターで焼いて、三枚出した皿にそれぞれ載せているところ。


「……おはよう、二人とも」


「おはよう、おじさん」


「やっと起きてきたか……へへ、ちょっと無理させちまったかな?」


「い、いや。こっちこそ?」


「……?」


 微妙な雰囲気になったのを感じて、ニコルが俺とレダを見比べる。俺たちは顔を見合わせて、どちらからともなく困り顔になった。


「おじさんとお姉ちゃん、なんか今日はいつもと違うね……先生の机にいたずらしたときの、メリッサと私みたい」


「……ニコル。そんなことしたのか?」


「あ」


 口を滑らせたと気づいてニコルの顔が赤くなる。


「あー。ニコル、あたしたちはいたずらはしてない。真面目にな、これからもっと仲良くしようねって約束したんだぜ」


「そうなんだ……!」


 またそんな、説明がややこしくなるようなことを。内心で頭を抱える俺をとりあえず救ったのは、着信音を鳴らし始めたレダの携帯端末だった。


        * * *


〈……ニコルの件、首尾よく行ったようで何よりだったわ。それと――どうやらルビコンを渡ったわけね、あなたたち〉


「へへ……姉貴にはお見通しかぁ。まあそういうこと」


 ニコルにはちょっと別室に行くよう言いつけてある。レダは通話をホロスクリーンを出してのオープンモードで受け、二人の会話は同席の俺にもそっくり聞こえる状態だった。もちろん、俺が何か言えばそれも市長に伝わることになる。


〈呆れた子ね……全く。一夜限りって訳じゃないんでしょうけど、年齢の差とか良かったの? サルワタリは大人だし、まあ悪くない男だと思うけど……レダ、一人で残されたらきっと寂しいわよ?〉


「分かってねえな。こんなご時世で二人ともこんな仕事だぜ。明日や明後日には機体もろともぽっくり行くかも知れねえんだ……年齢の差なんて大した問題じゃない。気にするだけ無駄さ」


 なかなか気合の入った啖呵だが、傍で聴いていると恐ろしい気分になる。俺はまだ、とてもじゃないがレダ程あっさりと自分の死について語れはしない。


〈やれやれね……まあ、そこまで覚悟決めてるんだったら何も言わない。悔いの無いように精一杯やんなさい……で、サルワタリ?〉


「あ、はい市長」


〈妹を頼むわ。泣かせたら承知しないからね?〉


「了解です……俺も男だ。責任は引き受けます」


 なんてことだ。自分がこんなセリフを言う日が来るとは。


「ハハッ。姉貴もさっさと良い男捕まえろよ……若く見えるツラしてるし、まだ余裕でイケるだろ?」


〈……考えておくわよ。で、ここからが今日の本題なんだけど〉


「どしたい」


〈ギムナン市は、有機土壌と水再生プラントの保全と運用について、イリディセント本社と対等な業務提携を行うことになったわ。うちの水や野菜は、今後イリディセントを通じて各環境制御都市ヴィラへ適正価格で販売される。これによってギムナンには今後、年額一億Aur@mの増収が見込まれます〉


「え……」


 レダが息をのむ。声にいくらか不本意そうな響きがあった


「プラントの補修用資材もイリディセントから格安で供給されるわ。その見返りに、こちらは土壌内の微生物フローラのサンプルを、向こうに提供することになってる。ニッケルソン会長はなかなか誠実な人ね」


 なかなかの好条件と思えた。レダは、これで何か不満なのだろうか?


「それって、結局前市長が進めてたプラント買収の話が、蒸し返されたって事じゃねえのか……?」


〈安心して。あの時の話とは条件が違うし、私たちの優先使用権も留保されてる。前の商談の時の関係者は、こっちの前市長も、イリディセントの当時の担当者ももうしょぶ……ゲホゲホ、更迭されてるし。結果は似てても、内容は完全に別ものよ〉


「……だったらいいけど。あの時の、姉貴の奮戦が無駄だったのかって、そう思っちまったんだよ」


〈ありがと……大丈夫よ、みんなの食べる野菜が減ったりとか、そんなことにはさせないわ。R.A.T.sの隊長代行の機嫌を損ねるのも困るしね〉


 そういって片目をつぶるジェルソミナ市長の顔は、幾分上気したような感じに見えた。


〈それと――サルワタリにはまた仕事をとっておいたわ。そんなに急ぎじゃないけど……帰ったらブリーフィングを行います。整備も体調管理も万全にお願いね〉


 ふむ。俺はうなずきながら、市長に訊き返した――次の仕事は、リグとモーターグリフ、どっちを使うのか、と。答えは――


〈モーターグリフよ。これは、あなたのグライフ昇格の試験も兼ねた依頼ってこと。発注主は、ディヴァイン・グレイスのカイリー総督〉

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