R-2
レイラ・ホワイトシールは特設ステージの中央部で両手を地面に付けていた。
顔を上げて、視線を前に。腹部にべったりと付着した血糊を拭うこともせず集中していた。
そうしなければならなかった。
なぜなら赤志勇が”ブリューナク”を発動したから。
”レッドガーベラ”が、前進を始めたからだ。
「……10分持つかなぁ……」
レイラは苦笑いを浮かべ、真っ赤に染まった空間を見つめ続けた。
ΩΩΩΩΩΩ────────ΩΩΩΩΩ
息を呑む。
心臓の鼓動が早くなっているのを感じる。背中に何か冷たいものが伝う。
赤く染め上げられた
【「どうした? 固まっちまって。ビビってんのか?」】
男性と女性が混ざったような不思議な声が届く。黄瀬は赤志勇を見据える。
姿形はまったく変わっていない。対峙した時と同じ姿だった。真っ赤な髪に黒い服。
だが決定的に違う箇所があった。口許だ。さきほどまでは何も無かったのに、あるものを装備している。
面頬だった。
口許だけを覆うような面頬。
形は狼のように見えたが、よく見るとそれが龍を模しているのがわかる。
そして、赤志の周囲が微かに震えていた。空間自体が震えており、赤志の体にラグが起こっているようにも見える。
「凄まじい魔力だな」
赤志の周囲を渦巻くように赤い魔力が動く続けている。その量は増すばかりで、霧のように視界を埋め尽くし始めている。
黄瀬は素直に賞賛の言葉を述べた。
「何に感謝すればいいかな。キミのような強者と戦えることを」
【「悪いな。無駄話に付き合ってられねぇんだ。速攻でケリを付けさせてもらう」】
赤志が一歩前に踏み出した。
途端に空気が振動した。さらに地面も振動している。波打つような揺れが生じ、その僅かな衝撃は空を飛んでいる黄瀬にも届く。
ライブ用に作られた座席が、音を立てて潰される。破片も押し潰され塵すら残らない。
鉄製だろうとお構いなしにねじ曲がり、潰れていく。
「なるほど。実物を見るのは初めてだが、そんな能力なのか」
であれば近づくわけにはいかない。
黄瀬は右手を向けた。
その瞬間だった。空に雨雲が生成され、多量の落雷が赤志を強襲した。
「……っ!!!」
レイラが両手に力を込める。レイラは今、ステージに仕込んでいた魔法陣の中央部にいる。そこから魔力を流すことで、ネオン・サンクチュアリを展開している。
落雷が地面を抉り、赤レンガ倉庫を破壊する。
しかし、破壊された個所はすぐさま直っていく。直るというより、時間の巻き戻しのような動作で元通りになっていく。
「ネオン・サンクチュアリ────空間遮断回帰陣魔法。指定範囲の仮想空間を作り出し、時間を巻き戻して事象を無くす防御陣、か」
現世とは隔離されているため、この空間には赤志とレイラ、黄瀬しかいない。一度展開されてしまってはレイラを倒さない限り、この空間から出ることはできない。
「回復魔法を持っているレイラだからこそできる荒技だな」
黄瀬が声を発したのは理由がある。落雷に打たれ続けている赤志の反応を探るためだ。
【「ぬるいな」】
明滅を繰り返す世界に、赤志の言葉が混ざる。
赤志が再び足を踏み出すと、落雷が消え失せた。さらには雲も晴れてしまう。
黄瀬は両手を叩き左腕を掲げる。
途端に、赤レンガ倉庫近くの海が一気に退いていく。退いた水はやがて巨大な波に姿を変える。
「……うそ」
レイラは目を丸くした。
今、赤レンガ倉庫を。みなとみらいを、横浜を埋め尽くそうとしている波の高さは最早人知を超えていた。
その高さ、300メートル以上。
レイラが前に泊まっていたランドマークタワーをゆうに超える大津波が襲来していた。
「っ、レッドガーベラ!!!」
耐えることはできるだろうが、これでは防衛陣を維持できない。
レイラの叫びを聞いた赤志が右手を掲げる。
【その程度かマーレ・インブリウム。だとしたらいささかガッカリだ】
女性の声だけが押し寄せる波の音と共に木霊する。
赤志が腕を振り下ろした。
次の瞬間、波が潰れた。巨大な濁流となり街に迫る。
赤志はその場で左拳を突き出した。まるで目の前にいる誰かの顎を貫くような直突きを放つ。
すると、濁流が乱れお互いに打ち付け合う。水は街を襲わず、その場で暴れ狂い始めた。
「もらった」
黄瀬が赤志の背後に回り込み、手刀を振り下ろす。
赤志は振り向きざまに裏拳を放つ。
速度が勝ったのは赤志だった。黄瀬の頬を穿つ。
後方に飛ぶ黄瀬の右足を掴み手繰り寄せる。
「ぬっ!!?」
黄瀬の体が地面に沈む。物理的にありえない動きで仰向けになった黄瀬は、上空から何かに押しつぶされる感覚に襲われる。両手を使い必死に抵抗するが押し戻せそうにない。
ミシミシと体が音を立て始める。
「近づくだけでっ……これか……!!」
【「もうおせぇよ。マズそうなピザになっちまいな」】
「どうかな?」
黄瀬がニッと笑い、己の爪で右足を切り落とした。
途端に背中に黒い翼が生え、後方に飛ぶ。バランスを崩した赤志は数歩後ろに下がると足を投げ捨てた。黄瀬の右足は地面に着く前に押しつぶされた。
床に広がる赤い円。それすらも徐々になくなっていく。
「液体すらも潰されて塵芥にされるか」
黄瀬はスーツを正した。右足もすでに再生している。
黄瀬は指を鳴らした。途端に何もない空間から火柱が生み出され赤志に迫る。
赤志は涼しい顔でそれを迎え撃つ。5メートルほど手前で火柱が潰れた。火の粉が周囲に漂うばかりで赤志には近づけない。
火柱の発生をやめると、赤志の周囲の地面が沈んだ。亀裂が生まれ、音を立てて潰れていく。
ネオン・サンクチュアリの効果で再び元通りになるがすぐに亀裂が発生する。
「重力か。赤志。キミの”ブリューナク”は」
【「答える義理はない」】
「それは地球が持つ純粋な重力エネルギーではなく魔法によるものだな」
黄瀬がクツクツと笑う。どこからともなく紫色の巨大な槍が、赤志の周囲に出現する。
槍の大きさは電信柱ほどの大きさ。それらの矛先が赤志に向けられ、射出される。
それらの槍も、赤志に届く前に押しつぶされ、砕け散る。
「だからそんな芸当ができる。なるほど、我が一族が負け続けている理由がわかる。まさか魔力ごと押し潰すことができるとは。疑似的な魔力遮断だ」
【よく喋るなお前】
「その声はレッドガーベラ自身か。まさか意識を保ったまま力を貸すなんて。流石は帰還者と言ったところか」
いや。黄瀬は頭を振った。
「今のキミはどっちだ?」
今度は赤志が仕掛けた。
一瞬で距離を潰し拳を振り被る。黄瀬が防御しようと腕を掲げた瞬間。
黄瀬の体に紫電が走る。次いで全身が炎上した。
炎上し、悶える黄瀬に赤志の拳が突き刺さる。
黄瀬は後ろに飛ばず、その場で潰れる。
「ぐぅ……ぉぉおおおおおお」
なんとかその場から脱出するが、黄瀬の体の半分はミンチになっていた。さらに、顔以外は炭のようになっている。
「はぁ……はぁ……周囲に……重力波だけでなく……電磁波まで展開しているのか……。これではますます近づけんな」
だから空間を守れる防御陣を展開している。赤志のレッドガーベラはそのまま発動すると、街を崩壊させてしまうからだ。
体を回復させた黄瀬はチラとレイラを見る。
【「おい。変なこと考えんな。少しでも背を向ける余裕があるのか?」】
「……レイラを殺せばキミはただ街を崩壊させるバケモノだ。私にも勝ち目がある」
【「その隙を見せれば必ずお前を殺せるぜ」】
赤志が近づき、ちょうど重力波が影響する直前で足を止めた。
【「サービスだ。いくらネオン・サンクチュアリを展開していても、暴れれば持続時間が短くなる。だから殴り合いをしようぜ」】
「……断る。つきあう義理は」
【固いこと言うなよ】
赤志がローキックを放った。黄瀬の右足が吹き飛ぶ。
赤志が迫ると後退した。少し遅れたため重力の影響を受け、体の前面の皮が剝がれた。
【「いいじゃないか!! そっちの方がバケモンじみてるぜ!!」】
勝負は一方的だった。限られた空間で、魔法に精通した者に突き刺さる初見殺しとも言える能力を持つレッドガーベラに、黄瀬は追い詰められていた。
多少の抵抗はしている。爪を使い、魔法を使い。
だが風で作られた斧も、周囲のビルを遠隔魔法で引き抜き、赤志にぶつけても、赤志には指一本触れられなかった。
「っ……つ……っ……つよ」
喋る前に首から上が飛ぶ。
「……強い……」
赤志が黄瀬の首を掴む。黄瀬が潰れ地面に赤い花が咲く。
一瞬で塵になり、電撃がそれすら燃やす。
わずかに残った欠片から黄瀬は復活するが、すでに限界を迎えていた。
蹲りその場で荒い呼吸を繰り返す。
【「お前の一族も最後はそうやって頭を垂れた。どんな気分だ? 普段見下ろしている華に、見下ろされる気分は」】
赤志が足早に相手に迫る。顔には狂気的な笑みが浮かんでいた。
それに対し、黄瀬はクスクスと笑い声を上げた。
【「あ? 壊れたか?」】
「いや、違うよ……レッドガーベラ。キミはひとつだけ弱点を作ってしまったね」
【「なに……」】
「赤レンガ倉庫の建物の中だ」
黄瀬は建物を指差す。
「片方にいた機動隊の連中はすでに退避させている。だがもう片方は?」
【「……全員」】
「退避したと思っているのか?」
黄瀬が何を狙っているのかわかった。
【勇!!!】
赤志が拳を放つが黄瀬の方が早かった。
一直線に建物に向かい上空に飛ぶと、両腕を振り下ろした。
【「クソッ!!!」】
瞬く間に建物が倒壊する。
魔法の効果で直りはするが、レイラの限界が近いのか、その回復速度は遅かった。
そして倒壊した建物の中から、人影がひとつ赤志の瞳に映る。
「……ぐ、あ……いった……なに、なんだよ……これ……」
男────白山飛燕が頭から血を流し、立ち上がる。
次の瞬間、肉が避け水が飛び散る音と共に、白山の顔に血が付着した。
「……え?」
白山がゆっくり視線を向ける。
誰かの大きな背中が映っていた。そして、誰かの腕が貫通していた。爪が伸びており、白山の眼前で止まっている。
言葉を失う白山のかわりに、レイラの悲鳴が木霊した。
「勇さん!!!」
レイラの瞳には、黄瀬悠馬の腕に胸を貫かれた、赤志勇が映っていた。
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