本郷-4

 フロントガラスに当たる雨と左右に動くワイパーの隙間から、正面をジッと見続ける。


「今年もあのコート着るのか?」


 助手席の飯島源治いいじまげんじがニヤニヤとした笑みを向けた。


「……多分」


 運転席にいる本郷が答えると、嬉しそうに肩を揺らした。清潔感漂う服装と相反して、胡散臭い雰囲気が漂っている。垂れ目と薄ら笑いを浮かべている口許は何か悪巧みしているようだ。


「楽しみだ。今年はやってくれよ? 無線機持って緊迫した表情で「レインボーブリッジ封鎖でき────」」

「やめてください」

「事件は会議室で起こってるんじゃない!! とかブチギレてくれ」

「やめろって」


 頭でも叩いてやろうかと思った時だった。

 前方の家から黒いコートとニット帽の男が転がるように出て来た。

 片手に出刃包丁を握りしめている。


 標的であるパパ活女子殺害の被疑者だった。


「あらら。楠美くすみと他の奴、ミスったな」

「確保します」


 本郷が車を降りる。走っていた男は顔を強張らせながらも足を止めない。

 その背後からスーツを着た集団が姿を見せる。全員ずぶ濡れだった。


「本郷先輩!! そいつ捕まえてください!!」


 先頭を走る後輩の楠美が悲鳴を上げるように叫んだ。それが引き金となったのか、男が目を血走らせ、ナイフを振り回した。


 本郷は縦振りの一閃をやり過ごすと、左腕を伸ばして包丁を持つ手を掴み、力を込めた。

 瞬間、男の手首がへし折れた。凄まじい音と共に男が叫び声を上げ、ナイフを落とす。

 間髪入れず素早く肩に担ぎあげて投げる。肩から地面に落ちた相手は鎖骨が折れ、悲痛な叫び声を上げると気絶した。


「確保」




ααααα─────────ααααα




 デスクで始末書を書いていた本郷は泥のようなコーヒーを口に運ぶ。隣には真っ赤な顔をした柴田警視が立っていた。


「あなたは逮捕術を学んでないわけ!?」

「学んだからこそ、ああやって確保したのですが」

「手首を折る必要も、鎖骨を折る必要も無かったでしょう! そのせいで取り調べもできやしない!」

「包丁を振り回す相手を気遣う配慮が欠けてました。申し訳ございません」


 柴田が声を荒げようとした。その間に飯島が腕を差し込む。


「落ち着いてください柴田さん。私がビシッとこの本郷ポンコツに言っておくので」

「……飯島警部が言うなら」


 飯島が柴田と話ながら離れていく。本郷は不服そうに鼻を鳴らした。

 現場に来ないからあんな平和ボケしたことを言えるのだ。殺人鬼に恩情をかけてどうする。だから警察が舐められるのだ。


 ただでさえ不祥事の温床と言われ馬鹿にされている神奈川県警の評価を、あの女はさらに落とそうとしているのか。


「あの、申し訳ございませんでした。本郷先輩」


 首にタオルを巻いた楠美紫音くすみしおんは申し訳なさそうに頭を下げた。雨に濡れた流れるような黒髪は光沢を放っている。

 目が赤い。またトイレで泣いていたのだろう。


「逮捕状見せた途端に逃げられたか。災難だったな」

「……はい。本当に、すいませんでした」

「気にするな。次に活かせばいい。ジャケット脱いだらどうだ? 濡れてるぞ」

「大丈夫です」


 楠美が力の無い笑みを浮かべた。目許が再び潤み始めている。


「頑張ったな」


 再び頷きが返される。楠美のシャープな目許が少し和らいだ。

 他人からはクールで強い印象を持たれる美人の楠美だが、中身は臆病で非常に優しい女性なのだ。きっと刃物を見た時は恐ろしくてしょうがなかっただろう。


「固ぇよ楠美巡査」


 飯島が戻ってきた。


「上の連中も頭カッチカチだな本当。殺人鬼捕まえた報酬が小言だ。やってらんねぇよ。将たるもの部下を褒めてこそだろうに」

「仕方ないです。自分が活躍するのが気に食わないと思うので」

「そ、そんなのおかしいです! 本郷先輩は立派に犯人を捕まえたじゃないですか」

「命令違反ばかりの問題児が活躍するのが気に食わねぇんだろ。単純に」


 楠美が眉間に皺を寄せる。


「そんな顔するな」

「ですが」

「いつも通り、人間と獣人を犯罪の魔の手から守る。それだけを考えろ」

「……はい」


 本郷は捜査一課で煙たがられている人物だが、楠美にとっては尊敬に値する人物だった。

 犯罪者を許さず、犯人や凶器に恐れることなく立ち向かう大きな警察官の姿は、憧れであり理想だった。


 本郷は楠美のそんな気持ちに気付いていた。だからあの緑色のコートが似合うような警察官になれればいいと。

 そう思っていた。




ααααα─────────ααααα




 その日の夜、本郷は飯島と共に牛丼屋を訪れていた。

 飯を補給したら本部にとんぼ返りだ。本郷は空になった椀を重ねる。全部で5段。どれも特盛り専用の椀だった。


「すいません。このメガ盛り牛丼を2つ。卵は6個で」

「は、はい。かしこまりました」


 店員は引きつった笑みを向け厨房に引っ込んだ。

 店内は本郷と飯島しか客がいない。


「お前まだ食うの?」

「今頼んだので腹八分目になります」

「マジで病気になるぞ」

「もう病気ですよ」


 飯島は並盛の牛丼を半分ほど平らげたところで箸休めしていた。


「よく自分で食生活管理できんな。妹さんにまた頼めよ」

「あいつは忙しいんですよ」

「去年のクリスマス以降会ってないんだっけ」

「はい。2月に新しい取材が決まったという連絡が来てからは」


 あまり気にしてなかった。もう子供ではないのだ。いちいち連絡を取り合うこともない。2人きりの家族とはいえ、互いにいい年になれば連絡も減る。


「あ~クソ。もう食えねぇわ」

「小食じゃないですか? 最近」

「腹の調子悪いんだよねぇ。そろそろお迎えも近いか」

「力尽くで叩き起こすので覚悟してください」

「お前にトドメ刺されそうだわ。やめてくれ」


 馬鹿話をしている電話がかかってきた。本郷はポケットから振動するスマホを取り出す。飯島も同じ動作をしていた。

 ということは、通報だ。素早く画面に指を這わせる。


「事件か」


 通話先の相手は声が震えていた。


「落ち着いて話せ。どうしたんだ」


 真剣な表情で耳を傾ける。

 そして、徐々に、本郷の顔が青ざめていった。


「……は?」


 変な声が出る。飯島が目を見開き、本郷に顔を向ける。

 本郷の大きな手からスマホが滑り落ちるのが見えた。

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