緑金-1

 最後に立っていたグリモワールが組み伏せられた。拘束されながらも暴れていたが、周囲に制服警官が集まるとすぐに大人しくなった。


「他に暴れている奴はいるか!」


 誰かが叫ぶ。周囲を警戒するが、すでに暴徒の鎮圧か完了していた。

 それを確認すると一部から歓喜の声が上がった。


「あの、ジニアチェインさん、ですよね」


 声をかけて来たのは女性の制服警官だった。まだ若く、20代前半といった容姿だった。


「暴徒鎮圧のご協力、感謝いたします! 魔法の使用も控えていただいて、本当にありがとうございます!」

「あ、いえ」


 ジニアの格好はドレスではなくなっていた。タキサイキアを倒した後はブリューナクを解除し、獣人の身体能力を活かして援護にまわっていた。


「あの、協力ついでに手伝っていただきたいことがあって」

「はい! 私たちにできることなら」

「あっちの。テラスの方で倒れている獣人がいるんです。気を失っているし、魔力も尽きているから暴れる心配はないんですけど、捕まえてくれると」

「グリモワールに味方している獣人ですか?」

「そんな感じです」

「承知いたしました! あとの処理はこちらにお任せください!」


 警官は敬礼すると仲間に声をかけテラスへ向かった。ジニアはしばらく観察しながら呼吸を整える。

 まだ腰を下ろすわけにはいかない。自分にはまだやるべきことがある。


 時間にすれば1、2分ほど。テラスの中からタキサイキアが引きずられるように出て来た。糸の切れた人形のように無気力だった。


「約束は、果たすから」


 ジニアは相手に聞こえない声量で告げるとその場から駆け出した。

 向かう先は、大さん橋。

 己の目的が、もうすぐ達成できると思うと、胸の中がざわついた。




ΩΩΩΩΩΩ────────ΩΩΩΩΩ




 本郷の首から上が横を向く。鼻血が飛び散り壁にまで付着する。


「っの野郎!!」


 ドスの利いた声と共にアッパーカットを放つ。尾上の首から上が天井に向く。

 ホール内に差し込む月明かりが2人の影を作る。片方はしっかりと構えているが、もう片方は足が震えていた。


「はぁ……はぁ……」


 尾上が口から血をボタボタと垂らしながら、必死に呼吸する。違和感を覚え血の塊を吐く。砕けた歯が紛れていた。 


「尾上。まだ話し合いで解決する気はないか?」


 尾上は荒い呼吸を繰り返すだけで、本郷を睨む。

 殴り合いの最中、相手の言葉に耳を傾けるなど普通はしない。だがダメージが大きい尾上は、少しでも体力を回復したかった。


「……話し合いか。まだそんな甘いことを言っているのか」


 有難い気持ちを隠すように口では強がる。呼吸を深くし、筋肉が弛緩する。


「尾上。どうして賢いあんたが、こんな馬鹿な真似をした」

「……馬鹿な、真似だと?」

「ああ。そうだ。人を助けるための薬を使って、人殺しを企てるなんて。そんなことをしていると知ったら、お前の恋人はどう思────」


 尾上は目を見開いた。言葉の途中で本郷が踏み込み拳を突き出してきたからだ。

 本郷の身体能力をコピーしているため、動体視力も上がっている。尾上は間一髪で、顔を狙った一撃を避ける。


 直後、腹部に衝撃が走る。

 何度も下突きを食らい、尾上は口から大量の血と胃液を吐き出した。


 なんとか距離を取りたいと思った尾上は、後ろに後退しようとする。


 グシャッ、という音が耳に届く。同時に激痛が尾上の全身を駆けた。


「がぁっ!?」


 叫びながら痛みの原因を探る。右足だ。後退するために残してしまった右足の甲を、本郷が踏み潰したのだ。

 本郷の踏み砕きは次の攻撃に繋げる一打だった。距離が取れなくなった尾上に再び拳を放つ。今度は顔面に当たる。


 尾上の状態が仰け反る。

 本郷は足を払い今度こそ相手を倒す。そのまま馬乗りになり雄叫びと共に、力の限り拳を振る。


 十発ほど打つと、尾上の顔面は腫れ上がった。鼻も拉げ、右目の腫れは酷く、顔も少し歪んでいた。


「話し合いなんかするわけないだろう。ハッキリ言って、お前は喧嘩が下手すぎる」

「く……ぶは……はは……」


 口の中がズタズタだった。笑うだけで痛みが走り、血が口の端から零れ落ちる。


「ただの、研究員……だから、ね」

「尾上。お前の負けだ。この状況からどうやっても脱出できないだろう」

「……たしか、ブリッジすれば、いいんだっけ?」


 尾上の顔面に底拳が打ち下ろされる。


「ぶあっ!!」

「抵抗するなら構わない。このまま殺してやる」

「……いい、のかい? リベラシオンの、ことや、もっと聞きたいことがあるんじゃ、ないか? 一般人はどうなる?」

「妹の仇が取れるなら、どうでもいいんだよ、こっちは。お前を殺したくて!! ここまで来たんだからな!!」


 本郷の殺意は本物だった。

 殺される。尾上は死の恐怖を感じ、口を開いた。


「俺の目的に、気づいているか?」

「……なに?」

「どうして本郷朝日を、そしてリベラシオンを……獣人と協力してワクチンを開発していたか」

「お前の恋人はワクチンの副作用で死んだ。それを隠蔽したこの国に復讐するために、偽造ワクチンを作り始めた。ワクチンは危険だと認識させ、自分と同じ苦しみを与えようとした。違うか?」

「半分、当たりだ」


 本郷は警戒心を解かない。胸倉を掴み、力を込める。


「全部話せ」

「……俺の本当の目的は、光煌駅ラスタートレインを出現させることだ」

「なに?」


 予想もしてなかった単語に目を見開く。


光煌駅ラスタートレイン? 異世界と現世界を繋ぐ駅を、どうして」

「あれが年々減っていることを知っているだろう? あれは由々しき事態なんだよ」

「それはわかる。異世界や魔法の研究が進まないからだろう。だからって────」

「そうじゃない」


 尾上は頭を振った。


「そうじゃない」


 尾上はもう一度言った。相手の瞳はさきほどまでの狂気渦巻くものとは違った。


「どうして異世界に行った者たちは帰ってこないと思う? どうして異世界の住人は人間に優しくする? と思う?」


 本郷は言葉を出さなかった。相手の話に、集中していたからだ。


「異世界の正体を知れば光煌駅ラスタートレインが消えていることは正常なのかもしれない。だが、俺やお前にとっては、存在していて欲しいもなんだ」

「……何が言いたい」

「黄瀬悠馬が……マーレ・インブリウムが教えてくれたよ。異世界と獣人の正体を。聞いた時にわかった。どうして勇が正体を喋ろうとしなかったのか。だよ」

「なんだ、それは。異世界の正体とはなんだ?」

「……現世界の人間が、横浜にあった光煌駅ラスタートレインで異世界に行くと、こう歓迎された」


 尾上は真っ赤な笑みを見せた。




「ようこそ、異世界の横浜へ」




 さまざまな言葉が出て来たため、本郷は危うく混乱仕掛ける。

 すぐに頭を振った。


「お前の狙いはわかった。適当なことを言って時間を稼いでいるな」

「また半分正解だ。適当なことではなく真実を言っている。そして正解部分は、時間を稼いでいる点さ」


 ホールの扉が勢いよく開けられた。

 本郷は視線を横に向ける。


 そこに立っていたのはジニアだった。


「……ジニア?」

「ほら。来たぞ」


 ジニアは口で息をしながら状況を理解すると周囲を見回す。

 そして、近場に落ちていた本郷の銃を拾った。


「……おい、ジニア────」


 ジニアは戸惑いを隠さず、震える手で銃を握ると、屋上に向けて発砲した。

 乾いた銃声に本郷の体に力が入る。


「ごめん。ごめんなさい、本郷さん」


 ジニアは、硝煙が立ち昇る銃口を本郷に向けた。


「何をやっている!」

「ごめんなさい! ごめんなさい! お願い、尾上さんからどいて……!」


 相手の目には涙が浮かんでいる。明らかな異常だが、引き金に指がかかっているため、何かの拍子に発砲してしまうかもしれない。

 ジニアに撃たれるのも、撃たせるのもごめんだった。本郷は奥歯を噛み、両手を挙げて尾上から離れる。


 重りが無くなった尾上は素早く立ち上がると本郷の顔面向かって蹴りを浴びせた。


「ぐっ……!」


 世界が反転する。グラつく視界でジニアに近づく尾上が見える。


「よくやった。ジニア。あと、やるべきことは……わかっているな?」


 尾上は勝利を確信した笑みを浮かべた。


「本郷縁持を殺せ。そうすれば、約束を果たしたことになる。勝負はキミの勝ちだ。お母さんに……合わせてやる」


 本郷は片膝をついたまま睨み上げる。邪悪な尾上の笑い声が圧し掛かる。


「尾上ぇ……!!」

「安心しろ、本郷。死んでも、また会える。すぐにまた会えるから」


 状況は、限りなく悪い。

 本郷は死の足音が迫りくるのを感じていた。

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