R-3

 白山飛燕は言葉を失った。

 自分の顔に血が付いたからではない。目の前の光景があまりにも非現実的すぎたからだ。


 人類を救うためにワクチンを開発していた偉大な人間が。悪魔のような笑みを浮かべて、自身の腕だけで人間を貫いている。

 それも相手は、異世界から帰還した英雄だ。


 赤志の面頬にヒビが入る。黄瀬の腕は赤志の胸部を貫通していた。赤志がなんとか黄瀬の腕を掴んで勢いを殺していなければ、背後にいる白山の首から上はなくなっていただろう。


【「逃げろ!」】

「は……え……」

【「邪魔だ!! レイラの近くまで逃げろ!!」】


 視線などは向けず、怒声を上げる。白山は短い悲鳴を上げながら逃げ出した。

 レッドガーベラを再度発動する。黄瀬は自分の腕を切り落とし距離を取る。

 倒壊した建物が元通りになる中、赤志はゆっくり立ち上がり、胸の中心に突き刺さった黄瀬の腕を引き抜く。


 血が噴水のように飛び散り、地面を赤く染める。


「弱いものを守りつつ戦わなければならないのは、辛いな」

【「……見損なったぜ、ドラクル」】

「ん?」

【「お前らには、戦いの美学があると思ってた。少なくとも、標的以外を巻き込むようなクソみたいな戦い方はしなかったはずだ」】


 ああ、と得心したような声を出す。


「その美学は持ち合わせているとも。今のはだ。許してくれ」


 黄瀬は、さきほどとは打って変わって血色が良くなっていた。

 

「まさか致命的な一撃を叩き込めるとは思えなかったよ。キミの魔力を奪えた。おかげで、失った魔力も元通りだ」

【「そら何よりだ」】

「まだ戦えるのかい? 英雄とはいえ人間だ。回復魔法もなしにその傷ではもう長くはないだろう」

【「舐めてんのか。なんのために、レイラ連れて来たと思ってんだ」】


 周囲に散った血が集まる。赤志が傷口部分を撫でるとみるみるうちに傷が塞がった。

 面頬を触り、ヒビも修復する。


「ネオン・サンクチュアリ……だけじゃないな。己の魔力も活性化させての自己修復か。悪手だな。随分と魔力を消費しているじゃないか」


 黄瀬が手に漆黒の槍を生み出し赤志に投げた。

 巨大な槍は重力で潰れなかったため、赤志は両手でそれを掴む。柄を掴み、回し、お返しと言わんばかりに投げ返す。


 黄瀬が腕を振ると槍は霧散した。


「さきほどまでの勢いはどうした?」

【「はっ、ちょっと有利になっただけでガキみたいに喜びやがって」】


 勝負の流れというものが、急速に黄瀬に傾いていた。

 赤志を掴もうと腕を伸ばす。それすら人の目では捉えられない速度だった。

 重力波の影響を受けるが魔法の威力が下がっているため、腕が潰れず胸倉を掴まれる。

 黄瀬は赤志を投げると馬乗りになり拳を振り上げた。


 赤志は腰を上げ、相手のバランスを崩す。それだけでは離れなかったため思いっきり右足を上げ、爪先を相手の後頭部に叩き込む。


 相手の顔面が来たところで頭突きを放つ。黄瀬が立ち上がり後退りした。


 なんとかマウントは回避したが、赤志は追撃を断念した。胸の痛みが悪化しているせいだ。


【勇】

「大丈夫。傷自体は回復してんだ。脳味噌がちょっと混乱してっけど」


 黄瀬がギロリと赤志を睨んだ。口許に笑みを浮かべているが。遊びはしないと言っているようだ。


「魔法勝負では決着が付かないかな?」


 右手に、刃が湾曲した巨大な長刀を掲げ赤志に振り下ろす。

 相手の勢いを止められず、赤志は後ろに飛んで避ける。

 

 黄瀬の斬撃が迫る。一瞬視界に白い閃きが走り、赤志の頬と体を裂く。

 連続した斬撃は闇雲な攻撃ではなく、すべてが技として連動していた。


 一瞬相手が振り被った。赤志は身を屈めタックルする。

 が、相手は倒れなかった。赤志の背中に、肘鉄が叩き込まれる。


【「ぐぅあ!!」】


 叩き伏せられ、赤志の声が木霊する。

 素早く立ち上がって距離を取ろうとするが、追撃の刃が赤志の左肩を貫いた。


 次いで右太ももを、次いで右脇腹を。縦に振った剣が、赤志の右肩から腰にかけてまで、縦に切り裂いた。

 それが致命的な一打になったのか、膝を折って崩れ落ちた。赤志の面頬に、再びヒビが入る。今度は全体的に広がる。触れるだけで砕け散りそうな見た目になった。

 

 黄瀬が勝利を確信した時だった。

 ピシ、という亀裂の入る音が両者の耳に届く。


「お前の相方も限界だな。もうすぐネオン・サンクチュアリが消えるぞ」


 赤志は荒い呼吸を繰り返しながら黄瀬を睨み上げる。

 

「この空間を保てるのも1、2分が限界だろう。今なら私の全魔法を解き放てばこの空間も消し飛ぶかもな。だがお前は抵抗するしかない。その痛々しい体でどれだけ持つかわからないが、試してみるがいい。私の攻撃を防ぎながら、私を倒す。1分以内でできるなら話は別だがな」

【「ペラペラとやかましい野郎だ」】


 赤志の面頬が砕けた。同時にスッと立ち上がり、黄瀬を睨む。身長は赤志の方が高いため、見下ろす形になる。

 黄瀬はそこで明確な違和感を覚えた。見下ろされているが故の不快感ではない。

 相手が異様に、大きく見えたのだ。


【私が面頬しか展開してないのを気づいていないのか?】

「俺が面頬しか展開してないのを気づいていないのか?」


 赤志が黄瀬の刀を握った。刃の部分を掴んでいるが血は流れていない。

 黄瀬は刀を引こうとしたがビクともしない。困惑した様子で赤志を見る。

 そして、目を見開いた。


 相手の風貌が、変わっていることに。


【「お前を殺すのに、1秒もかからねぇんだよ」】


 刹那。

 赤志と黄瀬を中心に、世界が白に染め上げられた。




ΩΩΩΩΩΩ────────ΩΩΩΩΩ




 作り上げた仮想の世界が、防御の魔法陣が崩れる音が鳴り響く。

 ガラスが砕けるように、赤レンガ倉庫を囲っていた暗幕が崩れ落ちる。黒い破片は地面に埋まるように消えていく。


「……ぶはぁ!!」


 ステージ上にいたレイラは両手を離し、その場で大の字に寝転がった。


「あー……あー、もう……きつかった」


 掠れた笑い声を上げる。たった10分しか経っていないのに、数十キロ走った後のような気持ちになる。

 まさか最後にレッドガーベラをあそこまで展開するとは思わなかった。あまりにも強大な力にネオン・サンクチュアリが吹き飛んでしまった。


「だ、大丈夫ですか……」


 近場で怯えていた白山がレイラに近づく。後生大事そうにカメラを握っているが、撮る気はないらしい。


「私は大丈夫です。無事でよかったですね。勇さんがいなかったら死んでましたよ」

「……私のせいで、ピンチになったことだけは理解できます。なんと詫びればいいか。た、ただ、その、赤志は」

「あれ」


 レイラは体を起こし、指を向ける。


「悪いと思っているなら、彼の勝ち姿を収めてください」


 赤レンガ倉庫のイベント会場。特設スタジオや建物には微塵も傷がない。強いて言うなら会場席が荒れているくらいだった。

 そのイベント広場中央で、赤志は立っていた。右手に何かを持って。


「く……あはは……アハハ……屈辱だな」


 首から下がなくなった黄瀬は不敵な笑みを浮かべる。


「まさか、手を抜いて戦っていたなんて」

「手なんか抜いてないさ。ね。ただレッドガーベラがムカついて本気出しやがっただけさ」

「最初から本気で戦えばよかったじゃないか」

「無理に決まってんだろ? 異世界じゃないから全力出しちゃいけないんだよ。ていうか一歩間違えればネオン・サンクチュアリごとここら一帯……いや、日本が消し飛んじまう」


 黄瀬は笑みを消し、悲しげな表情になった。


「私は、遊ばれていただけか」

「気にすんなよ。俺がどれだけドラクル狩ってきたと思ってんだ。むしろここまで痛めつけられたの久しぶりなんだぜ? もっと誇れよ」


 赤志の傷はすべて完治していた。ただ。


「ふふ……キミの魔力、ほぼ尽きているね」

「最後の解放と体治すことで使い切っちゃった。異世界ならすぐ補充できるけど……この世界じゃ無理だ」

「ならまぁ……追い詰めることくらいはできたのかな……」

「ああ。俺も、レッドガーベラも、楽しめたよ」


 黄瀬の魔力も尽きていた。首だけで生きているのはドラクルの生命力があるからこそだ。


「できればあんたには生きて話を聞きたいんだが……どうよ?」

「そしたら今度は、元気になったと同時にこの国を滅ぼそう」

「交渉決裂だな」

「ああ。それがいい。元から人間に慈悲などかけられたくはない。あとのことはすべて」


 黄瀬は────マーレ・インブリウムは、視線を横に向けた。


「あいつに任せよう。さらばだ、尾上正孝。我が友よ。人間にしては、お前は、うん……私たちに似ていたよ」


 黄瀬の体が崩れ始めた。頭頂部から灰色の砂になり、風と共に消えていく。

 冬の一陣の風が吹くと、赤志は空を握っていた。灰色の砂も、宵闇に消えて見えなくなった。


 ステージの方を見るとレイラが手を振っていた。ステージ袖から九条が出たのが見える。

 白山はこちらにカメラを向けていた。ピースサインを向けると、相手が顔を見せた。


「申し訳ございません」


 口許だけそう動かし、頭を下げた。


「本当だよ」


 吐き捨てるように呟くとポケットが振動した。

 電話だ。通話相手は、尾上だった。


「……あんたの相方。死んだよ」

『お前が出ている時点でわかってるさ』

「尾上さん。もうあんたの負けだ。やめようぜ」

『まだだよ、勇。お前はまだ気づいてない』

「……あ?」

『大さん橋まで来い。国際客船ターミナルだ。いい場所だぞここは。きっと喜んでくれる』


 通話が切れた。


【何をしようとしてるんだ、あいつ】


 赤志は荒い呼吸を繰り返しながらレイラたちがいる場所へ向かう。


「九条さん。あと、確か、白山だったけ? レイラと一緒に避難してくれ」

「ど……どこに、行くんですか?」


 レイラの顔色が悪かった。随分と無理をさせてしまったらしい。


「大さん橋だったか。そこに尾上さんが待ってるらしくてな。迎えに行ってくるわ」

「ま、待って! 私も」

「レイラ。お前限界だろ。後は俺に任せておけ」


 赤志はステージから飛び降りて広場を駆ける。

 胸元に手を当てる。魔力がほぼ尽きているせいで、傷が復活しそうだった。


「くそ」


 それでも向かわなければならなかった。赤志は痛む体を引きずるように足を動かし続けた。


 その背中を見送っていた白山は、同じ会社の者が無事かスマホをチェックした。

 編集長からの連絡。

 そして、もうひとりから一通だけメッセージが来ていた。


『尾上正孝はどこにいる』


 その一文だけが表示された。

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