第158話 いざ、オグレクへ

 湖沿いに作られた石畳敷きの道を、ガラリガラリと石畳を車輪が踏む音を響かせながら、黒鉄の馬が引く馬車がゆっくりと進む。

 先導するのは、ネズラルグ候とロレインの乗る馬車だ。

「ドゥオーム」

 勇者姫様の言葉とともに、革手袋をはめた左掌の上に薄い光をまとう円盤が展開する。防御魔術の盾だ。

 それを左手で握るようにパリンと壊し、今度は右掌を上に向け「ペミタ、チッテアー」と唱える。

 右掌の上に展開したのは、光をまとった球形の物理防御結界。

 それも、右手で握るようにパキンと壊し、また左手に防御魔術の盾を展開する。

「シトリが用意してくれた手袋、どうですか?」

「いいですね」

 そう笑う勇者姫様は、とても楽しそうだ。


 シトリの使いが届けてくれたのは、手の甲側に魔術に使う紋章が刺繍された豚革の手袋だ。

 丁寧な刺繍に使われている糸には聖霊気を通しやすい油がしみ込ませてあるのだそうだ。

 左手の甲には、円に逆三角の防御魔術の魔法陣。右手の甲には、円に四角の結界魔術の魔法陣が刺繍されている。

 予備も必要だろうと2組。

 さらに改良型も研究中で、しばらくかかるかもしれないけれど完成したらまた送ってくれるそうだ。


「上質な左手お守りほどではありませんが、紋章には十分な精度があります。――ドゥオーム。

 いつもと聖霊気を流し込む場所が違うので慣れは必要ですが、私の聖霊気量ならば発動に苦労するほどではありません。――ペミタ、チッテアー。

 革手袋も丁寧に鞣された豚革で私の手に合わせて仕立てられているので、手になじむのも早いでしょう。――ドゥオーム。

 第七使徒との戦いまでには、実用できるようになります。――ペミタ、チッテアー」

 左右で交互に盾と球体を出したり消したりしながら、勇者姫様は言う。

「使いこなすための練習はよろしいが、魔術の初心者であるユウキ様の前で、何の説明もなくそのような雑なことをするのはいかがかと思いますぞ?」

 ジェイドさんが渋い顔で言い、俺を振り向いた。

「よろしいですかな、ユウキ様。結界を破るのには、その強度に応じた魔術的な力が必要です。自分の作った結界を解くのに、解除の紋章と呪文を使わずに強引に結界を壊すなど、聖霊気の無駄遣い極まる行為です。普通の人間が繰り返していたら、あっという間に聖霊気を使い果たしてしまいます。あれは、大量の聖霊気を有する姫様だからできること。ユウキ様は決して真似をしてはなりませんぞ」

「はい」

 というか、そもそも真似できないよな。


 出発前、勇者姫様は黒鉄の馬に、「今後、私が主人である間は、子供に対しては蹴ったり噛みついたり威嚇したりしないこと。子供に触れられそうになったら、いなないて知らせること」と命じていた。

 昨日、ネズラルグ候にロレインが湖に落ちたいきさつを聞いたとき、「黒鉄の馬が悪いことをした」とか、「事前に配慮できなくてすまなかった」とかの謝罪を一切しなかった。

 こちらには非がないことを謝罪をするのは、自ら付け入る隙を作ることなのでしてはいけないのだそうだ。

「あなたが悪かったのが原因だが、私にも少しは悪いところがあったかもしれない」「いえ、私が悪いのです」「いえいえ、私も……」というやり取りを経て「お互い様だから水に流そう」という落としどころに着地することを暗黙の了解に、すぐに「すみません」と口に出してしまう日本人には理解できない感覚だ。

 だが、勇者姫様もすぐに対策をするあたり、謝罪はしなくても黒鉄の馬が子供を傷つける危険を容認しているわけではないのだろう。


 すっかり日が高くなった頃、馬車は塀に囲まれた館に到着した。

 領主の館というには少し部屋数が少なそうな建物の背後には、ネズラルグ城の巨岩よりは迫力は劣るけれど十分に巨大な白っぽい岩がのしかかるように鎮座している。

「この建物がオグレクですかな?」

 ジェイドさんの言葉に、「いいえ」とネズラルグ候が言う。

「こちらの建物は、お客人の滞在中に私が仕事をするための別荘のようなものです。オグレクはその奥の白翡翠の山の中にございます。まずは、軽く腹ごなしをしてから、そちらに向かうことになります」

「すぐに向かわないのには、何か理由があるのですか?」

 勇者姫様の疑問に、ネズラルグ候が自信ありげな笑みを浮かべる。

「オグレクに初めて足を踏み入れた方は、しばらく食事どころではなくなってしまうからです」

 ネズラルグ候の隣で、ロレインがうなずく。

「ロレインもオグレクに来たことがあるの?」

 周りに御者や護衛の騎士がいるため、リアナ姫の演技を忘れずに俺が小声で訊ねれば、ロレインは「はい」と答えた。

「産後の養生のためしばし滞在したのを最初に、お客様の滞在しない時期にときおり使っておりますわ。朝早く出れば、城から日帰りもできますし」

 そう言うロレインの顔色は、いまひとつ冴えない。

 生き返って、長年苦しめられてきた赤い痣の呪いも解けたんだから、もっと嬉しそうにしているかと思ったんだけど。

「ロレイン。体調は大丈夫? 馬車の移動は辛くなかった?」

「ご心配くださりありがとうございます」

ロレインは赤い痣の無くなった顔で、気を取り直したように笑顔を作った。

「疲れが抜けないようなだるさはありますが、立ち居振る舞いが辛いほどではありませんわ。馬車の中でも眠りましたし、大丈夫です。さあ、館の料理人がガチョウのサンドイッチを作ってくれましたの。湖に面したテラスで食べると気持ちいいですわよ」

 皮がパリッとした細長いパンに縦に切れ目を入れて焼いたパプリカとローストしてほぐしたらしいガチョウとゆで卵を挟んだサンドイッチは、「それ、サンドイッチというより、ハンバーガーかホットドッグでしょ?」と言いたくなるような見た目だった。

 けれど、湖面を渡る微風とその風にさざめく水面が太陽の光をきらめかせるのを見ながら食べれば、文句なしに美味しかった。



 第七章に続く

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