本郷-5

「2月上旬から連絡は来てなかったと?」

「身内である本郷警部からは、そのように聞いております」


 柴田警視は淡々とした口調で言った。

 捜査本部の中は殺気立っていた。捜査一課の刑事の家族が殺されたとなれば当然である。


「遺体は横浜中華街の路地で発見されました。死後10時間ほど経過しており、性的暴行の痕跡は無し。免許証や身分証、金品の類が奪われた形跡もありません」


 正面スクリーンに、雨で濡れた遺体が映る。

 黒い瞳は虚空を見つめており、顔には青い血管が浮き出ている。目元は窪み、頬がこけていた。


「本郷がここにいなくてよかった」


 飯島は呟く。隣にいる楠美は今にも泣きそうだった。


「さんざん泣き喚いたんでしょうね。顔全体が濡れてますし」


 一瞬、室内がざわつく。柴田の声が楽しげだったからだ。


 柴田はキャリア組の警察官だ。腐敗した神奈川県警を改善することを目標としている彼女は、頻繁に命令違反する本郷を疎ましく思っていた。

 ゆえに、気に入らない者の不幸を楽しんでいるのだろう。


 低俗な女だ。飯島は舌打ちした。


紅血魔力ビーギフトは暴走寸前の値でしたが、死因は薬物過剰摂取オーバードーズだと考えられます」


 腕の関節部分にズームする。複数の注射痕と紫色に変色した肌が映される。


「解剖結果は途中ですが、合成オピオイドの一種である「フェンタニル」を過剰摂取したのが原因かと思われます」


 フェンタニルは術後疼痛やがん性疼痛の緩和を目的に用いられる強オピオイド鎮痛薬だ。

 強オピオイド鎮痛薬の中で有名なのはモルヒネだろう。現在もがん治療などで使用されている。


 くだんのフェンタニルはモルヒネ系薬物とは化学構造が異なる合成麻薬だ。

 その鎮痛効果は、モルヒネの100倍。非常に強力な薬であるため少量でも死に至る危険性がある。


「頭髪や体内に残された尿からは、魔力増強違法薬物「トリプルM」の反応が出ております。その影響で魔力暴走が起き、痛みを抑えるためにフェンタニルを大量に服用したと考えられます」

「被害者に薬物使用歴は?」

「ありません」


 即答する。


「何者かに無理やり摂取されたと考えられます。その証拠に、現場近くには使用済みの注射器が1本発見されております。針は取り外されておらず、先端部分には血が付着しておりました」

「指紋認証と血液検査の結果などは」

「確実な結果が出るのは3日ほどかかります」


 柴田は喉を鳴らした。


「現在被疑者の目途は立っておりません。しかし手口から、ある人物の犯行だと推察することは可能です。本事件の被疑者を「シシガミユウキ」とし、各自捜査に当たってください」




ααααα─────────ααααα




 飯島は戸塚とつか駅近くにある本郷の家を訪れた。車を降り呼び鈴を鳴らす。


 事件を聞いた本郷は遺体を確認したあと、本部内で暴れ怒り狂った。大粒の涙を流しながら。

 結果、彼は自宅謹慎となった。誰も責めはしない。冷静でいられる方がおかしい。


 あれから2日。監視している同僚からは「動きはない」と報告を受けている。


「出ませんね」


 一緒に来ていた楠美が心配そうに呟くと静かに扉が開いた。

 楠美は息を呑んだ。


 本郷はボロボロだった。髪は乱れ、瞳は無気力。

 いつもの雄々しさも凛々しさも、力強さもない。


「……要件は」

「安否確認だ」

「大丈夫なわけないでしょう」


 口の端には血の跡が見えた。歯茎から血が出るほど、噛み締めていたのだろう。


「DNA鑑定の結果は聞いてます。ほぼ100%、朝日だと」

「ここに来たのは理由がある。あることを聞きたい」

「……なんですか」

「朝日さんは、ワクチンを接種していたか?」


 本郷は去年のクリスマスの言葉を思い出す。


「してますよ。2回」


 飯島は顔をしかめ、首を傾げた。


「疑うわけじゃないが、本郷。朝日さんはワクチン接種をしていない」

「……え?」

「接種記録がないんだ」


 本郷は瞳をギラつかせ飯島の胸倉を掴む。


「本郷先輩!!」

「嘘だ」

「お前を信じたい。だから調査に協力しろ」


 本郷は肩で息をする。混乱する頭を必死に整理し、やがて力を弱めた。

 本郷はスーツに着替え、髪型を整える暇も惜しみ本部へ向かった。


 捜査本部を訪れると同情的な視線を無視し、資料が纏められたファイルを手に取る。

 本郷はデスクに座ると内容を確認し始めた。


 だが痛ましい記述に目が眩み、朝日の遺体を見た瞬間、胃液を吐き出した。ろくに物を食べていないため黄色い液体しか出てこない。

 本郷の視界と肩が揺れる。楠美は涙目で、大きな背中を摩った。


「……飯島さん。俺には、無理だ」

「泣き言ほざくなよ。ここで逃げたらお前、一生後悔するぞ」


 飯島は胃液を気にすることなく本郷の前に片膝をつき、両肩を掴む。


「逃げるな。俺らと一緒に犯人見つけんだよ。絶対に妹さんの仇を」

「その必要はありません」


 鋭い声が耳に届いた。瞳を横に向ける。柴田が見えた。

 彼女は見下すような視線を向けたまま本郷に近づくと自身の腰に手を回す。




「本郷縁持。お前を、女性記者薬物中毒殺人事件の容疑者として現行犯逮捕する」




 言葉を理解できたのは、柴田に手錠を嵌(は)められてからだった。


「身柄を拘束させてもらう」


 周囲の刑事たちが全員当惑する。


「な……んだ、これは! どういうことだ!」

「凶器である注射器からは本郷朝日の血液と、あんたの指紋が検出された」


 柴田は、本郷を憎々しげに睨みながら言った。


「待て。柴田。これは、誰かの罠だ。誰かが俺をハメようとしている」

「誰がハメると?」

「犯人に決まっている。冷静に考えろ! 犯人が捜査に参加するか!?」

「犯人だからでしょう?」


 柴田がフッと笑う。


「調査を撹乱させ、自分が犯人だと思われないよう動く。理由としては充分ね」

「バッ、馬鹿か!? 何を言っているんだ、お前」

「しかしダメな警察官だと思っていたけど、まさか自分の妹を殺すなんて」


 眉間に皺を寄せた。数多の視線が本郷を突き刺す。

 飯島が立ち上がる。


「柴田警視。これは何かの間違い────」

「飯島警部、間違いではありません。本郷警部を本事件の第一容疑者として身柄を拘束させていただきます」


 本郷に近づき勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


「記者の妹さんに不祥事でも掴まれたの? 下種ゲス野郎」


 小さな声で、本郷にしか聞こえないように呟いた。


「あなたに似たクズな妹なんでしょうね。つい殺しちゃったんでしょ? さっさと容疑を認めれば罪が軽く────」


 瞬間、本郷の雄叫びがフロアに轟いた。

 両腕に力を込め、


「ああぁああああああ!!!」


 叫ぶと同時に手錠の鎖が砕け散る。


「えっ、えっ!?」

「柴田ぁあ!!!」


 本郷は柴田を押し倒す。マウントを取り、腕を振り上げた。


「ひっ、ひぃい!!」


 怯える柴田の顔面に拳を振り下ろそうとする。


「本郷!!!」


 飯島がタックルし本郷を倒した。それを皮切りに付近の刑事たちが動き出した。


 本郷の虚しい咆哮は、県警本部内とその周囲に響き渡った。

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