第151話 禁じ手

「失礼」

 声とともにすぐ近くに寄った勇者姫様の顔にどきりとした途端、その顔がすっと沈み、膝の裏からすくい上げられ、聖杖ごと軽々と横抱きに抱え上げられた。


 えー。

 公衆の面前で、女性にお姫様抱っこされる男ってどうなんだ?

 いや、でも、今俺は「リアナ姫」で勇者姫様は「勇者」なわけで、とすればこの構図もある意味当然なわけで。

 いやいや、でも、一国の、しかも未婚のお姫様が、勇者とはいえ庶民男性に抱き上げられるというのは、「リアナ姫」の評判を下げる行為じゃないか?

 いやいやいや、でも、そんなことは勇者姫様だってわかってるはずだし、そもそも、お姫様抱っこはアレヴァルトでもされているわけで、今更か?


 勇者姫様は、俺を抱き上げたまま、トン、と軽く地面を蹴った。

 2つの魔法陣の間に設置された普通に足をかけて登るには少し高い足場、その上に、女装していても仮にも成人男性の俺の体重をものともせず、あっさりと着地する。

「落ちないように気を付けて」

 俺を足場の板の上に下ろした勇者姫様は、かがみこんで俺の握った聖杖の先を摘み、片方の翡翠の塊に刻まれた魔法陣の外周へと誘導した。彫り込まれた魔法陣の溝に注ぎ込まれた油の中に聖杖の先を浸し、体を起こす。

「右手で支えていてください」

 勇者姫様はもう1つの翡翠の塊の方に向き直り、左手から聖剣を抜き放ち、その切っ先をやはり魔法陣の外周の油に浸した。

「左手を」と差し出された左掌。俺は優雅に見えるように手首から腕を持ち上げ、レースのフィンガーレスグローブをつけた左手をその手に重ねた。

 きゅっと、勇者姫様が俺の手を握る。顔を上げると、勇者姫様と目が合った。

「これは、限界を見極めるためにすることです。実戦では危なくてできないことを、ここで試しておきたいのです。少し無茶をしますが、いいですか?」

 少し心配そうに、勇者姫様は言った。

「はい。思い切りやってください」

 俺がうなずけば、勇者姫様もひとつうなずき、右手で持つ聖剣の切っ先へと目をやった。

「――ヴェス、ティグイテナグ、ヤヅグルメス、リアメグロ」

 勇者姫様の言葉とともに、左手から聖霊気がどっと流れ込み、体の中で膨れ上がりながら右手の聖杖に抜けていく。

 いつものように、聖杖の青玉がミラーボールみたいに四方八方に青い光の筋を放つ。

 けれど、今回はそれだけではない。

 木製の杖の本体が、勇者姫様が持つ聖剣のように金色の光をまとい始めた。

 今までにないほどの大量の聖霊気が、俺の体と聖杖を通りぬけて魔法陣へと注ぎ込まれていくのを感じる。体の中に大瀑布の水を全部注ぎ込まれているかのような、圧倒的な感覚。

 視界の隅に、勇者姫様が持つ聖剣が金色の輝きを増しているのが見える。

 聖杖と聖剣のまとう光が魔法陣を刻み付けた溝に流れ込み満たすように、魔法陣が金の光を放ち始め、その輝きを強めていく。

 勇者姫様が俺に目を向ける。

 大丈夫かと、その目が問いかけている。

 大丈夫と、うなずいて応える。

 体の中を駆け巡り駆け抜ける聖霊気の奔流に耐えながら、俺は聖杖と勇者姫様の左手を握りしめた。


 俺には、ただ、この両手を離さないことくらいしかできない。

 だから、それだけは絶対やり通す。


 青玉の青い光も強さを増し、それとともに光の色が青白くなっていく。聖杖と聖剣、魔法陣が放つ光も、金色からもっと白い色に変わっていく。

「ヴェム、ギメーアヴ、タィエナール、アスラガ、テナグカテスヴ、ラニナケネィ!」

 繰り返すことなく一気に唱え終えた呪文とともに体の中の聖霊気が無理やり吸い上げられるようにもっていかれる。


 そうだ、一滴残らず、全部もってっちまえ!


 そう思った瞬間、体の真ん中から聖霊気ではない何かが吸い出されるような感覚とともに、音もなく真っ白な光が爆発した。

「えっ?!」

 一転して視界が暗くなる向こうから、勇者姫様の驚く声が聞こえたような気がした。



「姫巫女様!」

「はいっ」

 耳元の大きな声に、反射的に返事をした俺は、いつの間にか勇者姫様に肩を抱かれていた。

 聖杖は勇者姫様が握っていて、聖剣は足場の板の上に立ってゆらゆらと揺れていた。

 なんだ? もしかして、俺、気絶していたのか? どのくらい?

「ふらついていましたよ? 大丈夫ですか?」

 勇者姫様の心配そうな顔。

 ふらついていた、という言い方なら、そんなに長い間意識を失っていたということはないだろう。

「うん、大丈夫――よ」

 途中から今は周囲に目があることを思い出し、「リアナ姫」の言葉遣いと上品な微笑みを意識しながらそう答えると、勇者姫様はじっと俺を見つめた。

 少しだるくはあるけれど、ちゃんと自分で立てる。

 めまいもしない。うん。大丈夫。

 しっかり目を見返しながら、もう一度「大丈夫よ」と言えば、勇者姫様は今度こそほっとしたように眉間を緩めた。



 聖剣を左手に納めた勇者姫様に再び姫抱っこをされて足場から降りる。

 ネズラルグ候とロレインが俺を気遣ってくれるところを、少し疲れたようだから休ませたいと後をジェイドさんに任せ、勇者姫様は俺を抱いたまま足早に離れの館へと向かった。

「もう大丈夫です。下ろしてください」

 離れに入ったところで、指先だけで結界の紋章を描き音の結界を張った勇者姫様に俺は言った。

「ダメです」

 きっぱり言って、大股で二階に向かい、俺が使っている一番良い部屋に俺を運び込むと、やっと俺をベッドの上に下ろしてくれた。

「ユウキ様」

 俺の前に膝を着き、勇者姫様は俺を見上げた。

「先ほど、何かいつもと違うことをしましたね?」

 酷く真剣な顔でそう言う。

「した、というつもりはないんですが……」

「私は今まで通りのことしかしていなかったのに、今まで感じたことがないくらい聖霊気が生まれました。直後にユウキ様が意識を失ったのも初めてです。ユウキ様が何かをしたとしか思えません。何をしたのですか?」

 そう言われてもなあ。

 考え込む俺に、では、と勇者姫様は言った。

「では、私が呪文を唱えているとき、何を考えていましたか?」

「『絶対この手は離さないようにしよう』と……」

 そこまで言って思い出す。

「あと、『全部もってけ』とも思いましたね」

「あっ……!」

 勇者姫様が驚きの声を上げてから、うつむいて片手で顔を押さえた。

「おそらく、それが原因です」

 押さえた手の下から深いため息が聞こえた。



「聖霊気を融通するとき、聖霊気を送り出す側は決して油断してはならないとされております」

 ネズラルグ候と明日の予定の確認をしてから離れに戻ってきたジェイドさんは、二階に物理防御結界と音の結界を張ってから勇者姫様の話を聞き、納得したようにそう話し始めた。

「聖霊気のやり取りには、相性というものがあります。

 普通、送り手が押し出そうと意識をせねば送り込むことはできませぬし、受け手が受け入れようとせねば受け取ることはできませぬ。

 相性が悪い者同士ではやり取りの効率が悪くなり、相性が良い者同士ではやり取りの効率が良くなります。

 そして、相性が良すぎる者同士の場合、効率が良くなりすぎて、送り手が思う以上に受け手が聖霊気を奪ってしまうことがあるのです。

 聖霊気を融通するということは、お互いの聖霊気が繋がっているということ。抵抗なくやり取りできるほど相性が良ければ、相手の聖霊気を一息に奪うことができるということです」

 あー。抵抗がないから、吸い取ろうとしたら一気に全部吸い取れちゃうわけだ。

「このため、送り手側は己が与えても良い範囲を自ら定め、それ以上は与えないと、しっかり身構えるべきとされております。受け手側にすべてをゆだねては、ことによっては命にかかわりますからな」

 聖霊気を限界の限界まで奪われると、人間は死んでしまうのです、と言うけど、聖霊気のない俺はどういう扱いなのだろうか?

「ユウキ様は聖霊気を使えませぬが、気という力を使っておられます。聖霊気と気の性質が似ているのならば、聖霊気が増幅されて聖杖に流れ込むのに巻き込まれて、気を奪われても不思議ではありませぬ」

 ああ。気が生命力とかだったら、それ奪われたら確かにヤバイよな。

「まして、ユウキ様ご本人が『もっていけ』という心持ちであったのなら、姫様にその気がなくとも必要以上のものがユウキ様から姫様に吸い上げられることもあり得ましょう。今までは意識せずとも掛かっていた己を守る鍵をユウキ様ご自身が開け放ってしまった上に、ユウキ様からしまったのかもしれませぬ」

「とにかくです」と勇者姫様が言った。

「この世界では、誰が相手だろうと『全部もっていけ』などということは考えてはいけません。

 魔術的にも、魔法的にも、そう考えることが隙になり、本当にすべてを奪われる危険があるのです。身を守るための基本の基本です」

 んー。

「素直な疑問なんですが、俺の気って、どうだったんでしょうか?」

 俺が訊ねれば、勇者姫様は何を言ってるのかわからないと言わんばかりに眉を寄せた。

「ユウキ様の気を、私は感じることができていませんでした。ただ、私の中で想定以上に――それこそ、10倍どころではなく聖霊気の量が増したことは確かです」

「ということは、いざとなったらわざと『もってけ』って考えれば……」

 勇者姫様の聖霊気を今まで以上に増幅することができるってこと?

「ユウキ様」

 静かだけれど、何かが込められた声に顔を向ければ、勇者姫様が俺を睨んでいた。

 うわ。初めて見たぞ、勇者姫様が本気で怒ってる顔。

「いざとなったらもなにもありません! 聖霊気が少しくらい少ないことよりも、ユウキ様が死んでしまうことの方がよほど問題があります!」

「え? 俺は死んでも再召喚できるんですよね?」

 俺の疑問に、ジェイドさんが重々しく首を振る。

「ユウキ様は表向きは『勇者』として召喚されております。それが死んでしまったとなったら、リアナ姫様の『姫巫女』としての資質が疑われて――」

「そうなのです! 王都に戻ったとしても、簡単には再召喚させてもらえないかもしれないのです!」

 珍しくジェイドさんの言葉を遮って勇者姫様が言う。それだけそういう事態を避けたいってことかな?

「そういうわけですから、ユウキ様はいたずらに自らの命を危険にさらすようなことをしないと約束してください!」

 真顔で詰め寄る勇者姫様に、俺は素直に「はい」と言うしかなかった。


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7章執筆に苦戦している間に、連載が追い付いてきてしまいました。

締め切りに追われるプレッシャーに弱いので、ストックが充分溜まるまでは月金の週2更新に変更します。

これからもよろしくお願いします。


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