白山-1
楠美が重傷を負ったと聞いた時、飛燕は仕事を放り出し警察病院へと向かった。
車をする最中、バックミラーを頻繁に確認していた。それは後方車両が気になったためではない。自分の顔色を確認するためだ。
蒼ざめていた。彼女が死にかけているのは自分のせいではないか。そう思うと胸が締め付けられる思いだった。
真実を追い求める。少しカッコつけてはいるが、自分の仕事の誇りはそれであると飛燕は思っていた。
だが、その過程で人の命を、ましてや知り合いの命が危険に晒されることなど考慮してなかった。
世界は残酷だが、この国はどこか甘いと思っていたからだ。命を大切にすると思っていたからだ。
病院に着き受付に話を聞くが、知らぬ存ぜぬだった。秘匿なのか、一般病院にいるのか。
「……探し出すしかないか」
それからというもの、飛燕は楠美の行方を探した。しかし手かがりすら掴めず、とうとう12月24日になってしまった。
『これ以上は引き延ばせないぞ』
「もう少し待っていただけませんか、編集長」
イラつきを隠せないように車のハンドルを指で叩く。もっとも、憤っているのは相手もだ。声色から怒気が伝わってくる。
「自分の今までの功績があるでしょう。レイラ・ホワイトシールのライブ取材なんて他にいくらでも」
『お前定期連絡すら見てないのか?』
「有給使って休んでいる時に、会社の連絡なんか見ませんよ」
『社員総出でみなとみらいに集まる予定になっているんだよ』
「……そんなに集まる意味がわからないのですが」
『レイラのベストショットを撮ろうとどれだけの記者が集まると思ってる? オマケに特設ステージが設けられた野外ライブだ。今日のみなとみらいは人の重さに耐えられねぇで沈んじまうかもな』
馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ、と心の中で呟く。観客のほとんどは報道陣なんじゃないか。
『飛燕。お前が何を探しているかわからないが仕事をしてもらわなきゃ困る。今すぐこい』
「……わかりました」
社会の歯車である以上、上の命令には逆らえない。
この仕事が終わったらまた楠美を探そうと、飛燕は車を走らせた。
ハンドルを操作しながら思案する。楠美の行方ではなく、12月20日の出来事を。その日は赤志が住んでいるとされる鶴見のタワーマンションが消えた日だった。消失した原因は不明だが、十中八九魔法が関係している。
となるとやはり、この時期に起こった様々な事件の真相を把握するためには、赤志と本郷の行動を負い続けることだろう。
みなとみらいに到着した。飛燕はカメラを引っ提げて受付ゲートの写真を撮る。今日の服装はスーツではない。一般人や警備員から見ても、カメラを構えたオタクのように映っているだろう。
「さて、どうしたもんかな」
ひとりごちた飛燕は一般客の集団から離れ赤レンガ倉庫建物に近づく。
ベストショットを取るためには人の影が少ない方がいい。盛り上がる観客の背中を一緒に収める写真は、他の者たちが撮ってくれるだろう。
地面ではなく上の方から撮りたいと思っていた飛燕はダメもとで建物の扉を押す。
「え」
ドアが開いた。思わず声を上げてしまう。ライブ中は赤レンガ倉庫の建物はすべて封鎖される手筈だった。
飛燕は僥倖だと思い建物の中に入る。客も入らないため売店も営業を停止している。
赤レンガ倉庫は基本3階建てだが、一部に三角屋根の4階建て部分がある。関東大震災前は荷物の出し入れ用の
飛燕は4階の窓に行く。ちょうどレイラ・ホワイトシールを上から捉えられる場所だった。
ライブが始まる。飛燕はカメラを構えシャッターを切った。
そこで、指が止まった。
どう考えてもおかしいのだ。
レイラ・ホワイトシールは日本だけでなく世界中で愛され大事にされている異世界の歌姫である。彼女が危険な目に遭うことは国の信用問題にも関わる。
つまりだ。
この場所に警備隊がいないことなどおかしい。
封鎖されている建物内だからこそ、そして頭上を取れる位置だからこそ、何かしら配備するべきではないのか。
飛燕はカメラを使って周囲を伺う。観客の中にはレイラを見ていない者たちがいた。明らかに一般人ではない。警察関係者だ。
次に向かいの建物を見る。そこには人影が見えた。ヘルメットに防弾チョッキまで装備した、特殊部隊の姿。
「なんで……」
こっちの建物には誰もないんだ。嫌な予感が飛燕の胸中を駆ける。
レイラ・ホワイトシールの挨拶が始まっても飛燕は困惑したままだった。このままいてもいいのかどうか迷う。
「くそっ」
レイラにピントを合わせ写真を撮る。この挨拶が終わったらこの場所から移動しよう。
そう決めた時、フレームにある人物が映った。
「……え?」
ズームする。ステージ袖がギリギリ見える位置。そこに、赤井勇がいた。
次の曲が始まると赤志はフードを深く被った。
「なんで……あの服は、グリモワールの」
曲が始まってレイラが歌いだそうとしたところで、赤志が舞台袖から飛び出た。
迷わずレイラに近づいていく。演奏が徐々に小さくなり、遂には止まった。
音が止まったためレイラが赤志の方を見る。
一瞬の静寂が流れ、人々が困惑した声を上げた。煌びやかなステージに紛れ込んだ明らかな異物を見た観客が「誰だよあれ!」と声を荒げるのが聞こえた。
「レイラ・ホワイトシール」
設置されたスピーカーを通して聞こえたのは赤志の声だ。
「お前がいるから、異世界も、この世界も、幸せになれないんだ」
そう言って赤志は右手に持った包丁を向けた。大型バックスクリーンにそれが映る。
「死ね」
赤志が駆け出す。凶刃がレイラの腹部に突き刺さった。
『あっ……かっ……』
刃を引き抜く。レイラは腹を押さえ、血を流しながら倒れる。
バックスクリーンだけでなくサイドスクリーンにも血塗れの包丁と、血を流して倒れるレイラが映る。
悲鳴が、上がった。それを皮切りに観客席が大混乱に陥る。
同時に本郷が向井のステージの袖から飛び出すのが見えた。ハッとして、飛燕はカメラを構える。
『慌てずこちらに!! こちらに避難してください!!!』
誰かが声を上げているがスムーズに避難誘導できるわけがない。観客席は大混乱に陥っていた。
飛燕はそちらに目を向けず、ステージの上で取っ組み合いになっている大男二人を見る。
その時、ハッキリとわかった。普段の本郷であれば問題なく赤志を投げ飛ばしていただろうがその様子はない。そもそも、明らかに制圧の仕方が雑だった。
演技だ。
赤志は声を荒げ、本郷の腹部に包丁を突き刺した。血が派手に飛び出す。
「獣人の歌なんか聞きやがって!! テメェら全員ぶっ殺してやるよ!!」
怒号を飛ばし、ステージを降り、観客席へ。観客の男性が、
「な、何をしてるんだお前!!」
震え声で立ち向かった。地味なコートにベージュのチノパン、さらに眼鏡。レイラのファンだろうか。
赤志は戸惑いなく男性の腹を刺す。それも2回。
次は近場にいた獣人の少女に刃を振り下ろした。
「うわあああ!! に、逃げろ!! 逃げんだよ!!」
叫んだ男性馳せを向けるが足がもつれて倒れる。赤志は素早く近づき、背中を指す。再び赤色が再び散らばった。
抵抗した者や逃げる者、子供までも容赦なく傷つける通り魔。もはや誰も赤志に立ち向かおうとしはなかった。
わずかに残っていた者たちも全員が会場出口に向かう。
だが建物内にいる飛燕だけは、固唾を呑んでその光景を写真に収めていた。
「……なんであいつ……人殺しのフリなんてしているんだ?」
写真を撮るだけでもわかる。飛び散った血が赤すぎる。あれは
疑問に思っていると、赤志が空を見上げた。
煌々とした光を放つ月と星。クリスマスに相応しい、綺麗な夜空が広がっていたが、飛燕はジッと赤志にレンズを向け続けた。
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