本郷-2

 横浜港大さん橋国際客船ターミナルは、神奈川県の観光スポットの中でもかなり特徴的な外観をしている。波や船をイメージした流線形の形状や柱や梁がない巨大な屋内空間、客船の入出港を間近で楽しめる「くじらのせなか」と呼ばれる広々とした屋上広場。


 朝日とも何度も訪れたこの場所に、奴はいる。

 130年以上の歴史を誇る、横浜港の象徴的存在が決戦の舞台となるとは、本郷は予想もしていなかった。


 大さん橋の入口に続く坂道が見えてくる。


 そして、見えた。大量に変色した白空魔力エーギフト

 魔力が少ない池谷と来栖は魔力酔いドランクに陥る危険性が高い。


「……俺がひとりで行く」

「正気か? 3人で行った方が」

「2人はここを封鎖して欲しい。警官も呼んで……ただ、絶対に入ってくるな」


 池谷と来栖を見る。池谷は口を開いて、頭を振った。


「わぁったよ。お前の仇なんだろ?」

「信じているのか? 俺が妹を殺してないとか」

「信じるよ。あんたは、そんな器用なことできないって」


 池谷がフッと笑った。


「本郷さん! 終わったら飲み行きましょうよ。武勇伝聞かせてください」


 来栖が軽く敬礼した。軽薄そうな態度だが、今はそのおかげで肩の力が抜けた。


「……ああ。必ず行こう。ここは頼んだ」


 本郷は2人に背を向け、坂道を駆けあがる。

 入口が見えてきたところで、顔色を変えた。


 大さん橋付近の警備にあたっていた警官たちが軒並み倒れていた。


「おい、大丈夫か! しっかりしろ!」


 声をかけるが、反応はしなかった。生きてはいるが殴打痕が凄まじい。何人かは切創があり、出血している。


 本郷は傷ついた仲間をそのままにし、中に入る。電気はついており、展示物やクリスマスツリーが飾られているイベントホール内は閑散としていた。

 本郷の荒い呼吸音だけが嫌に大きく反響する。これだけ大きい施設に、自分以外立っている者はいないらしい。


 最大限の注意を払いながら奥へ向かう。出入国ロビーに数多く並べてある、黒い3人掛けのベンチが不気味に映る。


 誰もいないことを確認すると、本郷は展望エリア近くにある坂道を上りデッキへ。冬の夜風が熱くなる体を冷やす。

 「くじらのせなか」の中央部分である屋上広場へ向かう。ここにも傷ついた仲間たちがいた。ただ、入口付近の者たちと比べると傷は浅く、すぐ死ぬような怪我ではないことが見て取れた。


「大丈夫か。すぐに助けが来るからな」


 意識がある男の隣に跪き、励ますと、男が震える指先で広場にある扉を差した。

 本郷は短く礼を言うと、大さん橋ホールに繋がる扉に入る。


 2000㎡の大空間が広がる。レイラのライブという一大イベントがあるため、クリスマスコンサートや異国の商品を売るマーケットイベントなどは開かれなかった。物も柱もない広々とした空間。

 その中央に、男は立っていた。


「待っていたよ。あなたも嬉しいんじゃないか? 本郷さん」


 喪服のような黒いスーツを着た尾上が片手を上げた。


「尾上正孝。殺人並びに危険薬物使用・所持、そして不正魔法使用容疑で逮捕する」

「殺人?」

「青葉台連続不審死事件の容疑者でもあるんだよ」

「ああ、あれか。別所や鈴木の件だ。今思い出した。あれに関しては黄瀬がやったんだけどな……まぁなんでもいいか」


 尾上は気楽な様子だった。緊張もせず微笑みを浮かべ、ジッと本郷を見ている。


「表の警察」

「ん?」

「あんたがやったのか?」

「黄瀬だよ。あとちょっとだけグリモワールの連中。ただの研究員が屈強な警察官たちを倒せるものか」

「……動機はなんだ。こんなことをした、動機は」

「それを推理してきたんじゃないか?」


 尾上は白い歯を見せた。


「怯えるなよ本郷刑事。普段と違って、今のあんたは、随分と小さく見えるぞ」


 喋り方がおかしい。以前のように落ち着きはなく、赤志のような喋り方になっている。

 リベラシオンが影響しているのか。どちらにしろ、まともではなくなっている。警戒心を強めていると、尾上が両手を差し出した。


 本郷は内側に手を入れ拳銃を取り出す。


「動くな!!」

「落ち着けって」


 銃口を突き付けられても尾上は肩をすくめるだけだった。肘を曲げ、自身の前で縦の拳を2つ作った。犯人が手錠を嵌めているポーズになる。


「こっちの負けだ。自首する」

「……なぜ諦める」

「さっき赤志と話してね。黄瀬が負けてしまった。もうこちらに打つ手はない。だから逮捕してくれ。動機も、何がしたかったのかも、全部話すからさ」


 本郷は拳銃を向けながら近づき、腰から手錠を取り出す。


「往生際が良いな。それだけは褒めてやる」


 尾上の腕を掴み、手錠をかける。確保時間を確かめようと、腕時計に目を向けた。


「だってこうしないとさ。戦えないから」


 バキン、という何かが拉げる音が鳴った。

 手錠の鎖の部分が音を立てて砕ける。破片が床に散らばり、広いホール内に金属音が木霊する。


「なっ────」


 本郷の手首に衝撃が走る。尾上の拳が銃を払ったためだ。宙を舞う銃は薄暗いホールの中を飛び、何処かに落ちた。

 尾上のショートアッパーが本郷の腹筋にめり込む。


「凶悪犯を捕まえるために、やむを得ず暴力を振るった。お前が戦うには、こういう理由が必要だろう?」


 そのまま振り抜けようとした。

 が、本郷は動かなかった。拳が当たった直後、本郷は尾上のスーツの裾を掴んでいた。


「ああ……ありがたいよ。公務執行妨害の現行犯だ」

「ナイフでも出そうか?」

「できればそうしてくれ。正当防衛で、合法的にお前を殺せるからな」


 本郷の二の腕が肥大化する。

 妹の仇が目の前にいる。


 本郷の瞳が、無色透明になる。透き通るようなガラス玉の瞳。


 ようやく見つけた。妹を殺したクソ野郎。


 瞳の奥底に眠るのは、殺意という名の狂気。


「ぶっ殺してやる」


 腕を振り払い、腰を捻り、拳を振り被る。

 尾上も笑いながら同じ動作で拳を振り被る。


 ホールに男たちの雄叫びと、互いの拳が相手の頬を穿つ音が鳴り響いた。

 

 それはこの事件に終止符を打つ、開戦の合図(ゴング)のようであった。


「う……おぉおおお!!」


 拳を振り抜いたのは本郷だった。尾上がよろめきながら後ろに仰け反る。

 直後、首を前に倒した。頭突きが本郷の額とかち合う。両者の額が裂け、血が飛び散る。


 本郷は相手の頭髪を掴み頭突きを数回見舞う。それでも尾上は笑みを浮かべたままだった。

 不気味に思いながらも大外刈りで尾上を倒そうとする。だが、倒れなかった。


 明らかに異常だった。互いの体格を考えれば、尾上など枯れ木のようなもの。足が上手くかからなかったとしても、力で押しつぶせるはずなのだ。


 舌打ちし、本郷は相手を押しつぶそうとする。

 だが尾上は、あろうことか、本郷を押し返していた。


「不思議だろう。ただの細身の研究員である俺がどうしてこんな剛力を保持しているか」


 拘束を解き掴みかかってくる。本郷は両手を使ってそれを止めた。

 互いの手が重なりあう。額をぶつけ合い、力比べを始める。

 始めは拮抗していたが徐々に本郷が押され始めた。


 明らかにおかしい本郷は頭を回転させ、相手を観察する。

 こんな力を隠していたとは思えない。自分と同じ体質の人間だとしてももっと目立つ場所があるはずだ。だが彼の体重は平均体重より下のはずだ。

 

 ならば、カラクリは服か。それとも。


 本郷が目星を付けた時だった。

 一瞬の隙を突いて尾上が力を込めた。


 本郷が宙に浮く。そのまま背中から叩きつけられた。

 間髪入れずサッカーボールキックが強襲する。本郷は両腕を使って防いだが威力を殺しきれない。床を滑りながら壁まで吹っ飛んだ。


「すごいな……」


 尾上は追撃もせず、自分の両手を見つめていた。


「これほどの力を保持しているとは。それも魔法の力ではなく、人間の力で。まったく。人間というのは神秘的な生き物だよ。本当に。美して、壊したくなる」


 拳を握り本郷に視線を向ける。

 本郷は拳を床に叩きつけ、反動をつけたように起き上がる。


 相手の秘密に気づいた。本郷の目にも、それが見えていた。

 白銀の色が、尾上の左手に集まっている。正確には薬指に付けた指輪に。


「ブリューナクを使っているのか。婚約指輪か。その装備がお前の力の源だ」

「……驚いたな。魔力がなかったはずなのに。勇やジニアのおかげか、それとも身に纏うコートのおかげかな?」

「だとしたら嬉しいな。妹も、お前に復讐したいとよ」


 尾上は鼻で笑った。


「俺を恨む? むしろ感謝するさ! だからあんな最後を迎えることができたんだ!」


 脳裏に過ぎるのは、ゴミのように捨てられた愛する者の姿。

 本郷は歯を噛み締めて駆け出した。

 

 恐らく装備型のブリューナク。であれば、指輪を奪えば尾上は無力になる。

 

 本郷は掴みに行くと見せかけてフックを見舞う。尾上の表情は崩れない。

 奥襟を掴むと見せかけて相手の後頭部を掴み膝蹴りを顔面に叩き込む。衝撃が逃げないよう固定する。


 さすがに堪えたのか、尾上は必死に拳を振った。本郷の腹部に拳が刺さる。

 本郷は相手の腰を掴み天高く持ち上げると、頭から相手を叩き落とした。


「ぐあっ!!」


 そしてお返しとばかりに、サッカーボールキックを腹部に叩き込む。壁まで吹っ飛びはしなかったが、うつ伏せになった尾上は両腕を使って上体を起こす。


 だが痛みで立ち上がれないのか。苦悶の表情を浮かべた。


「身体能力……いや、相手の能力をコピーする感じか。あんたの力は俺と同じになっている。耐久力もだ。なんとなくだがそれは察した。だが、センスまではパクれないらしいな」


 本郷は鼻を鳴らした。


「悪党に相応しい能力だ。本体は脆く、他の力を頼る卑怯な狐。地頭の良さを悪知恵で消費する愚か者。それがお前だ、尾上正孝!」


 自身の拳を合わせる。


「お前を逮捕する! 覚悟しろ!!」

「……ただの木偶の棒がっ、俺の計画を、邪魔するなぁあ!!」


 表情を怒りに染めた尾上が立ち上がり、再びホール内に殴打音が木霊し始めた。

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