紳士の告白と戦地への誘い

文川ふみかわさんってさ――銃とか、興味ある?」

 そう聞いたとき、私は多分呆けた顔をしていたと思う。それはおよそ仕事の合間の休憩中に聞くような、穏やかな話題ではなかったからだ。啜りかけていたカップ麺は、箸に持ち上げられたまま所在なさげに宙に浮いている。

 今、目の前のこの人は何と言ったのだろう。

「ああ、驚かせるよね。急にこんなこと……」

 後れ毛ひとつなく美しく撫でつけられたその頭を恥ずかしそうに掻き、財務部の網野あみのさんは銀縁眼鏡の奥の瞳を細めた。話題に反して、その表情はいつも通り他人を安心させる柔和な笑みで、私は少しだけ安心した。

 他部署から異動してきたばかりの私は、昼食時間に仲の良い同僚同士が連れ立って外出する中、図々しく連れて行ってくださいとも言えず、こうして毎日休憩室の隅っこでひとりカップ麺を啜っていた。

 隣の部署の網野さんはそんな私を気にかけてか、たびたび休憩中に話しかけてきてくれた。親子ほども年齢の離れた彼は、20代の小娘に合う話題を模索してくれたのだ。彼と話をしているこの時間が、慣れない仕事生活の唯一の癒しとなっていた。

 面倒見の良い折り目正しい紳士。それが網野さんに対する私の印象だったのだが、気のせいだっただろうか。

「サバゲー……って言って、分かるかな?」

 さばげー。サバイバルゲームの略。知っているのは知っている。あれだ、エアガンを持って人を撃つ遊びだ。若い人たちの間で流行っているらしい。私も分類上は若い人なのだが、その話題にはとんと疎い。

 それにしても、目の前の穏やかな紳士と物騒なゲームが全く結びつかなくて、私は少し笑ってしまった。

「網野さん、サバゲー好きなんですか?」

 その笑顔を肯定と取ったのか、彼は顔を綻ばせた。

「そう、そうなんだよ。人を選ぶ趣味だから、あまり言わないようにしてるんだけど……文川さんだったら話してもいいかなって」

「何ですか、それ」

 私はとうとう吹き出して笑ってしまった。彼の中で私はどういう人間に映っているのだろうか。網野さんは秘めていた思いを打ち明けるように、おずおずと語りだす。

「野山を駆け巡って物陰から人を撃つ、あのスリル……エアガンだから実銃ではもちろんないんだけど、日々のストレスが全部消えていく感じがこう……堪らないんだよね」

 ああ、なるほど。360度いつどこから見ても品行方正な笑みを絶やさず、己の部下だけでなく他部署の平社員すらも気に掛けるマネジメント能力を持ち、上司からの信頼も厚い次期部長候補ともなると、その双肩にかかる期待やストレスは計り知れないのかもしれない。人には言えない趣味もあろう。

「楽しそうですね」

 今この瞬間の彼自身の様子を見て、私はそう感想を漏らした。

「そう思う? 良かった……もし良かったら、文川さんもどうかなって」

「え、私ですか」

 そう来たか。お誘いが来るとは想定外だった。すっかり冷めた麺を再びぬるいスープに戻しながら、私は考える。サバゲーどころかほぼ運動をしない生活を送るOLにとって、休日に運動しませんかというお話は基本億劫だった。

 けれど……このまま断ってしまうのも何だかはばかられた。こうやって一人寂しく昼食を取らざるを得ないこの状況も、元はと言えば根暗な私自身のせいなのだ。もっと他人に興味を持ち、あらゆる事柄に飛び込まねば、人間関係なんてそう簡単に構築できないのだ。これはきっとチャンスだ。

 私は清水の舞台から飛び降りるような気持ちで返事をした。

「ぜひ……連れて行ってください」

「……本当? 嬉しいな」

 眼鏡の紳士は破顔した。


 今思えば、この時の私の判断は間違っていなかったと思う。

 けれど……飛び込まなくてもいい世界があるということを知ったのも、また事実だ。

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