第85話 濃厚スープの夜

「いろいろあったけどさ……どうにか片付いたね」


 ソファの隣に腰掛けて、レダがこちらを見ずにぽつりとそういった。


「ああ……ニコルの件はとりあえず、もう安心だろう」


 アストロラーベとか言うおかしな連中の影もちらつき始めたが、そのことについてはこれから考えればいい。ゴルトバッハを横合いからかっさらわれたのは残念だったが、どのみちどこかで命のやり取りは避けられなかっただろうし。今は、このやり遂げた充足感を味わえば、それで十分だ――


「おっさん。ランキング、いまどの辺だっけ?」


「俺か?」


 目の前のローテーブルから、自分の端末を取り上げる。傭兵マークユニオンのポータルにアクセスしてランキングをタップ――しかけたところでレダにひょいと手首を掴まれ、その操作は完遂出来なかった。


「ったく……約束してたんだからさぁ。ちょっとは自分で気にして覚えとけって……さっきあたしが見たら、ちょうど二十位だ。バザードのすぐ下まで上がったな」


「へえ。もう、そんなにか……」


「あとはあの機体で一回、普通の依頼をこなせばそれで正式にグライフだ。ド素人から始めて、よく頑張ったよ……これならもう十分だよな」


 レダがもぞもぞと身をよじって、ソファの上で俺との距離を詰めた。間近に密着して、頭を俺の左胸、鎖骨の下あたりにもたせ掛ける。


「ん、あったかい……へへ、ちょっとドキドキしてるだろ、おっさん」


「そりゃあまあ、なあ」


 胸元に伝わるレダの体温が、肌に熱い。間抜けな返事しかできないのが少し腹立たしかった。


「あたしの心臓も、さっきからアラートが出っぱなしだ……ほら、ここ」


「え、おい」


 彼女が俺の手首をつかんだまま、その手を自分の左胸に引き寄せた。いつも腕を抱かれていた時よりも深い場所、丸い果実の下にある肉の薄い場所へと指先が導かれるが――はずみで俺の掌が、彼女の鋭敏な先端をかすめて触れた。


「んっ……」


 押し殺した吐息がレダの唇から漏れる。彼女の心臓は俺の掌の下で確かに力強く、そしてやや忙しげな鼓動ビートを刻んでいた。


「えっと――」


 何を言えばいいかも定かでないまま間抜けに開いた俺の口を、レダの唇がまた強引に塞いだ。右手が彼女の胸に吸い取られたまま取り戻せない。

 手のひらに感じた重みを確かめながら弄ぶうちに、レダがハアッと大きく息をついて唇を離した。


「ここじゃあ、ニコルが起きちまうな……あたしの部屋へ行こ」


「いいのか……?」


「いいに決まってるだろ。冗談だったのは最初のうちだけだ。逃がさねえよ」


「じゃあ、遠慮なく――」


 俺は渾身の力を込めて、レダを横抱きに抱きかかえた。


「うゎお。無理すんなよ……? おっさんの腹の傷が裂けたりしたら、あたし泣いちゃうぜ」


 腹の傷は確かに少し引き攣れを感じて、不安ではあったが――俺は細心の注意を払いつつ、ゆっくりと寝室のドアまで歩を進めた。いくらか乱れたシーツの上に、レダを下ろす。腰を伸ばして一息つこうとしたが、彼女は腕を伸ばしてそのまま俺をベッドに引き入れた。


「きッ……きんぐ・くりむぞ……」


「何だって?」


「いや、昔読んだなんかのセリフでな……ちょっと言わなきゃならない気がしたんだが――もういいか」


「変なの。訳の分からないこと言ってないで、ほら。もっと近くに来なよ」


 そうして、横向きに向かい合わせになった俺に全身を絡み付かせながら。レダはいつか同じディヴァイン・グレイスで言ったセリフを、俺の耳元でもう一度繰り返したのだ。


 ――じゃ、イイことしようぜ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る