「ごめんなさいね。私と彼は運命の赤い糸で結ばれてるのよ!」と元・婚約者が言っているが、お前の赤い糸は何本あるんだよ?

レオナールD

前編

「アルヴィン・リグウルフ! 貴方との婚約を破棄いたしますわ!」


「……急に何を言ってるんだ、お前は?」


 学園の卒業パーティーで放たれた婚約破棄宣言に、アルヴィン・リグウルフは呆れて肩を落とした。

 3年制の学園においてアルヴィンは2年生であり卒業生ではない。

 しかし、本日は卒業生を見送る側の立場。運営スタッフの責任者としてパーティーに参加していた。

 卒業パーティーをつつがなく終わらせるために身を粉にして働いていたというのに……婚約者である女性から婚約破棄されてしまった。


「……キャロライン、ここをどこだと思っているんだ。場をわきまえろよ」


 呆れ返ったアルヴィンは嫌味混じりの溜息をつく。

 アルヴィンの視線の先にいるのは、悪趣味なほど派手なドレスを身に纏った女子生徒である。

 彼女の名前はキャロライン・ウルベルティア。

 この国――ウルベルティア王国の王女であり、現・国王の唯一の子供。いずれは女王となって王位を継ぐことになる『王太女』だった。

 アルヴィンの父親であるリグウルフ公爵は国王の弟にあたるため、キャロラインはアルヴィンにとって従兄妹にあたる。

 さらに、悲しいかな……アルヴィンはキャロラインの婚約者であり、いずれは『王配』となってキャロラインの治世を支えることになっていた。

 アルヴィンにとってワガママな従妹の暴走はいつものことだが……それでも、卒業パーティーという祝いの場をぶち壊しにしてくれるとは思わなかった。


「ええっと……とんでもなく頭の悪いことを言っていたような気がするが、婚約破棄だったか?」


「まあ! さすがは『加護無しの無能者』ね! 私の言葉を聞き逃すなんて耳まで腐ってしまったのかしら!」


 キャロラインが傲然と胸を張り、婚約者を中傷する。

 アルヴィンとて聞き逃したわけではない。言葉の内容があまりにも場にそぐわず、荒唐無稽なものだったから確認しただけのことである。


「キャロライン。婚約破棄だとか喚いてたけど……後にしてもらえないか? こっちは見ての通り忙しいんだよ」


 現在は卒業パーティーの真っ最中。アルヴィンはその企画運営の責任者だった。

 本来であれば、卒業パーティーの進行は在校生の中でもっとも高い身分を持つキャロラインがやらなくてはいけない仕事である。

 だが……先ほどの言動からもわかるようにキャロラインは残念な性格をしていた。

 彼女に任せれば卒業パーティーが滅茶苦茶になるのは明白。悲惨な未来を予想した教員から頼まれ、婚約者のアルヴィンが代わりに責任者を任されたのである。


(どっちにしても滅茶苦茶にしてるけどな! 本当に、コイツはどれだけ足を引っ張ってくれるんだよ!?)


 今日は卒業生を送るための祝いの場なのだ。騒ぎを起こすなどもってのほか。

 婚約破棄などという個人的な理由で台無しにするなど、あっていいことではなかった。

 現に、周囲で王女の宣言を聞いた卒業生からはざわめきが生じており、先ほどまでの和やかな空気がぶち壊しになっている。


「もちろん、わかっているわよ! この場にいる皆さんには真実の愛の証人になってもらうんだから!」


「真実の愛だと……?」


「ええ! 私はアルヴィン・リグウルフとの婚約を破棄して、ここにいるジュリウスを新たな婚約者にすることを宣言しますわ!」


 キャロラインの横に男が進み出る。

 白いスーツを着て、不敵な顔で現れたのは卒業生の1人。ジュリウス・カイル伯爵子息だ。


「申し訳ない、リグウルフ殿。僕は殿下と真実の愛で結ばれているのだ。王配という貴方の地位を奪うことになって悪かったよ」


 ジュリウスが嘲るような目でアルヴィンを見やり、ニヤリと唇を吊り上げた。

 アルヴィンの家は公爵家、ジュリウスは伯爵家の人間である。格下の貴族からあからさまに無礼な態度を取られ、アルヴィンの目が険しくなる。


「……カイル伯爵は子供の教育に失敗したらしいな。御子息は貴族の序列すらわかっていないらしい」


「僕は王女殿下の婚約者になるんだ。無礼をしているのは貴方の方だろう?」


「勘違いをしているようだが、国王陛下の承認が得られるまでは俺がキャロラインの婚約者だ。非常に残念なことにね。つまり……現時点において君はただの伯爵子息でしかない。カイル伯爵家はリグウルフ公爵家を敵に回すつもりかね?」


「う……それは……」


 正論で言い含められて、ジュリウスが悔しそうに言葉を濁らせる。

 この程度で言い負かされるということは、特に深い考えもなくこの場にやってきたらしい。

 アルヴィンは頭痛を堪えるように額を押さえて、さらに追撃の言葉をぶつける。


「それに、今は学園の卒業パーティーの最中だ。国王陛下が筆頭理事を務める貴族学校の式典を私物化する権利を持っているのかな? 王家を軽んじる者が王配になろうとは舐めた話じゃないか」


「ぐう……」


「黙りなさい、アルヴィン! 次期女王である私が許可しているのだから文句はないでしょう!? 私の夫となる男を貶めることは許しませんわ!」


 追い詰められた恋人を見て、キャロラインが目をつり上げて割って入ってくる。


「私とジュリウスは『運命の赤い糸』でつながっているのです! 貴方ごときに私達の仲が引き裂けると思ったら大間違いですわ!」


「『運命の赤い糸』ね……」


「それにジュリウスは『剣聖』のギフトを持っているのですよ? ギフトを持たない加護無しの貴方と違ってね!」


 ギフトというのは文字通り神からの贈り物であり、『加護』とも言われる特別な力だった。

 ギフトを授かることができるのは100人に1人ほど。貴族でも持っていない者のほうが多く、『加護無し』であったとしても別に差別されたりはしない。

 しかし、王家に嫁入り・婿入りする人間は『加護持ち』が選ばれることが多く、キャロラインはそのことをあげつらっているのだ。


「俺もギフトを持っているんだがな……知らなかったか?」


「ふふんっ! 『縁使い』なんて胡散臭いギフト、本当は嘘っぱちなのでしょう!? 目には見えない『縁』を操るなんて、そんな力があるわけないじゃない!」


 実のところ、アルヴィンもまた加護持ちだったのだが……その力はアルヴィン以外の目には見えないものであるため、キャロラインはその存在を認めていなかった。

 アルヴィンを『加護無し』であると決めつけ、別の男に乗り換えようとしているのだ。


(……ダメだな。さすがに限界。これ以上は付き合いきれない)


 アルヴィンはゆっくりと首を振った。

 アルヴィンがキャロラインの婚約者に選ばれたのは、女王となるキャロラインが軽んじられないよう後ろ盾となり支えるためである。

 キャロラインに恋愛感情を抱いていたわけではない。伯父である国王にどうしてもと頼まれ、仕方なく婚約者となったのだ。


(別に王配という地位に未練はない。国王陛下……伯父上には申し訳ないが、見切りをつけるとしよう)


 キャロラインは気がついていなかったが、アルヴィンはずっと陰に日向に婚約者のことを支えていた。

 暴走しがちな婚約者が問題を引き起こしたときにはフォローを入れ、彼女を王位から引きずり降ろそうとしている人間の悪意を取り除いていた。

 そんなアルヴィンの働きに報いることなく、目に見えたギフトの力がないからと婚約を破棄する王女には、いよいよ愛想も尽きてしまった。


「……婚約破棄は了解した。父には俺から伝えておく」


「フンッ! わかればいいのよ! これでもう愚図な貴方の顔を見ずに済むのだから清々するわ!」


「……そうかよ。良かったな」


 アルヴィンは短く答えて、周囲で見守っている卒業生らに向き直る。


「皆様、私事にてお騒がせして申し訳ございません。後日、公爵家よりお詫びの品を送らせていただきます。どうかご容赦くださいませ」


 優雅に頭を下げるアルヴィンに、卒業生らから感嘆の溜息が漏れる。

 対して、一方的に場を騒がせたキャロラインとジュリウスには非難の視線が突き刺さる。


「う……!」


「な、何なのよっ! 私は何も間違ったことはしていないわよ!」


 ジュリウスが顔を引きつらせ、キャロラインがたじろぎながらも悪態をつく。

 そんな2人を放っておいて、アルヴィンはさらに言葉を重ねる。


「それでは、少し早いですがここで楽団の演奏を始めさせていただきます。皆様、どうぞ一流の演奏者が奏でる音楽をお楽しみください!」


 アルヴィンが右手を会場前方に向けると、スタンバイしていた楽団が優雅な音楽を奏ではじめる。

 ある者は卓越した演奏に聞き入り、ある者は親しい友人の手を取ってダンスを踊り出した。

 会場の空気は一変しており、先ほどの悪い空気は吹き飛ばされている。


「何なのよ、もう!」


 自分を取り残して進んでいくパーティーにキャロラインは悔しそうに歯噛みして、ずかずかと会場の出入口に向かっていく。

 恋人であるジュリウスも慌ててそれについていく。


「……どうかお幸せに。なれるものならね」


 アルヴィンはそっとギフトを発動させた。

 アルヴィンの視界に無数の『糸』が出現する。それは『縁使い』のアルヴィンだけに見える『縁』の糸。人と人とのつながりが視覚化された糸だった。

 例えば、友人同士であれば青い糸で結ばれている。家族であれば緑の糸。悪意を持つ敵対関係であれば黒い糸。職場の同僚や上司部下といった事務的な関係であれば、灰色の糸が人と人とをつないでいるのだ。

 そして……恋愛関係は赤い糸。いわゆる『運命の赤い糸』というやつである。


(なるほど……確かに、あの2人は『運命の赤い糸』とやらで結ばれているらしい)


 会場から出て行くキャロラインとジュリウスの小指には赤い糸がついており、お互いを結び付けている。

 だが……その糸はあまりにも細く、今にも千切れてしまいそうなほど弱々しく見えた。

 加えて、キャロラインの小指に結ばれている赤い糸は1本ではない。

 10、20、30……数えられないほどの糸があちこちから伸びてきて、小指に絡まって毛玉のようになっている。

 どうやら、浮気相手はジュリウスだけではなかったらしい。他にも関係を持った男が大勢いるようだ。


(知ってたけどな、だいぶ前から。いつかこうして破局する日がやってくると思ってたよ)


 アルヴィンにとってキャロラインとの婚約は嫌々結んだ政略としての関係である。

 それ故に彼女が数多くの男性と浮気をしていることを知りながら、ずっと放置していたのだ。

 仮に注意をしたところで、あのワガママ王女が改めるとは思えない。

 キャロラインを甘やかしている国王に相談したことはあるが、「娘はまだ学生だから見逃して欲しい」などと言って強く叱ることはしなかった。


「『運命の赤い糸』で結ばれている……だったか? 笑わせてくれるよな」


 アルヴィンは元・婚約者の言葉を反復して、皮肉そうに嘲笑う。


「お前の赤い糸は何本あるんだよ。そんなグチャグチャに絡まった赤い糸で幸せになれるものならなってみやがれ」


 小さな騒動は起こったものの、貴族学園の卒業パーティーは無事に終了した。

 ハプニングの渦中にいながら、見事に主催者としての役割を果たしたアルヴィンは、教員や生徒から信頼を深めることになった。

 対して、王命によって結ばれた婚約を勝手に破棄したキャロラインは、国王からこれでもかと叱られることになってしまう。

 自分に甘いはずの父親からの叱責に、キャロラインは涙目になって必死に言い訳を重ねたとのこと。


 国王は渋ったものの、公の場での宣言は取り消せない。

 アルヴィンとキャロラインの婚約は無事に解消され、アルヴィンは自由の身になったのである。

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