第84話 他人(ひと)の去就に我が身も揺れて

「あらあら……意外と早く再会したもんねぇ……」


 そう言って面白そうに笑うエニッドは、くるぶし丈で暗い青のワンピースドレスに、同色のレースで出来たヘアボンネットをかぶって、「裕福な家の奥様」とでもいった雰囲気に装っていた。


「そうだな。てっきり俺たちが任務に行ってる間に、どこか他所へ移っているかと思ったが……まだ滞在していたのか」


「いやあ……実をいうとね――」


 そう言葉を濁しながら、彼女は近くにいた店員に声をかけた。


「すみませぇん、このゴールデンブッシープレコを二匹。この『三番』サイズの水槽に底砂とろ過機、水草も」


 ――ありがとうございます、5376Aur@mになります。お支払いはどのように?


「そんなでもないわね、じゃあこの端末から」


 ――ありがとうございます。


 読み取り機に俺たちのものと同型の丸い端末をかざすと、華やかな電子音が鳴った。それで決済が完了したらしい。

 だいたい日本円にして二十万前後くらいの買い物ということになるが――問題は値段よりも。


「熱帯魚って、つまり――飼うのか?」


「ええ。結局のところね、『天秤リーブラ』に登録してここに住むことにしたの」


 ほほう。まあ、有能そうな傭兵が敵に回りにくくなるのは、ありがたいと言えばありがたい――


「たぶん、当面は海中での潜水調査が主な仕事になるかなー。あ、もしかして、この間捜してたのってその子?」


 自分のことを話している、と気づいて、ニコルがエニッドを見上げた。


「こ、こんにちは……?」


「はぁいお嬢ちゃん。サンピエール島では挨拶もできなかったわね? あたし、このおじさんとお友達になったから」


(えー)


 レダが小声で嫌そうに唸る。ニコルはといえばパッと顔を輝かせてエニッドに手を差し出した。


「覚えてます! センスイカンに乗るときに、港にいた人ですよね? 耳のところが銀色で、ちょっとカッコいいなって……!」


「あらぁ。ありがと。そっか、猫ちゃんも一緒なのね? 良かったわねえ……これからもよろしくね」


 うんうんと無邪気にうなずくニコルに、これまた屈託のない愛想を振りまきながら、エニッドはプレコと水槽一式をどこかへ運ぶ指示をしたあと優雅に歩いて店を出て行った。


 こちらも乾燥タイプとウェットタイプの猫の餌、それにプルトップ式の猫缶を当面困らない程度に買いこんで、あとは子供騙しのような猫用おもちゃと、トイレを砂込みでカートに放り込む。大荷物だ。


「説明されるとおりにあれこれ買い込んだけど、こりゃ自力で運ぶのは無理だな……」


 重さはともかく、無茶苦茶かさばるのだ。

 四日分だけ別に取り分けてバッグに入れ、残りはギムナンへの配送を手配にかかる。すると、レダがちょっと俺の袖を引いて何か言いたげな様子をした。


「――なあおっさん」


「なんだ」


「いっそさ。おっさんも天秤に登録して、こっちに住まねえ……? ニコルにも――」


「そりゃあ、ニコルにも訊かないとな……」


 ニコルをダシにしたが、正直なところを言えば――あまりレダと物理的に近い距離で暮らすのは、俺としてはちょっとだけ不安を感じる。

 先ごろのファーストキスでなんとなく分かったが、その気になった彼女は相当に情熱的だし、愛情の表現が激しい。五十近いおっさんのくたびれた心身でどこまで付き合いきれるのか――そして、俺自身が自制が効かなくなりそうな予感もある。


 娘のようなつもりで彼女を見る俺のスタンスは、ありていに言えばこの年まで一人で気ままに過ごしてきた中年男の、姑息な自己防衛かも知れないのだ。そのくらいの自覚はあった。


 ――よぉニコル。おっさんと一緒にこっちに住んで、あたしと三人で暮らすの、どう思う?


 ――うーん……


(ホント、躊躇しねえなあ……)


 間髪入れずにニコルに突撃していくレダに、微笑と引きつり顔が半々になる。鏡で見たらさぞや情けない表情だろう。


「あのね、私、メリッサにありがとうって言わなきゃいけないの……それと、学校があと二年あるから。できればそれが終わるまでは、ギムナンでみんなと一緒にいたいな」


「そっか。んじゃこの話はもうちょい先送りだな」


 残念そうに笑ってこちらへ舌を出して見せるレダに、俺も苦笑いで返した。


「まあ、あれだ……ギムナンは馬鹿どもがちょっかいだして来なけりゃ良い所だからな。ものによっちゃ、グレイスここよりも俺の性に合う気もするし」


「あたしはどっちも好きだけど……まあ、贅沢に慣れ過ぎんのも心配だわな」


「ニコルはたくましい子だから、どこへ行ってもそこは大丈夫だと思うが、な」


 ペットショップをでた俺たちは、いったん下のフロアへとんぼ返りしてレダの部屋に着くと猫をケースから出した。最初は警戒して隅っこで丸くなっていたが、ニコルがソファに腰掛けて「ゾロ」と呼ぶと、仔猫特有のぴょこぴょこした動きで近づいてきて、ひょい、と膝の上に飛び乗った。


 ミルクとソフト餌を与え、しばらく遊んでやるとそのうちに寝床にしつらえたふわふわの猫小屋――「ちぐら」とか言う呼称があったような気がするが――に潜り込んで、満足げに目を閉じる。


「猫とか初めて触ったなあ……こりゃ、最高の贅沢なんじゃねえかな?」


「かもな」


 実のところ、ゾロに一番魅せられてしまっているのはレダだった。難民の生活まで経験してきた彼女たち姉妹にとって、猫を飼うなど想像したこともなかったに違いない。少し怖さもあると見えて手を出しかねていたが、一度ニコルから手渡されて小さなぬくもりを胸に抱くと、あとはもう語彙力を低下させてメロメロだった。


「さてと、メシは――さっき行こうと提案しかけてた、時々行く店があるんだけどいま調べたらデリバリーもやってくれるみたいだな」


 部屋のターミナルで店の詳細を確認して、レダがほっとした顔をした。

 軽食の配送を頼んで、届いたもので食事を済ませる。レダとニコル、そして俺という順番で小ぢんまりとした浴室を使い、入浴を済ませるとあとは寝るだけになった。


 それから二時間ほど。ニコルがようやく睡魔に襲われてベッドへ行くと――部屋には俺とレダだけになった。

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