シャブ中's シャブ
春ヲ楽ス
肉の章
セミを食っていることで有名な後輩が、
「ミシシッピ川のザリガニは、上流の製薬会社の排水で最高にハイになってるから、捕まえやすいらしいっすよ」
といったとき、わたしは何も意外性を感じなかった。
ただ一瞬だけ動きをとめ、すぐ目の前の獲物に集中力を戻す。
薄切り肉をさっと熱湯にくぐらせ、軽く色が変わったところでゴマダレにつける。タレをしたたらせながら首を伸ばして食いつく。うまい。肉の脂とごまの風味。混ざり合ってやわらかく溶ける。ほっぺが落ちそうだ。
「ハイになってると捕まえやすいの?」
「逃げませんから。気が大きくなってるんです。網に向かってくるわけです」
「なるほど」
次の肉をしゃぶりながらわたしはうなずいた。
「まぁ、ザリガニなら食べてもいいかな」
「肉が少ないだけでエビですからね」
「肉少ないの?」
「少ないですよ。ほとんど殻です。食える部分はほとんどない」
ケツをかじるしかない甲殻類っすね。うまいんですけど。
全身余すところなく食ってもらえるならともかく、わずかな可食部を狙われて殺されるのはたまったものではないな、と思った。
北海道の川でクマに内臓だけ食われるサケとか、欲深い人間にお目当てのフカヒレだけ切り取って捨てられるサメに同情しつつ、わたしは人間に生まれた喜びをかみしめる。
「虫はだいたい全身食えるんで、可食部って意味じゃ虫並みですね」
「そりゃかわいそうだね」
ゲテモノ食材の話をしながら食べる霜降り牛は格別の味だった。
後輩はセミを食っているらしい。
夏は毎日のように真夜中になると近所の公園に出かけ、セミ狩りをするのだという。羽化するために土から出てきたばかりの幼虫を拾って、焼酎に漬けて持ち帰る。
「ねぇ、聞いていい? セミっておいしいの?」
「…………」
「おいおい?」
「……おいしいです……よ?」
間があった。後輩は頭がよく、だいたいいつも正直者だったが、食へのこだわりは職場でも随一の変わり者だった。
以前見た密林の奥に住む未開部族のドキュメンタリー番組の、貴重なタンパク源摂取シーンを思い出しながら水を向けてみる。
「味は? カブトムシの幼虫とかはクリーミーだっていうよね?」
「セミは土みたいな味がしますね」
「なんでわざわざセミなんか食べるの? 食感が好きとか?」
「食感はぶにぶにしてます」
「おいしくなさそう」
「でもかわいいんですよ。地面から出てきてよちよち歩きで木に登ってるんです。かわいいでしょ……?」
「…………」
「で、そいつの背中をつまんで持ち上げると、ちっちゃい脚がうじゃうじゃ動いているんです。かわいくないですか……?」
「…………」
「にらめっこすると彼らは目がつぶらなんです。街灯の明かりが反射してて、きらっと輝いてて」
ぬめっとした光の間違いだと思ったが、後輩が恍惚としていたので止めずに語らせた。
「で、酒でシメて持ち帰るんです」
「食べちゃうんだ」
「食べちゃいます」
サイコパス度、三百点!
セミの幼虫はエビチリみたいな料理にして食うことが多いらしい。酒のあてにちょうどいいのだという。
「ザリガニは塩ゆでするだけで食えますよ」
「ふつうに美味しそうだよね」
「今度食べてみるといいですよ」
「遠慮する。ハイになりたくないし」
「ハイに?」
「生物濃縮」
「ああ、なるほど。製薬会社の闇ですね」
すでにそうとう酒が入っているので話の筋はめちゃくちゃだった。
後輩はざるだがわたしは確実に二日酔いコースだな、と、いろいろなものを諦める。
「セミが食いたきゃうちの山に来いよ。好きなだけ食っていいよ」
「けっこうです」
「なんで? 天然ものだよ。きっとおいしいよ」
「食ったことあるんですか?」
「ない」
わたしは即答した。後輩は軽く笑った。酔ってるんすね。
「セミは近所で採れるやつがいいっすね。お手軽にスナック感覚で食うのがいいんで」
しゃぶしゃぶのお店を出て、駅前で後輩と別れた。また来週。
改札を通って雑踏の向こうに消えていく後輩の背中を見送って、夜の街へと戻る。白い街灯に照らされた歩道。客を乗せたタクシーが我が物顔で走る車道。綺麗な都会。しかし脇道に一歩入ると、二十年間、まったく変わらない猥雑な素顔が姿をあらわす。
警戒心を一段階上げて、つい無意識に背後を振り向く。がらんとした道が闇の向こうまで続いている。無数の看板の三割くらいは電球が切れている。この国の斜陽を象徴するかのような光景が嫌いになりきれない自分がいる。
斜陽……そう、斜陽だ。
税金、無駄に高いよなぁと思う。
去年、わたしは山林を相続した。
そう、人生の三大地雷である山林相続だ。
どこにでもいる小市民であり、しがない会社員であるわたしは今さら林業を始める気などない。
キャンプ場を開設したり、アスレチック公園を作る気もない。投資も維持管理もめんどくさい
あるのは木だけ。やる気はない。
使い道のない山を相続してしまった。
所得税は高い。相続税はもっと高い。目玉が飛び出るほど高かった。でも払った。放棄しなかった。先祖の土地だったから。自分のルーツといえるものをわたしはそれほど多く持っていない。手放す気にはなれなかった。
しかし所得税は高い。
まったく使い道のない土地に毎年何十万円も税金ばかりがかかる。せめて何か生み出してくれる土地ならよかったのに。何も原油が出ろ、とまでは言わない。トントンでいい。
自販機の白い明かりの陰に、若い男が立っていた。
夜闇に紛れたシルエットは、あらかじめそこにいるとわかっていても見落としてしまいそうなほど目立たない。周囲の色と完全に同化している。
わたしはそいつにくしゃくしゃの紙幣を渡し、同じ手でタバコの箱を受け取る。わずか一秒での交換。軽い。タバコ箱の中身は半分くらいになっているし、細巻も箱の銘柄とはべつのものになっている。箱の側面の数字をたしかめて、ポケットからもう一枚、紙幣を渡した。もちろん手のなかに握りつぶして紙幣を古くしておく。男は当然の顔で受け取ったものを手のなかに隠した。
「高くなってない?」
「原材料が値上げしてるんだぜ」
「世知辛いね」
「これ使って幸せになってよ。試供品だからお代はいいよ」
「なにこれ? 違法薬物じゃないの? わたしは禁制品には手を出さないよ」
男が渡そうとしたパッケージの前でわたしが手刀を切ると、闇の中で彼は首を静かに振った。
「そっちで儲けてわたしの品は安くしておいてよ」
「全品値上げだよ。増税の世の中だろ?」
「払ってないだろ、税金。確定申告するヤクの売人なんて聞いたことないぞ」
わたしは自販機の前でこれ見よがしに悩むふりなんかして、缶コーヒーを買う。まるでアリバイ工作。誰かに見せるためのふるまいだった。くせになっていてやめられない。
「つけられてない。安心していい」
「そう」
「このあとは?」
「ラーメンが食べたいんだけどね」
炭水化物と塩分と脂質の誘惑を頭のなかだけで振り切った。
「今日のところは帰るよ」
「お気をつけて」
「うん、また」
「またのご利用を」
背を向けて大通りに戻る。明るくて、清潔で、安全な大通りに。タクシーはやっぱり客を乗せて軽快に走っていく。わたしは小半時ほど前に後輩が飲み込まれていった改札を通り、自宅アパートへの路線に乗った。
翌日、二日酔いと睡眠不足と移動の疲れに背骨をバキバキと鳴らしながら、わたしは相続した山林を訪れていた。
いくら先祖代々の土地を離れ、生活基盤がべつの町にあるとはいえ、相続してしまったからには義理を欠かすことはできない。組合とか、管理費とか。山は生き物だ。荒れ放題にしておくわけにはいかない。手入れされていないがために災害を誘発することもある。木々を枯死させる病原体の温床になることもある。その被害はたいてい自分の土地だけにはとどまらない。人に迷惑をかけないためにしなければならない義務は数多あり、たまたま山なんかを相続したにすぎないわたしがそのすべてを把握し義務を果たすなど土台できっこない。つまり専門家に委ねるしかなく、具体的にはカネが飛んでいく。いっそ捨てちまえれば、と思うが、そこは自分のルーツである。ドライになりきれない。あるいは切り捨てることができればもうすこし違った人生もあったかもなぁ、と不惑にもならないうちから自分の限界について考えてしまう。なんとかならんもんかなぁ。
林道は清々しい。
大自然が広がり、人間のちっぽけさを教えてくれる。
マイナスイオン、マイナスイオン……と胸のうちに唱えてもオトク感はない。ひどく割高な空気清浄機の噴出口を吸っている気分だけが胸を満たす。
慣れない山歩きをしているとやたらと見慣れたものが目に留まった。
「これって……」
ガードレールの向こう、茂みの中にひっそりと、そいつは目立っていた。運命の出会いだった。わたしに見つけられるのを待っていたかのようだった。
麻だった。
大麻草だった。
「まぁ、自生してるとこだってあるだろ……」
ひとりごとの声音が上ずった。
口元にかすかに笑みがこぼれる。
予感に突き動かされて、いや、しらばっくれるのはやめよう、はっきりとした期待をいだいてわたしは整備された林道をそれて下生えの比較的薄いところを進んだ。かろうじてけものたちが踏み固めた斜面をよたよたと行く。古い落ち葉に足を取られながら、文明に慣らされきったわたしの全身はものの数百メートルできしみ始めた。息はとうに乱れている。体がネをあげていた。
しかし、見た。
見つけた。
「ははっ」
木々の少ない開けた斜面に一面の緑。
ケシだった。
自生していた。
「ミシシッピ川のザリガニは、上流の製薬会社の排水で最高にハイになってるから、捕まえやすいらしいっすよ」
後輩の言葉がフラッシュバックする。
半年後、わたしは脱サラし、畜産業を始めていた。
肉が売れている。
トントンどころではなかった。
相続した山はわたしにのどかな田舎暮らしと早すぎるアーリーリタイアをもたらした。それは印税生活の次くらいに理想としていた未来像の実現だった。
「いっぱい食えよ~」
さわやかな牧場の午後。
わたしはヤギの仔におやつを与えていた。ここのブランド肉を育てるうえで欠かせない工程のひとつだ。
乾燥させた葉っぱの匂いを嗅がせる。仔ヤギはあごの下までよだれを垂らしている。なんともいたいけで可愛らしい。仔ヤギは前足を足踏みさせた。焦れている。この葉っぱをムシャれば最高にハッピーになれる。経験が彼にそう教えていた。
「ハッピー牧場のハッパ肉……じゃなくてハッピー肉だね!」
仔ヤギの瞳はつぶらにランランと光っていた。
生物濃縮である。
うちは厚利少売戦略で、かぎられたルートにしか卸さない。直売もしない。ここで生み出された肉や乳は特別な顧客へ、特別なお値段で配送される。
いやいや、勘違いは困る。
べつに違法行為ではない。
わたしはただ肉を売っているだけ。どんな肉屋でも客の料理方法に注文はつけない。顧客がどんな食事体験を楽しもうと知ったことではない。
裏社会は狭い業界である。
最高にキマる肉があるといううわさは、たちどころに広まった。
おいしいお肉を食べてハッピーになれる。薬物の強烈な副作用である痩せすぎ、体力低下を、肉の滋養で防ぎながら、多幸感のみを味わえる。一口で二度おいしい。
わたしは紀元前の羊飼いと同じように朝もやの中、畜舎からけものたちを追い、夕べには帰ってきたけものたちを安全な囲いと暖かな屋根に迎え入れる。彼らは一日中原野をさまよい、腹いっぱい食べ物や嗜好品を堪能する。畜舎でしずかに眠る彼らはとても満ち足りているように見えた。
森のオオカミやクマも、わたしの家畜には食指をのばさない。シマウマとチーターの話を知っているだろうか。野生下でチーターは狩人である。シマウマは狩られる獲物である。チーターは牙と爪を持っているが、シマウマが持っているのはやわらかい脇腹。自然がつくりだした舞台で、彼らの関係は食う食われるの関係にある。ところが柵がある環境で、立場は大きく変わる。食事以外の時間が圧倒的に多い状況では体格と体重が両者の関係を決める。シマウマは華奢なチーターを恐れない。チーターを見慣れてしまったシマウマは捕食者の細さを侮り、持ち前の傲慢と強情と獰猛さを発揮し始める。動物園で狭い檻に入れられるとシマウマとチーターの力関係は逆転してしまうのだ。いかな獰猛の代名詞たるネコ科の猛獣といえども、ステゴロのタイマンでは体格に勝る大型草食獣には歯が立たないのだ。ではなぜ野生シマウマは食われてしまうのか。ビビっているからだ。体のサイズと、相手を見下しきった態度こそが自然界での真の強さ。その強みは狭い檻のなかでは封印されてしまう。
つまりメンタルの勝負なのだ。
閑話休題。
うちの家畜はハイになっている。勇敢になっている。気が大きくなっている。幸せだから何でもできる気になっている。
だから食われない。
オオカミやクマを返り討ちにしてしまう。捕食者を集団で囲んでリンチしてしまう。何日かに一度、敗走するみじめな悲鳴と勝利のカチドキが山間に響く。
ざわ……
ざわ……
薄暗いフロアは満員御礼だった。
低音を中心に組み立てられたノレる音楽が人の林を揺らしている。
タバコと香水と酒の臭いが混じり合った空間。さまざまな臭いで満たされたこの場所からカネの臭いを嗅ぎ取れる人種がいる。
何ヶ月かに一度、わたしは文明の地にもどってくる。
もともと引きこもり気質なところもあって、ずっと山奥で生活するのは全然苦痛ではない。インターネット回線とアマゾンの配送が行き届いていればどこでも暮らせる自信がある。食事にこだわりはない。服はジャージでいい。クレジットカードと預金残高さえあるなら死ぬまで部屋から一歩も出なくなってかまわない。
だからこそなるべく部屋を出て、街へ下りるようにしている。
義務のように思っていないと、自分が際限なく引きこもる人間だとわかっているし、たまには外出して社会勉強をするのも悪くはないと思っている。ここならめずらしい酒が飲めるしね。空気はまずいけど。
音楽の爆音の隙間を抜けて、シャバい若造の裏返った声が人垣の向こうから聞こえてきた。
ハイになって踊っている人間たちが気にした様子はない。わたしは今後の参考に少しだけ盗み聞きしてみた。
「安くなってねえ!? なんで!?」
「競争が厳しいんだよ」
「うっそだろ? これでも結構危ない橋、渡らされてるんだぜ?」
「嫌なら自分で買い手を見つけろよ」
話していた相手はわたしも知った顔だった。
最近、売人のなかでもかなり目立っているようだ。
「もうこのバイトやらねえ」
シャバ造は不貞腐れたように足を投げ出す歩き方で、フロアの出口へと向かう。
横目で見送っていると、顔も名前も知らない売人が声をかけてきた。
「興味ある感じ?」
わたしが違法のやつはやらないことを、そいつは知らないようだった。
周囲の喧騒にかき消されないように、自然と至近距離での内緒話になる。薄暗いなかでも顔がよく見えるようになった。やっぱり知らない顔だ。
「肉のやつなら」
「あれ? 詳しい感じ?」
「あるの? ないの?」
「あるよ、あるけど、高いよ?」
売人はカバンのなかから真空パックされたビーフジャーキーのようなものを見せてくれた。違法じゃん。どうせ食品営業許可取ってないだろ。
「いくら?」
買う気はないけど値段は知りたいと思った。自分がつくっているものの末端価格を知っておいて損をすることはない。
「■■万円」
損した気分になることはあるだろうけど。
こんな小指一本分くらいの大きさで
売人はこともなげに値段をいった。腹が立ってくる顔だ。
直売したくなってきた。とんでもない誘惑だ。戦争を覚悟しなくてはいけない。中間搾取をなくすとは、下剤で寄生虫を殺すようなものだ。宿主にも相応の苦しみがある。
「急におなかいっぱいになってきた」
「がっかりしないで。こんな高止まりしてるのは今だけだから」
「というと?」
「そのうち増産するらしいよ? よく知らないけど」
「へえ、増産するんだ」
一応、うちにそういう計画はない。
誰だぁ? わたしの商売に汚い手を突っ込もうとしているのは? 戦争だぞ。
鳴き声以外全部食う。
という沖縄の言葉がある。ブタのことだ。この言葉には、いただいた命のあらゆる部位を有効活用する沖縄の人々の知恵と心意気と矜持が詰まっている。
ハッピー畜獣も同じだ。
肉、骨、モツはいうまでもなく、蹄、体毛、血液、未消化物、果ては排泄物まで、
排泄物まで利用するだなんて、オエッ——そう思うかもしれない。だが最高級コーヒーのひとつ『コピ・ルアック』はジャコウネコの糞便から未消化の豆を採取したものだ。捨てるもののなかにこそ価値あるものが埋もれている好例といえる。
何より重要なことだが、合法的に売れる。持てる。使える。
わたしたちは幸せのために生きている。
生活のために時間の大部分を金稼ぎに拘束されたり、逮捕されて自由を奪われるなど、不幸の最たるものだ。
人生は短い。
若い時間はもっと短い。
大きなものを得るならなるべく若いうちに。死ぬ日の午前に宝くじに当選したってしょうがない。そりゃ何も得ないよりはいいだろうけど。
そしてすべて合法でなければ。
だからわたしは脱サラし、ハッピー肉を売り、人々から感謝されている。
『認知症の母が元気になりました。以前は急に泣き出したり塞ぎ込んだりしてかわいそうだったのですが、お肉を食べるようになってからは毎日楽しそうです。大好きだったテレビを見て笑うことが増えました。どんな番組を見ても笑っています。なんなら画面が点いていなくても笑っているほどです。お肉ってすごい!』
『志望校に合格しました!』
『同性の恋人と入籍しました!』
『ネットの誹謗中傷を開示請求して慰謝料を取りました!』
『美味しいお肉をありがとう!』
こちらこそお買い上げありがとう。
毎日のようにおたよりが来る。
顧客たちの人生はバラ色のようだった。
感謝と感謝の輪がつながる。ハッピーの連鎖だ。世界中に広がるといいなぁ。
ここはわたしの楽園。もう何年もずっとふわふわした気分が続いている。まるで夢のなかで暮らしているかのようだ。
時折、人里離れた山のなかの牧場を訪れるひとがいる。
「よう、繁盛してるかい?」
「まあまあだね」
わたしはヤギの背中をなでながら答えた。
あの自販機の売人だった。
やつと違ってわたしは確定申告をしている。堂々とクソ高い税金を払っている。食肉を売っているだけだ。なぜか高値で売れるだけだ。何も違法性はない。
「あなたのところの肉は評判がいい」
「何よりだね」
「仕入れを増やしたいんだが……」
「うれしい言葉だね。でもあいにくだけど、この牧場が作れる肉はもう限界なんだ」
「生産を増やせないのか? いくらか投資を集めてもいい」
男はいやに下手に出てきた。肉屋の卸しはよほど儲かるらしい。他に誰もいないから聞かれる心配はないのだけど、わたしは声をひそめるそぶりをしながら言いかけた。喉まで言葉が出かかっていた。
こんな肉、大々的に作れるわけないだろ。
土台が脱法肉だ。派手にやれば規制されるに決まっている。
この商売も引き際だな、と思った。
だが断られたこの男はべつの牧場に話を持っていくだろう。そこで家畜にハッパを食わせる。おそらくは自生していない養殖のハッパを。うちの牧場のように放牧した動物が勝手に食ったなどという言い訳が成立する都合のよい舞台は、めったにないのだから。そしてその生産方法は立派な犯罪だ。ハッパの養殖は犯罪。どこかの牧場で摘発されればこのビジネスは賞味期限切れになる。すぐに法の抜け穴が塞がれて、この牧場にも藍色の制服がパンダカーで乗りつけてくる。
まだ稼いでない。
完全リタイアできるほどの貯金はない。
高跳びできるくらいのたくわえが必要だ。
「わかった。カネを集めてくれ」
「やってくれるか!」
男の顔が輝いた。瞳はランランとしていて、キマッてるような感じがした。
「カネだけじゃたりない。ヒトも集めてほしい」
なるべくクスリに詳しい者。
クスリの使用期間が長い者。
太っていればなおいい。
それがわたしの出した条件だった。
腹を割り、ワタを抜き、肉を取っている。
わたしが出荷されていく。
全世界にカケラが飛散し、数多の口から鼻から皮膚から
いま、わたしの前には原木がある。生ハムの原木だ。前脚の付け根から切り落として加工されたみごとな一品である。天井を突くような姿勢で屹立している。末端価格で一本200万円はくだらない。お祝い価格のクロマグロなみに高級食材だ。
生物濃縮である。
シャブ中毒者の肉、略してシャブ肉。
シャブ肉には生物濃縮したシャブ成分が豊富に含まれている。
生物濃縮の原理では、特定の成分が排出されずに体内に蓄積された結果、食物連鎖によって、より上位の捕食者にますます多量の成分が溜まっていくことにその妙味がある。現代の地球においてヒトはあらゆる生物種を超えた頂点捕食者である。ヒトを主食にするけものはいない。いなかった。ヒトの肝臓は毒物の代謝分解に長けている。ゆえにヒトは貪食でいられる。さまざまな有機体を食材とみなす。ヒトほど多様な食材を摂取する生物種はほかにいない。
ヒトの肉にはその個体が摂取してきた成分、その残滓が濃く、濃く、濃く溜まっている。まるで人の歴史のように堆積している。
これがハッピー肉を越えた最強にキマる肉。
シャブ中's シャブである。
シャブ肉の原材料は多彩だ。ほぼどんな生物でもシャブ肉の材料になりうる。更生可能点をとうにすぎた廃人ジャンキー、シャブが好きすぎてシャブになりたい志願者、そしてわたしのドル箱に手を伸ばしやがった同業者……。戦争だといったはずだ。
あらゆる生き物が材料になる。八十億を超える世界人口の問題を解決する素晴らしいアイディア! 飢えたる衆生を救済する魔法! カロリーを増やし、口の数を減らす。一石二鳥の
環境活動家のなかには、土地あたりの収穫カロリーを有効利用するために畜産をやめろと唱えるやつがいるらしいが、とんでもない! 畜獣は人間が消化できない有機物を、人間が消化可能な栄養素に変えてくれる。その尊い命をもって命のバトンをつないでくれる救世主なのだ。
いまや救世主になるチケットは家畜だけの特権ではない。
みなが救世主になれる時代だ!!
地球人類は文字通りひとつになるのだ!!
破滅は意外と早く訪れた。
初めから長く続けるつもりはなかった。
短期間で稼いで、さっさと店じまいするつもりだった。
ハッピー肉とは異なりシャブ肉は完全に違法。知らない人もいるかもしれないけど、人間から肉を取ると死体損壊罪になってしまう。
それにしても栄光の時は短かった。
きっとかなり前から泳がされていた。くそ、何が「つけられてない」だ。ふしあなめ。
「警察だ!」
「ドアをあけろ! 観念しろ!」
やつらはサイレンも鳴らさずに乗り込んできた。
マナー違反1、容疑者をお迎えに上がる治安当局者は、映画みたいに堂々と登場するように。
声が響いたとき、わたしは牧場の事務所ログハウスにいた。
玄関ポーチで、警官が扉を蹴破るような勢いで怒鳴っている。
さすがにシャブ肉を売るのはまずかったらしい。
二重の意味でまずかった。シャブ肉、おいしくないしね。おいしくないのはよくないよ。ハッピー肉までにしておかないといけなかったな……。
欲をかくとだめだね。
ため息をしながら立ち上がり、扉についている小窓を確認する。怒り心頭って顔だ。カーテンを閉める。怒声のトーンが高くなる。
マナー違反2、まさかたったふたりで来るなんてね。
室内に取って返したわたしは壁に向かうと、そこに掛けられた散弾銃に手を伸ばし………………
…………
……
「…………はぁ」
近頃また値上げしたタバコの煙を吐きながら、わたしは幻覚を頭から振り払った。
自宅アパートでテレビを見ながら寝落ちしていたらしい。指のあいだで細巻きがほとんど
『南米で今週摘発された牧場は合計297箇所に上り——』
『"肉"を根絶したはずの街で異変が起きています。薬物を使用した過去のある人や、"肉"の元愛好家が襲われ、喰われているようなのです……』
『スペシャルデー・ドキュメンタリー。今週のテーマは"始まりの牧場"。全世界を震撼させた人肉売買――人肉牧場。今も逃走中の容疑者は警官を散弾銃で——』
わたしは南米にいる。
知らない街にもいる。
そして、ここにいる。
肉をつくり、売る者は、すべてわたしだ。
全世界に遍在している。
視界の端では、生ハムの原木が天井を突くような姿勢で屹立していた。
了
シャブ中's シャブ 春ヲ楽ス @SPRING_WISH
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