恩師が残してくれたもの
市井味才
訃報
その一報をもたらしたのは、教え子の中でも随一の成功者だった。その時私はいつものように、上手くいかない業務にほとほと疲れ果てていたことも手伝い、成功者からのキラキラしたラインには既読を付ける気力さえなかった。
しかしそれは、私の予期していたような内容とは、悪い意味で大きくかけ離れていた。それに気づいた時、予期したような内容―成功者の仕事自慢―だった方がよっぽど良かったと心底後悔した。
それは恩師の訃報だった。新入生ガイダンス中に、突然のくも膜下出血で倒れられ、帰らぬ人となったと聞く。まだ四十四歳で、これからの更なるご活躍を誰からも期待され、また、教授に昇進された矢先の出来事だった。
なぜあんなに才能に溢れた、人生これからという人が死んで行き、これから何十年生きても、きっともう大きな変化のないだろう私が生きていられるのかが分からず、茫然とした。
新卒で入った会社で
「新入社員にとってメンター(指導者という名の世話係)は社会人のイロハを教えてくれる恩人で、何年経っても足を向けて眠れないものだ。」
と言われたことがある。私もその例に漏れず、メンターには大変お世話になったが、それ以上にお世話になり、返しきれない恩を感じていたのが、この先生だった。
私が大学四年の時、配属された研究室に恩師は助教として着任されてまだ二年目で、学生の卒業研究を指導するのは私が初めてだった。更に、私が大学・大学院時代に携わった研究は私が「こういう研究がしたい」と教授に直談判してスタートしたテーマだったため、他のテーマのような先輩はいなかった。そこで、先輩の代わりに私に研究をイロハから教えて下さったのがこの先生だった。
先生が亡くなる半月前、学会でお会いする機会があり、虫の知らせがあったわけではないが、
「またお会いできると良いのですが…。」
と不安そうにした私に
「また会えるでしょう。」
と明るく応えて下さったのが最後となった。
唯一救われたと感じたのは、その時に在学中の御礼を改めて伝えることができ、そのことで恩師にも大変喜んで頂けたということだ。
それから二年半以上経つが、恩師のことは皮肉にもその生前よりも頻繫に思い出す。町中で似た背格好の人を見かけると、理性よりも先に感情で恩師ではないかと思ってしまう。また、恩師が得意とされていた分野に業務で行き当たった時、恩師に見解を仰ごうという気になっている自分にハタと気づきく。その度に言いようのない虚しさが私を襲う。そうか、先生はもう居ないのか、と。
この経験を通し、私は自分の大切な人に、面と向かって御礼を言うのは恥ずかしいとか言わなくても伝わっているだろうと思った時ほど後回しにせず、感謝を伝えるようになった。若いからとか昨日元気だったからとかは関係なく、自分も相手もいつ死んでしまうかは分からないということを強く知らされた出来事だった。
恩師が残してくれたもの 市井味才 @4seiAjisai
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