第150話 最後の大物
「レーグ」と子供らしい高い声。
用意された踏み台に立ったエディの小さな手が、綺麗なガラスのおはじきを3つテーブルに置く。配置は正三角形だ。
「ムー」
エディは先に置いたおはじきの位置を修正してから2個のおはじきをさらに配置した。5個の配置は正五角形。
といっても、俺には本当にそれが「正」なのか、実は歪んでいるのかを見ただけで見分けることはできない。
「ゲグ」
7個のおはじきで七角形。もう、なじみのない形だ。パッと見ただけでは何角形かわからない、対称性がないからひどく心地悪く見える配置。ただ、それが描かれていない円に沿って配置されていることはわかる。
「ヨォアカ」
エディは11個のおはじきを見えない円に沿って配置し直していく。
一番自分に近い1個だけは動かさずに、隣のおはじきを迷いなく引き寄せていき、最後にできたスペースに2つのおはじきを足す。
何がすごいって、このやり方で「やっぱり二つ目に置いたおはじきの位置が間違っていたから、動かそう」というやり直しを一度もしていないことだ。
「ヨォレーグ」
13個のおはじきが作る円は、パッと見ると時計っぽく見える。
俺の感覚では、12分割も13分割も大差ないということだろう。
「ヨォゲグ」
17個になると、もう、「おはじきで多角形を作っている」という認識ではなく、「おはじきを円形に並べている」という認識になってしまう。
「ヨォトーォ…………ガヨォレーグ…………ガヨォトーォ…………レーギョォアカ」
小さな手は全く迷う様子を見せずに動いていく。さらに19個、23個、29個と円を作っていき、31個で円を作ったところで、エディは手を止め、得意げにロレインを振り向いた。
「よくできましたね、エディ」
ロレインが微笑んで頭を撫でれば、エディは得意げに笑った。
2日目からの魔法陣の活性化作業は、ネズラルグ候とロレイン、職人たちの修正作業のおかげで初日の倍くらいのペースで進んだ。
作業開始から4日も過ぎると魔法陣の石板の修正作業も終わり、勇者姫様の疲労度を見ながら活性化作業を進めていく状態になっていた。
翡翠加工工房での仕事がなくなった候は、工房と勇者一行の接待をロレインに任せ、侯爵としての仕事をすることにした。ネズラルグの町中の視察など、勇者一行の警護で留守をしていた間にできなかったことをするらしい。
ロレインは、作業の責任者として進行を見守りながら、聖杖の力を供給する都合で「勇者」の近くを離れられない「姫巫女」と護衛の神官長の無聊を慰めるために、工房に置かれたテーブルで話し相手をするのが仕事になっている。
「リアナ姫」は、堅苦しいのが嫌い。庶民女性のような言葉遣いを好むが、それはこの世界の貴族女性としては大変にはしたないため、そういう姿を男性に見せるわけにはいかない。
そのため、一緒に旅をしている「勇者」と神官長以外の男性の前では口を開かない。
自動翻訳のせいでこの世界のTPOに合わせた言葉遣いができない俺の、口数を減らすための設定だ。
この設定のために俺は、「談笑して時間を潰す」にも相手を選ばなければならない。
シトリが作ってくれた接待マニュアルにはそういう「リアナ姫」の表向きの事情も書かれていたようで、俺が手持無沙汰にしていると、ロレインが気を使って話しかけてくれるのだ。
ただ、王女と他国の侯爵夫人では共通する話題が少ない。貴族女性の話題といえば結婚相手候補の貴族男性の噂話が定番らしいのだが、他国の貴族のことまでは詳しくないのが当然なわけで。
ロレインも話題に困ったのか、5日目から息子のエディを連れて来た。
エディのすることが会話のネタになるし、子供のすることをニコニコ笑って見守っていればなんとなくいい雰囲気で時間が潰れるので、俺としても助かる。
昨日は算術の復習をしているのを見ていた。
この世界の数字表記は、やたら文字数が多い。
多分、139を英語でone hundred and thirty-nineと書くような表記の仕方をしているのだろう。
それで桁の多い計算なんて、足し算でも面倒くさいんじゃないかと思うんだけど、エディは難しい顔で指を折って繰上りを数え、小さな手に余るほど大きく見える羽根ペンを握り、線のよろけた子供らしい文字で計算の答えを書いていた。
今日エディがしているのは、円を素数で分割する練習だ。
昨日の算術と違い、得意なことなのでエディはご機嫌で、こちらもついつい口元が緩んでしまう。
「割り切れる数でもできるのですかな?」
ジェイドさんが訊ねれば、エディは「できます!」と元気に言った。
「姫様、お好きな数を言ってみてください」とロレインが言う。
「では、4で」
膝に置いた聖杖から手を放さずに俺が言えば、エディは目をしばたたかせてから、全部のおはじきを回収してから、改めて正方形におはじきを配置した。
「そこから、12にできるかしら?」と聞けば、エディはパッと目を輝かせた。
「できます!」と言って、正方形の頂点のおはじきは動かさないまま、その間を2つのおはじきで3等分に分割し始めた。
円弧を3等分するって絶対に難しいはずなのに、やはり迷いなく追加の8個のおはじきを配置し終えたエディは、期待に満ちた目で俺を見返した。
「素晴らしいわ」と俺が言えば、「母上!」と弾んだ声でロレインを振り向く。
「姫様にお褒めいただいたお礼を申し上げるほうが先でしょう?」と真顔で言うロレインにはっとしたエディが、俺に顔を戻して頭を下げた。
「お褒めの言葉、ありがたく頂戴いたします」と言ってから再びロレインを振り向くのに、ロレインは優しく微笑んだ。
「才の無いわたくしには、どうすればそんなことができるのか、不思議で仕方がありませぬ」
「そうね。私もそう思うわ」
ジェイドさんが感心したように言うのに、俺はリアナ姫を演じる言葉遣いは忘れずに、でも素直な気持ちからそううなずいた。
「ロレイン様」
勇者姫様について活性化作業を見守っていた翡翠加工工房長が、こちらに駆けてきてロレインに声をかけた。
「大物以外はそろそろ終わりそうです」
「では、それ以外が終わったところで午前はおしまいにしましょう。昼食を召し上がっていただいてから、最後の2つに取り掛かっていただくということで」
ロレインの指示に、工房長は「はい」と返事をして頭を下げたのだった。
最後に残ったのは、大人の男が両手を広げても届かないくらいの一辺を持つ大きな翡翠の塊2つだった。高さは膝くらい。隣り合った隙間をふさぐように、足場が組まれている。
昼食後に改めて工房に来た勇者姫様は、それらを見て「最後にこんな大物が2つも控えていたわけですね」と苦笑した。
「これは面白いですな」
ジェイドさんは自前の杖をつき、髭を撫でながら2つ並んだ魔法陣を覗き込んだ。
「外側の魔法陣は、強化魔術の紋章が四方に組み込まれていて、内側には別の複雑な魔法陣が描かれている。これほど大きな魔法陣はわたくし、双玉の神殿の姫巫女召喚の魔法陣以外に見たことがありませぬぞ」
「オグレクでも使われている沈黙の魔法陣でございます。ここまでの大きさのものとなりますと、注文を受けた国に運び込み設置するまでに壊れかねないため、石板本体を強化保護する魔法陣を外側に付け足してあります。このため、ひときわ大きな魔法陣になってしまい、活性化のために大量の聖霊気を消費するのです」
最後の大物にかかるということで、呼ばれて来たネズラルグ候が説明をしてくれた。
「精度は?」
「私の目から見ても、ロレインの目から見ても、これ以上ないものです」
勇者姫様の質問にネズラルグ候が答える。
「精度が高いのなら、流量の調節に気を使わずとも、大量に聖霊気を注ぎ込むことで活性化できるでしょう。――『リアナ姫様』」
勇者姫様が俺を振り向いた。
「ちょうどいいので、一度にどのくらいの聖霊気を使えるか試してみましょう。協力してもらえますか?」
振り向いた勇者姫様に俺は黙ってうなずいた。
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