後編

 婚約破棄騒動から数週間後。

 3年生に進級したアルヴィンは、いつものように学園の中庭で昼食を摂っていた。


「アルヴィン様、どうぞ召し上がってください」


 ニコニコと笑顔を浮かべ、手作り弁当を薦めてくるのは2歳年下の小柄な少女だった。

 幼さが残る可愛らしい顔。肩の上で揃えられた青みがかった髪。タレ目がちの目元は大人しそうな印象を与えるものの、キラキラと輝く青い瞳には強い意思が宿っている。

 彼女の名前はティトラ・イルティーナ。

 アルヴィンの新しい婚約者で、今年から貴族学園に入学してきた新入生の少女である。


 前の婚約が解消されてから2ヵ月と経っていないにもかかわらず、アルヴィンはすでにティトラという新しい婚約者を得ていた。

 そのきっかけとなったのは……意外なことに、卒業式で勃発した婚約破棄騒動である。

 婚約が解消されてから、アルヴィンは浮気相手であるジュリウス・カイル伯爵子息について調査した。

 恨んでいるわけではなかったが……やはり格下の伯爵家に泥をかけられたとなれば、公爵家として泣き寝入りするわけにはいかない。しかるべき抗議と圧力をかけるべく、カイル伯爵家を調査することになったのだ。


 調査によりわかったことだが……ジュリウスにもまた将来を約束した婚約者がいた。

 その婚約者こそがティトラ・イルティーナ。イルティーナ侯爵家の令嬢である。

 驚くべきことに、ジュリウスは格上の侯爵家の令嬢との婚約を蹴り、さらに格上の公爵家のアルヴィンから婚約者を奪い取ったのだ。

 カイル伯爵家には抗議の手紙を送ったが……いまだにその返答はない。対応に困っているのか、ジュリウスが王女と婚約したことで公爵家を下に見て侮っているのか、どちらにしてもいい度胸である。


 カイル伯爵家に相応の報復をすることに決めたアルヴィンであったが、その前にイルティーナ侯爵家を訪問することにした。

 アルヴィンがキャロラインの暴走を止めることができなかったせいで、ティトラまで婚約者を失うことになったのだ。キチンと面と向かって謝罪をしておくべきだと思ったのである。

 幸いなことに、イルティーナ侯爵はジュリウスに対しては憎しみを抱いていたが、アルヴィンには含むところはなかったようだ。

 侯爵家の屋敷まで謝罪に来たアルヴィンにも丁寧に対応してくれて、すぐにティトラにも会わせてくれた。


『アルヴィン・リグウルフ様。私などのためにわざわざお越しいただき……え?』


『ティトラ・イルティーナ嬢。急に押しかけてしまった無礼を許して……あ?』


 初めて顔を合わせたアルヴィンとティトラであったが……2人は申し合わせたかのように言葉を失う。

 同席したイルティーナ侯爵が怪訝な顔になって2人を交互に見るが、もはやアルヴィンとティトラにはお互いの顔以外は目に入っていなかった。


(なんて愛らしいんだ……優しげな相貌にアクアマリンのような青い瞳。まるで宝石に宿った精霊のようではないか)


(なんて逞しいのかしら……精悍なお顔立ちに力強い身体つき。まるで伝説に語られる竜殺しの英雄のようではありませんか)


 初対面の相手に同時に一目惚れをする……それはまさに、運命のような出会いだった。


「…………!」


 さらに……アルヴィンは気がついた。

 アルヴィンとティトラの小指からはそれぞれ赤い糸が伸びており、お互いをキッチリと結びつけている。

『縁使い』の加護で視認した糸は、キャロラインとジュリウスの指についていたものとは比べものにならないほど太い。まるで頑丈なロープのようだ。

 おまけに金糸を編み込んであるように黄金色に輝いており、ただの赤い糸でないことは明白だった。


(赤い糸は『恋愛』の糸。それにこの金色は……まさか『幸運』の糸か!?)


 金色の縁の糸は『幸運』を表している。

 金の糸で結ばれた者は互いが互いにとって幸運をもたらす者。一緒にいることで幸福を招き寄せ、周囲にいる人間にも運気を分け与えることができる糸なのだ。

 つまり、アルヴィンとティトラは単なる恋人や夫婦以上に選ばれたパートナーということになる。


「結婚してくれ!」


「はい、喜んで!」


 アルヴィンはすぐさまティトラに結婚を申し込み、ティトラも二つ返事で了承した。

 両親は呆れながらも2人の意思を尊重し、出会ってから半日とかからずに婚約が成立することになったのである。


 そして、春休みが明けてティトラが貴族学園に入学してからは毎日のように逢瀬を交わしている。

 昼休みには中庭で手作り弁当を食べるのが日課となっていた。


「うん、美味いな。ティトラは本当に俺の好みを知り尽くしている」


「アルヴィン様は私と趣味嗜好がよく似ていますから。私が好きなものを作れば、アルヴィン様にも喜んでもらえるのです」


「そうか。相性バッチリってことだな。本当に君と婚約できてよかったよ。俺の愛するお嫁さん」


「もう……こんなところで恥ずかしいですわ……私の素敵な旦那様」


 学園の中庭には大勢の生徒が行き交っていたが……そんな視線をはばかることなく、2人は公然とイチャイチャしている。

 婚約破棄されてすぐに婚約したアルヴィンとティトラに対して、学園に通う生徒達は色々と下世話な想像をしていた。だが、それもこんな仲睦まじい姿を見せつけられれば悪い噂も吹き飛んでしまう。


 中庭を通りかかった生徒達は甘ったるい空気にあてられたように顔を引きつらせ、邪魔をするまいと無言で立ち去っていく。


 だが……そんな親しげな恋人達を素直に祝福できない人間もいた。


「何なのよ……幸せそうにしちゃって、私に当てつけているつもりかしら!」


 ヒステリックな王女──キャロライン・ウルベルティアである。

 3年生に進級したキャロラインであったが……その容貌は以前とは大きく変貌していた。

 目の下にはくっきりと色濃いクマができており、頬は痩せこけている。美しかった金髪も手入れがされていないのか、艶を失ってボサボサになっていた。

 顔だけが取り柄だったというのに、まるで鬼女のごときやつれっぷりである。


 キャロラインが短期間でこうも変わり果ててしまった原因は、アルヴィンが婚約者でなくなってしまったことだった。

 次期女王となる未来を約束されているキャロラインであったが、学業の成績は平凡以下。王として手腕を振るえるレベルに達していない。

 そのため、優秀な配偶者としてアルヴィンが選ばれたのだが……キャロラインが自らそれを手放してしまった。

 新しく婚約者に選んだジュリウスは『剣聖』の加護を持っていたが、勉学はキャロラインよりもさらに下回るほど。王の補佐を任せることなどできない。


 結果、婚約者に頼ることができなくなったキャロラインは1から帝王学を学び直すことになった。

 娘に甘い国王も今回ばかりは容赦をすることなく、キャロラインの再教育に手を抜く様子はない。ここで再教育に失敗すれば、キャロラインはもはや女王になれないとわかっているから必死である。

 寝る間も惜しんで勉学をすることになってしまった結果、キャロラインの肌は荒れ、頬はくぼみ、以前とは見違える凄惨な顔立ちになってしまった。


「私がこんなに苦しんでいるのに……どうして、捨てられた貴方はそんなに幸せそうなのっ! 誰のせいでこうなったと思っているのよ!?」


 楽しそうに昼食を摂るアルヴィンを見つめ、キャロラインはギラギラと瞳を憎悪に燃やす。

 キャロラインが受けている苦境は自業自得なのだが、自分本位な彼女にはそんなことすら理解できない。

 文句を言わなくては気が済まないと、イチャイチャしているカップルへと向かって行く。


「アイツは……今さら、何のつもりだ?」


 取り巻きを引き連れて近づいてくるキャロラインに気がついて、アルヴィンが眉をひそめた。


「あの方はひょっとして……アルヴィン様のかつての婚約者……!」


「お、おいおい! ティトラ!?」


「アルヴィン様はご心配なく! 私が話をつけますから大丈夫です!」


 近づいてくるキャロラインに、ティトラがシートから立ち上がる。まるで天敵に立ち向かう子ネズミのようだ。

 可愛らしい容姿。柔和な顔立ちから控えめな印象を人に与えるティトラであったが……実は意思が強くて前向きな性格だった。

 愛しい恋人を捨てて傷つけた……と思っている女に対して、一歩も引くことなく立ち向かうつもりなのだろう。


「勘弁してくれ……可愛い婚約者があんなのと話して、ちょっかいをかけられるなんて見過ごせないぞ?」


 キャロラインという女は関わった人間すべてを傷つけるような地雷女である。

 そんな元・婚約者と愛するティトラが関わりを持つのは避けたかった。


「仕方がない……『縁使い』」


 アルヴィンはギフトを発動させる。人と人とのつながりを司る不可視の糸がアルヴィンの瞳に映しだされた。

 アルヴィンは目の前にある無数の糸のうち、キャロラインからアルヴィンとティトラに向かって伸びている漆黒の糸に狙いを定める。


「悪縁断絶」


 指を立ててハサミを作り、パチリと糸を断ち切った。

 キャロラインから伸びた黒い糸が失われ……身勝手な王女との『縁』が消失する。


「え……?」


 すると、こちらに向かっていたキャロラインの頭に何かが落ちてきた。


「アホー、アホー!」


「きゃああああっ!? と、鳥のフンッ!?」


 キャロラインの頭に落ちてきた物の正体は、頭上を飛んでいたカラスが落としたフンだった。

 髪を汚している鳥のフンに周囲にいる令嬢を巻き込んでパニックに陥る。


「いやあああっ! 私の、私の美しい髪がああああっ!」


「キャロライン殿下っ!?」


「ちょっとアンタ達、早く取りなさいよ!」


「え、わ、私がですか!?」


「えーと……手で取るのはちょっと……」


「汚いですし……」


「そんなことより早く洗わないと……あちらで着替えを……」


「わー」「ぎゃー」と騒ぎながら、王女と取り巻きは校舎のほうに逃げ帰ってしまう。

 肩透かしを食らった形になり、ティトラがパチクリと瞬きを繰り返す。


「な、何だったのでしょう。あの方たちは?」


「さあな。俺達には関係のない奴らだよ……今までも、そして、これからも」


『縁使い』の能力は縁の糸を見るだけではない。

『縁』は必ずしも良いものばかりではない。『悪縁』や『因縁』のように悪い影響を与えるものもある。アルヴィンはそんな悪い縁を断ち切ることにより、他者から向けられる悪意を祓うことができるのだ。

 縁を絶たれた以上、どうやってもキャロラインは2人に接触することはできないだろう。時間が経てば新しい縁が結ばれるかもしれないが、その時はまた切ればいいだけのことである。


「……もう、アイツと関わることもないだろう。どうせ時間の問題だ。忘れたほうがいい」


 校舎に消えていくキャロラインの背中を見つめるアルヴィンの目には、先ほどとは別の縁の糸が見えていた。

 走り去るキャロラインの全身に蛇のように巻きついた無数の糸。毒々しいまでに赤黒い。まるで斑に固まった血液のようである。

 恋愛の『赤』。憎悪の『黒』──2つの感情が混じりあった糸だった。


(キャロラインは多くの男と関係を持っていた。その中からジュリウスという男を選んだ。捨てられた男達は自分を弄んだ王女を恨んでいるだろう。狂おしいまでに)


「……俺はもう、アイツを狙っている悪縁を切ってはやらない。これからは自分の力で何とかするんだな」


 これまでにもキャロラインは人から恨みを買うことがあった。あの性格だから当然だ。

 しかし、アルヴィンがさりげなく悪縁を切って祓っていたために、大事になることなく済んできたのだ。

 もう悪意を祓ってくれる婚約者はいない。

 ワガママな王女は遠からず破滅することだろう。己を取り巻く、悪意と憎悪の糸に絞め殺されて。


「アルヴィン様? どうかされたのですか?」


「……何でもないよ。昼ごはんの続きをしようか」


 アルヴィンとティトラは昼食を再開させた。

 アルヴィンは可愛い恋人の手料理に舌鼓を打ち、ティトラはそんな恋人を幸せそうに見つめている。

 幸福な恋人たちの間には何の悪意もなく、ただただ穏やかな空気に包まれていたのである。




 1ヵ月後。アルヴィンの予想は的中することになる。

 キャロラインは何者かに毒を盛られ、生死の境をさまようことになったのだ。

 一命を取り留めたものの、毒の後遺症として全身に紫のアザが残り、手足が動かなくなってしまった。

 もはや女王として国の頂点に立つことはできそうもない。キャロラインは田舎の療養地に送られることになり、婚約者であるジュリウスが介護を任されることになった。


 ジュリウスは醜く変わり果てたキャロラインを嫌がって抵抗したが……拒否は認められない。

 実家であるカイル伯爵家がアルヴィンとティトラの実家の追い込みによって没落させられてしまったこともあり、助けも得られずに田舎に追いやられたのである。




 王太女であるキャロラインが資格を失うことになり、代わりに次期国王になったのはアルヴィンである。

 卒業と同時に婚約者と結婚し、新たな国王として即位した。

 アルヴィンとティトラの間に結ばれた朱金の光を宿した運命の糸は、それから先も多くの幸運をもたらすことになる。

 やがて、その祝福は国中に広まることになり、ウルベルティア王国はかつてない栄華を築くのであった。






おわり




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「ごめんなさいね。私と彼は運命の赤い糸で結ばれてるのよ!」と元・婚約者が言っているが、お前の赤い糸は何本あるんだよ? レオナールD @dontokoifuta0605

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