レッドガーベラ～異世界横浜【魔薬】事件簿～

赤志-3

「や、やめてください！！」

「なぁんだよ。恥ずかしがんなって」

　ボックス席の壁側にいる女性は不快感を露にしていた。隣にいる男は女性の細い腕を掴み、厭（いや）らしい笑みを浮かべている。

「寂しい者同士仲良くしようよ～」

「と、友達と待ち合わせしてるんです！」

「嘘つくなよ～」

　ライトが男の顔と淡い金髪を照らす。脂ぎった四角い顔に黒いジャケットはヤカラのようだ。

　腕を掴まれていたのは、人面の兎人（シャルト）だった。異世界で最も個体数が多く、最も弱い獣人の。

　獣人は、獣の力と人間の知能を兼ね備えたバビロンヘイムの生物である。その卓越した身体能力は、人間では到底歯が立たない。だが兎人（シャルト）は別だ。とても非力であり能力値的には人間とほぼ相違ない。

「や、やだ！！　離して！！」

　兎人（シャルト）が身をよじり、空いた方の手で男の頭を叩いた。

「ってぇな！！　このクソ女！！」

　男は怒号と共に右腕を伸ばし、兎人（シャルト）の長い耳を掴んだ。

「耳引っこ抜いてブチ殺すぞ！！　獣人（てめぇら）はペットになってりゃいいんだよ！！」

　甲高い悲鳴が木霊する。周囲の視線を意に介さず男は唾を飛ばし続ける。

　騒ぎの中心に近づくのは、赤志ひとりだった。

「お前らは人間に媚びへつらうのが大好きなんだろ！？　だったら」

「おい」

　赤志は男の右肩を掴み、親指に力を込めた。

「がっ！？」

　男の顔が苦痛で歪む。激痛が走った影響で兎人（シャルト）から手が離れる。

　赤志は肩から手を離し、間髪入れず襟を掴み、グイと手前に引っ張る。

「え」

　男は間抜け面を浮かべながら、ボックス席から飛び出すように廊下に投げ出され、尻餅をついた。

　一瞬呆けていた男は、顔を真っ赤にして立ち上がった。

「あぁ！？　なんだてめぇ？　おい！」

　目を血走らせる男を観察する。

　肌と顔の皺から30代くらい。酒臭い。顔が赤い原因は怒りだけではないらしい。

　肩を掴んだ時、僧帽筋が発達しているのがわかった。それなりに鍛えているのだろう。

「ナンパなら余所でやれ」

「うぜぇよ」

　男が赤志の肩を小突く。赤志の体はピクリとも動かなかった。

「なんだお前。その女の知り合いか？　フードとれ。顔見せろ」

「タチの悪い酔っ払いだな」

　せせら笑う。相手は威嚇するように首を鳴らした。

「目ン玉ブッ潰すぞ。コラ。オレァ空手やっててよ？　手加減とかできねぇんだわ」

　男を無視し被害者に目を向ける。

「大丈夫？」

　目尻から涙を零しながら頷きを返した。赤志は再び男性に目を向ける。

「女の子泣かせちゃダメだって。なぁ？」

「うるせぇ！！　馬鹿が出しゃばんな！！」

　男はジャケットを乱雑に脱ぎ捨てた。

　周囲を見る。場所は店内一番奥のボックス席。客は全員観察しているだけで近づいてこない。

【仲間はいないと】

「土下座すれば許してやるよ。俺が誰かも知らねぇで喧嘩売りやがって」

「ごめんね。知らなくて。売れないお笑い芸人の方？」

「死ねクソガキ！！」

　男は雄叫びと共に右腕を振り被った。

「馬鹿だろ。お前」

　赤志は静かに言うと、一歩踏み込み間合いを潰す。

　次の瞬間、右手の掌底をアッパーカットの要領で相手の下顎に叩きつけた。口を勢いよく閉じさせ噛みつきを封じる。

「ぐぶっ！！？」

　左手を伸ばし耳を掴み力任せに下に引っ張る。男が片膝をつく。

　流れる動きでもう片方の膝裏を蹴り跪かせると、相手の左目に右手の親指を押し付けた。

「あ、が……」

「動くな。目ン玉潰されてぇか？」

「な、なんで」

　震える唇を必死に動かしながら、赤志を睨み上げた。

「ク、ソッ。テメェ！」

「軽く扱うな」

「あぁ！？」

「獣人は人間に対して好意的だ。病的なほどな。媚びていると思われても仕方ない」

　赤志は眉間に皺を寄せる。

「だからって軽く扱うな。絶対後悔する。わかったか？」

　親指に力を込める。男が「ヒッ」と鳴く。

「わかったか！！？」

　男の瞳に、フードの奥に眠る、獣のような赤志の双眸が映った。

「わ、わかり……ました。すいません、でした」

　殺意を肌で感じ取った男は頭を下げた。

「よろしい」

　拘束を解く。男は大きく肩で息をした後、ドタバタとした動きでジャケットを取りその場から逃げ出した。

　バーに流れる音楽が大きく聞こえ始めた。

【目玉。潰せばよかったのに】

　赤志は女性に話しかける。

「大丈夫？」

「は、はい」

「移動しよう。こっちきて」

　手を差し出すと女性はおずおずと手を伸ばした。小さな手を取り、立ち上がらせる。客の視線やスマホのカメラを無視しカウンター席まで戻る。

「悪い、なんか冷やすものない？」

　賞賛の瞳を向けるバーテンダーに声をかけると、すぐに冷えたタオルが渡された。

　女性を座らせ、隣に腰掛ける。女性が腕にタオルを当てると、バッと頭を下げた。

「あ、あの！　ありがとうございます！　お、お、お怪我は！？」

「だいじょぶだよ」

　赤志は両手を振って無事をアピールする。

「はぁ……よかったぁ……。本当、もう、怖くて」

　ようやく緊張が解けたのか、兎人（シャルト）は微笑みを浮かべ胸を撫で下ろす。

　幼い顔立ちと黒髪。可愛らしいピンクのコートも相まって随分大人しく見える。

【だいぶハズレ臭いぞぉ】

「あのさ。ちょっと時間いい？」

「は、はい！　お礼でしょうか？　お酒くらいしか奢れませんけど」

「ああ、違う違う。そうじゃなくて、ひとつ聞きたいことがあるんだ」

　女性は首を傾げる。

「人を探してる。「シシガミユウキ」。聞いたことは？」

　女性は顎に手を当て、再び首を傾げた。片耳が一度畳まれる。

「えーっと、ないですね」

「そっかぁ」

　バーテンダーを見ると、コースターを２人の前に差し出した。

「奢りです。厄介な客を追い出してくれたお礼と、お詫びだと思っていただければ」

　赤志の前にビール、兎人（シャルト）の前にはキャロットメアリーが置かれる。

「そ、そんな！　お構いなく！」

「サンキュー。あのさ、あんたも聞いたことない？　「シシガミユウキ」」

「申し訳ございません。ここに2年おりますが、存じ上げませんね」

　バーテンダーは袖を捲った。黒い鱗がライトに照らされる。

　身を乗り出しカウンターに隠れた相手の足元をチェックする。腰から下が蛇の胴体だった。

「あんた、蛇人（ナルネク）か」

「ええ」

「なるほど。滞在期間が長い獣人ってあんただったのな」

【だとすると当てが外れたな】

　仕方ない。ビールを煽ると席を立つ。

「気をつけてね。さっさと友達と合流しな」

「はい、ありがとうございます！」

「奢りでいいの？」

「もちろん」

　聞くと、バーテンダーが頷いた。

「ところでお客様。その「シシガミユウキ」という方の特徴は？　見かけたらご連絡しましょうか？」

「いや。顔も素性もわからねぇからいい」

　バーテンダーが怪訝な表情を浮かべる。

「……なぜそんな人をお探しに？」

「見つけたらぶっ殺してやろうと思って」

　2人が言葉を失った。

「冗談だよ」

【本気だよ】

　肩をすくめて、赤志はアイエスを後にした。

　店を出ると、赤志は眉をピクリと動かした。

【近くに変な魔力反応があるな。まぁ、獣人が酔っ払ってるだけかもしれねぇが】

　どうせ行く当てはないのだ。赤志は藁にも縋る思いを胸に、地上へ向かった。