マイ銭湯ライフ

渚 孝人

第1話

みなさんは普段、銭湯を使っていますか?

今や日本の家庭には風呂があるのが当たり前になったから、わざわざ金払ってまで銭湯なんか行かないよ、という人がほとんどではないだろうか。あるいは、色んな設備がそろっているスーパー銭湯なら行くという人も多いかも知れない。


かく言う僕も、コロナ禍が来るまではずっとスーパー銭湯派だった。

まず、何しろ広いし綺麗だ。地方のスーパー銭湯って、駐車場がサッカーコート位の広さがある所が多い。中に入るとたくさんの下駄箱がずらっと並んでいて、券売機が2個ぐらい置いてあって、カウンターもいっぱいある。それで、清潔感のある和風の制服を着たバイトの人たちが、チケットを受け取ってから脱衣所のロッカーのカギをくれる。そこから広々とした脱衣所に行き、風呂場に入る。風呂場は様々な年代の男たちで溢れている。みんなで並んで体をあらってから、色んな種類のある湯船につかる。


まず、みんなが入る、割と大きめのやつ。これは大体40~41℃位に設定されていて、子供からお年寄りまで誰でも無理なく入れるようになっている。僕はルーティーンとして、まずはこのタイプの湯船にいつも入っていた。

それから、座るタイプで背中にお湯が流れてくるやつ。これは最近のスーパー銭湯なら、まず間違いなく置いてあるタイプの湯船?だ。このタイプは基本的にのぼせるということがないので、いつまででも座っていられる。子供はお湯が流れてくる仕組みが面白いのか、よくその上を歩きながらお湯が出てくる所を触って遊んでいる。父親はそれを何となく見ているか、注意したりする。スーパー銭湯に行けばよく見る光景だ。


それから、ジェットが出てくるやつ。これは座るタイプと寝ころぶタイプがあって、スーパー銭湯によってどちらかだったり両方だったりが置いてある。ボタンを押すとジェットが出る仕組みになっていて、たいてい誰かが既に押している。入ってみるとジェットの勢いが中々強い。背中とか足とかに当たって気持ちがいいのだが、入っているうちに血流が良くなるのかかゆくなってくる。


んでもって、外には当然のごとくに露天風呂がある。スーパー銭湯だと外の露天風呂も一つじゃなくて何個か置いてあることが多い。冬は寒いから一旦外に出るのは嫌なのだが、一旦風呂に浸かってしまえばまさに極楽である。夏は置いてあるベンチとかで日光浴をしているおっさんも結構いる。外に寝湯を置いているスーパー銭湯もある。


身体がある程度温まってきたら、僕はサウナに入ることもある。元々サウナを求めてやってくる人たちは最初からサウナに入るのかも知れないが、僕としてはサウナはデザート位の感覚で入っている。入ってみると、おっさんがずらっと並んで座っていて、みんなでテレビを見ている。というか、ついているから何となく眺めている、と言った方が正解かも知れない。

スーパー銭湯のサウナって、段々畑みたいに段になっているやつが多い。入った所から降りて行くタイプと、上がって行くタイプの二つがある。上がって行くタイプのやつは、入った時のおっさんが並んでいる光景は中々壮観だ。みんなで汗をダラダラとかきながら、ただテレビを見ている。


スーパー銭湯は、風呂に入った後の設備も充実している。

大体の所にはマッサージ専門店がついていて、風呂でちょうど良く温まった体をさらにほぐしてくれる。それから床屋(美容室と言うべきだろうか?)も付いていて、1000円ちょい位でカットをしてくれる。まあ、髪を切るのは風呂に入る前の方がいいのかも知れないけれど。


それから定食屋みたいなのも、結構品揃えが豊富だ。揚げ物もあるし、そばもあるし、チャーハンもあるし、カレーライスもあるし、ソフトクリームも食べられるし、基本的に何でも食べられる。ただ、車で来ているとビールはノンアルコールにしなければいけない、という難点はある。スーパー銭湯にわざわざ代行を呼ぶのも何だかなあという気がするから。でも、ノンアルコールビールも風呂上りに飲むと本当にうまい。もし周りにだれもいなかったら、「くは~っ!」と叫んでしまうことだろう。ああ、生き返るってこういうことなのか、と思わせてくれるのだ。


あとは、寝ころび座敷も広くて素晴らしい。寝ころんで大型のテレビをぼんやり見るか、漫画を読むのもいい。体が温まっているので、そのままうとうとと眠り込んでしまうこともある。たいていは飲食の持ち込み禁止と書かれているのだが、みんな何食わぬ顔でソフトクリームとかを持ち込んで食べている。でも、そういう人たちが注意されているのは見たことがないので、多分まあ暗黙の了解的な感じで許されているのだろう。


マッサージ店のことは書いたが、たいていのスーパー銭湯には、マッサージチェアも新しいやつが何台か置いてある。僕はあのマッサージチェアの、無重力とかいう設定が大好きなのだ。椅子がウィーンと動いて天井をみるような角度になって、まるで宇宙飛行士?のような気分になれるという事なのだろう。確かに乗ってみると、重力から解放されたような気持ちになれる。200円くらい取られるのがちょっと高い気もするが、マッサージ店の値段に比べたらお得だ。


スーパー銭湯の話がやたら長くなってしまった。

こうやってスーパー銭湯のことを書いていると、何だかスーパー銭湯こそが至高であり、銭湯よりも優れているみたいだ。いや、実際の所スーパー銭湯は素晴らしいのだ。僕が20代のころスーパー銭湯ばっかり行っていたのだから間違いない。もしコロナが来ていなかったら、きっと僕はそのまま、スーパー銭湯に通い続けていたことだろう。


ただ、コロナが流行ってしまったことで、あんまり大勢の人が集まるスーパー銭湯にはちょっと行きにくくなった。それから、スーパー銭湯はたいてい行きつくしてしまって、新鮮味がなくなってしまったというのもある。そんな頃に僕はたまたま、近くの銭湯でスタンプラリーのカードを見つけた。街にある銭湯をめぐって番台でスタンプを押してもらって全部たまると、景品がもらえるという仕組みらしい。ネットで調べてみると、最近では結構多くの街で銭湯スタンプラリーをやっていて、廃れつつある銭湯を盛り上げようとしているみたいだ。


そんなこんなで僕は今年に入って銭湯に通うようになった。そうしたら、銭湯がいかに魅力にあふれた場所であるか、だんだん分かるようになってきた。銭湯の持つ魅力は、スーパー銭湯みたいに分かりやすい魅力ではない。だけど銭湯に通っていると、段々好きになってくるのだ、あの古びた場所が。そんな銭湯の良さをこれから書いて行けたらいいなと、何となく思う今日この頃である。



銭湯の持っている雰囲気って、何故かは分からないけれどすごく落ち着く。スーパー銭湯を「非日常」とするのであれば、銭湯はまさに「日常」そのものなのだ。久々に来た銭湯あっても、その空気を吸い込むだけでで我が家に帰って来たような、ほっとするような安心感を感じられる。たいていの銭湯は大通りから小道に少し入った所にあって、駐車場もあるけれどせいぜい5台から10台といったところ。スーパー銭湯の広さとは比べるべくもない。周囲には普通の家とかお店とかがあって、まさに生活の中に銭湯がある、と言った感じがする。煤で黒ずんだ煙突からは湯気がもくもくと立ち上っている。


のれんをくぐって、ガラガラと音を立てて横引きのガラス戸を開けると、男湯と女湯の入り口が分かれている。銭湯によっては入り口から男湯、女湯と扉が二つある所もあったりする。券売機が置いてあるところでは、460円を払って入浴券を購入する。中学生以下はたしか300円とかだった気がする。置いていなかったり、壊れていたりする所では、中に入ってから番台でお金を払う。


番台にはおっちゃんかおばちゃんが座っている。当然のことながら若い人が座っているのを見たことはほぼない。500円玉で払うと、おばちゃんが「え~と」とか言いながら10円玉をゆっくりと数えて、40円返してくれる。どうせ大抵の人は500円玉で払うんだから40円を何個か用意しときゃいいのにと思うのだが、まあここら辺が銭湯のおおらかさである。銭湯には基本的にシャンプーとかボディーソープは置いていないので、忘れてきた時には番台で小さいボトルのシャンプーとかボディーソープを買う。これがびっくりする位安くて、なんと数十円で買える。まあ、さすがに安いだけあって何回かで使い切ってしまう程度しか入っていないのだが笑


ロッカーは、スーパー銭湯みたいに綺麗じゃなくて、たいてい何だか汚れていて、古い。そして鍵についているスプリングのリストバンドが、めっちゃデカい。とにかくデカいので、うでにつけると余る。多分もともとはそんなにデカくはなかったんだろうけれど、長年に渡っておじさん達が腕だとか脚だとかに好き勝手付けるもんだから、スプリングが伸びてデカくなってしまったのだろう。


服を脱いでからタオルとシャンプーとボディーソープの小さいボトルを持ったら、準備は万端である。あとはまたガラガラと横引きの扉を開けて、湯気の出てくる浴室に入るだけだ。


浴場に入ったら、まずは入り口付近に重ねて置いてある風呂椅子とケロリン桶を調達する。最初から椅子や桶が置いてあるスーパー銭湯とは違って、銭湯では使い終わったら片付けるのがルールなのだ。それに、たいていの銭湯ではシャワーは固定されているので、体全体を洗うのは中々難しい。そんな時には、あの黄色いケロリン桶の出番だ。ざーっとお湯をためて、頭からざばーっとかぶる。至ってシンプルである。


たまにあるのが、鏡の上とかに印刷してある宣伝の文字。なんとか医院とか、なんとか店とか書いてあるのだが、文字のフォントがやたら古い。どう見ても昭和に書かれたものである。その店が今も潰れずに続いているかどうかさえ定かではない。


体をよく洗ったら、いよいよ湯船に浸かる。銭湯って、勢いよくお湯が噴射されているタイプの浴槽が多い。そして何故かは分からないがたいていめっちゃ深い。座ろうとすると溺れるレベルで深い。

脚を入れると、まずその熱さに驚く。僕は家の風呂は40℃~41℃くらいにしているし、スーパー銭湯もその位の温度が多い気がするが、銭湯はそれよりも明らかに熱い。下手すると45℃くらいあるんじゃないかという時もある。


前に硫黄の匂いがぷんぷんする、源泉からお湯を引いていそうな銭湯に入った時、余りにも熱くて入れないレベルのことがあった。銭湯側も熱い事は承知しているらしく、「熱かったらこの蛇口をひねって水でうめてください」的なことが看板に書かれていた。しかしどう見ても熱い銭湯が大、大、大好きそうなおじさんたちが既に何人も平気な顔をして入っているので、僕はついに水を入れることが出来ず、心の中で、「あぢいいいいいい!」と言いながら入らざるを得なかった。まあ、気持ち良かったけどね。そのおかげでお湯から上がると肌は真っ赤になってしまった。


しかしながらお湯が熱いおかげで、銭湯に入ると、体の中を血がめぐるのが本当に良く分かる。何というか、体を突き上げてくるような心地よさを感じるのである。これは家の風呂では中々感じることが出来ない感覚だと思う。家の風呂を熱い温度に設定しても、あの感覚に近づくのは難しいだろう。


そして気持ち良くなってきたら、タオルを頭の上に乗せながら、銭湯の壁に描かれた壁画をゆっくりと眺める。一般的には富士山のイメージが強いと思うけれど、銭湯ごとに壁画ってのは千差万別である。今、何か例を思い出そうとしたけれど、忘れました。たぶん湯に入っている時ってのぼせているから、記憶力がにぶっているのだろう。


そんでもって銭湯にある謎の注意書きを眺める。

「風呂場では洗濯をしないようにしましょう。」

いやいや、銭湯で洗濯する人なんて、いる!?と僕は思ってしまうのだが、たぶん昔はそういう人が結構いたのだろう。まあ、いなかったら注意書きなんて書かないものね。


銭湯ってなかなか適当な所である。

僕が初めの頃に驚いたのが、番台から浴場が丸見えの銭湯が結構あるということだった。つまり、丸裸の状態を番台のおばちゃんに見られてしまうということなのだ。最初の頃は勘弁してくれよと思っていたのだが、おばちゃんの方は普段から余りにも見慣れているせいか何食わぬ顔をしている。というか、よくよく考えてみると浴場から出てきた丸裸の状態も番台から普通に見えるので、おばちゃん達は男のあれを見てももはや何も感じなくなっているのだろう。


銭湯に来ている人も適当な人が多い。まだ夏の暑さが残っている頃だったが、銭湯から上がって飲み物を飲みながら涼んでいると、僕のとなりでも上裸のおっちゃんがタオルで汗を拭いていた。しばらく2人で並んでテレビを見ていたのだが、ふとおっちゃんは「いい湯だったわ!ありがとな!」みたいなことを番台に向かって言うと、そのまま出て行った。そう、上裸のままである。

いやいや、さすがにタンクトップか何か着ろよ、と思ったのだが、番台のおばちゃんも驚いた様子はなかったので、いつもの事なのだろう。


浴場に入ってみたら、割と大きな音で演歌が流れていたこともあった。僕の前から入っていたおっさんは、気持ちよさそうに演歌を歌いながら体を洗っていた。

最初は違和感があったのだが、慣れてくるとこれがなかなか良くて、僕も歌いたくなった(歌わなかったけど)。

銭湯と演歌って、もしかしたら相性がいいのかもしれない。


でも適当なおかげでいい所もいっぱいある。お客さんは番台のおばちゃんと仲がいい人が多くて、いつも楽しそうな声が聞こえてくる。僕は別に知り合いではないのだが、その会話を何となく聞きながら涼んでいると、心が和んでくる感覚がある。

壁に貼ってあるポスターなんかも古いのばっかりで、いつの情報だよと言いたくなるのが多いけれど、まあ最新の情報が知りたいならネットを見れば良いわけだし、昔はこんなイベントあったんだなあみたいな感覚で眺めていると結構面白い。


今となっては珍しい身長計が置いてある銭湯もある。プラスチックのやつではなくて、木で出来た頑丈そうなやつである。体重計はよくあるけれど、銭湯で身長測りたい人なんているかね、と思ってしまうけど、昔は親子連れで来て子供の身長を測っていたということなんだろうか。久しぶりに身長を測るのも悪くないか、と思ったのだが周囲の目もあるし結局測らなかった。


銭湯を語る上で欠かすことが出来ないのが、尊敬すべき、そして愛すべき人生の先輩たちである。

まあ一言で言ってしまうならただのおっちゃん、じいちゃんたちな訳であるが、僕は銭湯に行くたびに彼らに人生の在り方というものを教わっているような気がしてならないのだ。


まず初めに、何故かは分からないけれど彼らは銭湯が大好きである。

基本的にどの時間帯に銭湯へ行っても、彼らは当たり前のような顔をしてそこにいる。若者は基本的に夕方以降に集中して来ることが多いけれど、おっちゃん、じいちゃんは朝であろうと昼であろうと、まあ関係なく銭湯に来る(ということは、僕も割と若いくせに昼間から銭湯に行っているということではある)。これはつまり、彼らにとって銭湯は生活の一部であり、常に生活の中に存在しているということなのではないだろうか。


そして彼らは、些細なことを気にする必要なんてないことを教えてくれる。

前のエピソードで上裸のまま銭湯から出て行ったおっさんの話を書いたけれど、あれだって良く考えたら、まあ最悪下を履いていればいいのである。多分通報はされない。


とある日曜日の午前中に銭湯に行ったときの話であるが、僕が浴場に入ってみると予想通りガラガラで、一人の白髪のじいちゃんがゆっくりと体を洗っていた。

僕がさっと体を洗って湯船に浸かっていると、じいちゃんは髪を洗い始めた。しかし鏡をあまり見ていなかったのか、耳のあたりについたシャンプーが残ってしまった。そしてじいちゃんは泡が付いた頭のまま湯船に入った。

僕は言うべきか言わないべきか長い間迷っていたのだが、結局言えなかった。情けない話である。

しかしよく考えてみると、湯船から上がってからお湯をかぶったら取れるかも知れないし、脱衣所で髪を拭くのだから最終的には泡なんてどこかで取れるのだ。そう考えてみると、言うべきか否かで迷っていた自分なんて、バカバカしいということが良く分かる。


おっちゃん、じいちゃんたちは銭湯に入りながら、「ただその時」を感じているように見える。シャワーのお湯の勢い、体をこする感触、湯の気持ちよさ。そこには過去も未来もなく、今この瞬間だけが存在している。

自分もあんな風に、今この瞬間を味わいながら生きていけたらいいなあ、と思うのだが、現実は仕事に追われて生きる毎日で、過去の失敗を思い返したり、先のことの心配ばかり考えてしまう。銭湯という所は、人生の達人とも言うべき人たちから、肌で感じて学ぶことが出来る場所でもあるのだ。


銭湯に行ったときに結構な頻度で遭遇するのが、いわゆる「怖い人たち」である。つまり、背中に絵を描いている人たちのことだ。スーパー銭湯なんかだと、ほぼ間違いなく入り口にお断りですよと書いてあるが、銭湯はそこら辺には寛容で普通に大丈夫な所も多い。


僕は基本怖がりなので、道ばたでそういう系の人たちに出くわすと「ひいいい」と言ってすぐに端に寄って道を開けるようにしている。しかし何故かは分からないけれど、銭湯でそういう人たちに会ってもそんなに怖さを感じない。

これは恐らく銭湯の持つ力なのだろう。風呂に一緒に入っていると、全然知らない人でも仲間みたいな気分になってくるのだ。それに銭湯にはそういう人がよく来ているので、「まあ、みんなたまには大きな浴槽に浸かりたいよねえ。」という感じで存在に慣れてしまう。


それに彼らが話しているのを聞いていると、そんなに悪い人という感じがしないのだ。何というか快活で、細かいことにあまりこだわらない感じがする。逆に友達でいたらいい奴なんじゃないかという気もする。まあ、友達になるのは難しいだろうれども。


銭湯に行った後には、周りをぶらぶらと散歩するのが楽しい。まずお風呂のおかげで血行が良くなっているし、汗もさっぱりとしているので、風に当たると気持ちがいい。それに銭湯の周りって個性的なお店が多くて、歩いていると新しい発見がたくさんあるのだ。


普段は面倒なのであまり長い距離を歩く気はしないのだが、銭湯に入った後だと、何故か長い距離を歩くのが全く苦じゃない。むしろ、この町のことをもっと知りたいような気持になってくる。普段通っている道から一本わき道に入ってみると全然知らない道だった、というように、風呂上りの町は新しい発見に溢れている。

そして公園とか川にかかる橋とかで、何となくぼーっとする。自然の音に耳を澄ましていると、心が落ち着いてくる。風呂上りって、そういう音がすっと体に入って来る気がする。何となくではあるが。


色々と銭湯について書いてみたけれど、この間久しぶりにスーパー銭湯に行ってみたら、やっぱり最高でした笑。風呂は広いし、露天も気持ちいいし、寝転び座敷はリラックス出来た。結局スーパー銭湯の方がいいんかい!っていう話になってしまうけれど、まあ、それは仕方がない。設備が新しいし、お金も多めに払う分は、スーパー銭湯の方がいいに決まっている。


でも銭湯ってやっぱり、たまに帰りたくなる場所というか、いつでもそばに居てくれる安心感みたいなのがあると思う。どんな人でも受け入れてくれる優しさみたいなものが、銭湯にはある。

今はコロナ禍っていうのもあって、銭湯が段々潰れてしまったり、休業してしまったりして数が少なくなりつつある。だけど銭湯って、やっぱり日本の大切な文化というか、守り続けるだけの価値があるものだと思う。だから僕も微力ながら、たまには銭湯に浸かって、心を休めたい。


もし銭湯に行ったことがないという方がいたら、一度はあの空間に、足を踏み入れてみるのもいいのではないでしょうか。普段の生活で疲れた心が癒されるのを、きっとあなたも感じるはず。僕は銭湯に入ると、この日本という国で生きるということがどういうことなのか、ほんの少しだけ理解できたような気がするのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

マイ銭湯ライフ 渚 孝人 @basketpianoman

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ