第154話 性別バレ?
ネズラルグ候がロレインの手を握り、よかった、よかったと繰り返す。
けど、ロレインの顔色はまだ悪い。
そりゃそうだ。標高の高い地域で、秋の冷たい湖に落ちて、一度は血流が止まって、その上今もずぶ濡れなんだから。
「ネズラルグ候。濡れた服をどうにかして、体を温めてあげてください」
俺が言えば、ネズラルグ候はハッと顔を上げ、ロレインの手の甲に浄化の紋章を描き浄化の魔術をかけた。あっという間にロレインの服が綺麗になり、濡れて乱れた髪の毛が乾く。
ありがたいことに、浄化の魔術は「水を消し去る」のであって「水を蒸発させる」わけではない。蒸発熱を奪われることはないので、ロレインの体温がさらに下がるわけではない。
だが、服が乾いたからといって体温が上がるわけでもない。
ネズラルグ候は上着を脱ぎ、ガタガタ震えるロレインの肩を抱いた。
指示されてもいないのに初老の従者が毛布を持ってきて、ふたりをまとめて毛布で包み込む。ネズラルグ候の体温でロレインを温めるためだろう。
「治癒魔術を」
髪が顔に張り付いたままのロレインの肩を抱きながら、毛布を持ってきた従者にネズラルグ候が言えば、従者は残念そうに首を振った。
「溺れた者に安易に治癒魔術を使ってはいけないのです。高度な浄化魔術をかけてから治癒魔術を使わねば、治癒魔術を使っても病になり、場合によっては治癒途中で死んでしまいます。私にはできぬことゆえ、今、神殿に神官様を迎えに走らせております」
そんな話をしていたら、いつの間にかいなくなっていた勇者姫様が、聖杖と自前の杖を持ったジェイドさんを横抱きにして階段の途中から飛び下りてきた。
「神官長を連れてきました。『ジェイドさん』、溺れた後の浄化と治療はできますか?」
勇者姫様に地面に下ろされたジェイドさんは、ネズラルグ候に抱きかかえられたロレインのそばに膝を着いた。
「得意ではありませぬが、すでに息を吹き返しており、毒や病への抵抗力の強い女性でもあります。潤沢な聖霊気があれば、力業で何とかなりましょう。――聖霊気の融通をお願いいたしますぞ」
「まかせてください」
勇者姫様がうなずくのを確かめ、ジェイドさんは聖杖を俺に差し出した。
「姫巫女様も、お願いいたします」
「はい」と聖杖を受け取り、両手で握りしめる。離れていたのはほんのわずかな間だったのに、聖杖を握るとなんだかホッとする。
勇者姫様が座ったジェイドさんの両肩に、後ろから手を置く。
俺の体の中を聖霊気が膨れ上がりながら通り抜けていく。
「ロレイン殿、肺腑に入った汚れた水を浄化しますからな。口を開け、大きくゆっくり呼吸するのです」
ロレインが青紫色の唇を震わせながら、言われた通りに深呼吸をし始めると、ジェイドさんはロレインの手の甲にゆっくりと浄化の紋章を描きながら呪文を唱え始めた。
「ヴェス、ヴェメ、オカグェス、カテス、ヴ、ヌカク、リテアーグ、ツクヴェス、ガ、リアメグロ。ゼアズ、ガ、クプネス、ティメス、ヴ、ユオート、ラケネイ」
呪文が長いのは、それだけ丁寧に魔術を使っているということかな?
「ユオーテ!」
最後の浄化の呪文とともに、グンと俺の体内の聖霊気が吸い出される。結構持っていかれた。
同時に、ロレインの体が浄化の光に包まれる。
「うむ。成功しましたぞ。あまり水を飲んでいなかったのが幸いしたようですな」
ジェイドさんがロレインとネズラルグ候を安心させるように微笑んだ。
「では、様子を見ながら数度に分けて治癒を進めますぞ」
ロレインの手の甲にくるくると治癒の紋章を描き「カオー」と治癒の呪文を唱えるたびに、ロレインの体が光り、次第に顔色がよくなる。
6回治癒の魔術を使ったところで、ジェイドさんは手を止めた。
「いかがですかな?」
「はい」とロレインはしっかりした声で返事をした。
「もう、寒気はなくなりました。息も楽にでき、体もずいぶん温まりました。ありがとうございます、神官長様」
言葉遣いには問題がない。唇の色もすっかり戻っている。
ああ。本当に、ロレインは助かったんだ。
膝立ちだった俺は、ほっとしてその場に座り込んだ。
よかった。講習通りにできたんだ。
ロレインを助けることができたんだ。
「治癒魔術は本人の魔術的な力と体力を使って体の時を進めるようなもの。回復したとはいえ聖霊気も体力も消耗しておりますから、しばらくは、よく食べよく眠り聖霊気と体力の回復に専念されるとよかろう」
「それに」とジェイドさんは俺を振り向いた。
「感謝の言葉はもっとふさわしい方に伝えるべきですぞ」
「そうです」
勇者姫様の力強い声。
「勇者であるオレも、ネズラルグ候も、息もなく心の臓も止まってしまったあなたに、もう死んでしまったのだとあきらめてしまいました。そんなとき、ただひとりあきらめず、すでに魔術的に死んでいた体に、息を吹き込み胸を動かし、あなたを生き返らせたのは――こちらの方なのですよ」
勇者姫様が俺に目を向け、少し困ったように笑った。
ん? なんで、こちらの方、何て言い方?
いつもなら、『リアナ姫様』とか『姫様』とか呼ぶのに……
……あっ!
俺は何も考えずに膝を開いて石畳みに座り込んでいた自分に気づき、慌てて立ち上がった。
姫たるもの、地面に座ってはいけない。
背筋を伸ばし、肩を開いて下げ、脇を閉める。
右足で体を支え、左足は正面から見たら一部が重なるように右足の前に添える。膝が重なるような立ち方で、太ももの外側のラインを女性的に見せ、同時に下半身を華奢に見せる。
眉間の力を抜き、眉を上げ、口元に微笑みを浮かべる。
手袋はどこだ? ああ、どっかに放り投げてしまった気がする。せめて指先を揃え優雅に、握り込まず、指が長く見えるように聖杖に指を添わせて持ち直す。
そして、恐る恐るロレインとネズラルグ候の顔を伺えば、二人は俺に合わせて立ち上がり、何にも気づいてないかのように微笑んで見せた。
「ロレイン。『リアナ姫様』は王家の子女としてのしとやかなふるまいをかなぐり捨て、必死にお前を救おうとしてくださったのだよ」
ネズラルグ候がロレインに説明をするけど。この言い回しは微妙だ。
俺が男だって、バレたかなあ?
そう言えば、最初に「飛び込むな、姫様も」って言っちゃったもんなあ。
いや、あの時は絶対に勇者姫様は飛び込んで助けようとするだろうって思ったから、急いで止めなきゃって言葉を選ぶ余裕がなかったんだよなあ。
そのあとも、完全にてんぱってリアナ姫様の演技することを忘れてたし。
絶対、男丸出しの声で、男丸出しの動きだったはずだ。
……バレてないわけないよなあ。
「それだけではありませんよ」
勇者姫様の声に振り向けば、勇者姫様は目を細めて俺を見ていた。
「姫巫女様は、オレやネズラルグ候が飛び込もうとするのを止めてくれました。助けに入ろうとした者の命にも心を配ってくださったのですよ」
息をのむ音とともに口元を両手で押さえ、ロレインはネズラルグ候を振り仰いだ。
「ああ、そうでございました。あの時、私も飛び込んでいたのなら、今頃は私もロレインもともに儚くなっていたかもしれません」
ネズラルグ候のロレインの肩を抱く手に力が入っているのが見て取れる。
その手をそっと退け、ロレインはその場に両膝を着いて両手を指を組み合わせて握り、祈るように俺を見上げた。
「姫巫女様。主人の命を守り、私の命を救ってくださったこと、まこと感謝の言葉もございません。このご恩にどう報いればよいのか、わからぬほどでございます」
「ロレインが元気になってくれれば、それが一番の報いよ。さあ、立ち上がって。神官長様がしばらく回復に専念するように言ってたでしょう?」
今更かもしれないけれど、俺は「リアナ姫」としての演技をしながらロレインに手を貸し、立ち上がらせた。
なんか、勇者姫様とジェイドさんの目が、妙に生温かい気がする。
ああ、また失敗したあ。
そんなことを考えてうつむきそうになったとき、「母上!」と高い声が聞こえて来た。
「エディ!」
とたん、俺の手を放してまっすぐロレインが駆け出し、階段を駆け下りるエディを迎えるように駆け寄り、抱きしめる。
「エディ、大丈夫? 怪我はない?」
「母上、ごめんなさい! ごめんなさい!」
「怪我はないのね? 私はもう大丈夫よ。大丈夫よ」
わんわん泣きながら謝るエディとそれをなだめるロレインを見ていたら、ロレインを助けられてよかったと改めて思えてきた。
うん。
もっと上手くやれたかもしれないけれど、それでも最低限のことはできたんだから、まあいいか。
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