第149話 侯爵夫妻

 離れで昼食をとり、食休みをしてから翡翠加工工房に戻れば、ネズラルグ候の代わりにロレインが迎えてくれた。

 ネズラルグ候は領主としての仕事もあるので、午後はそちらの仕事をしなければならないのだそうだ。

 並べられた翡翠の石板を順に回って、勇者姫様が魔法陣を活性化する。

 ロレインは勇者を案内しながら、時折職人に呼ばれて修正した魔法陣の確認と新たな指示出しをしていた。

 午前中にネズラルグ候がしていた仕事をてきぱきとこなすロレインと、報告に走り指示を仰ぐ職人たち。その様子を見ていると、ロレインが職人たちに認められていることがわかる。

 ドレス姿で男たちに指示をする様子は、少しシトリに似ている。いや、シトリよりもずいぶん若いのだけれど。

「ロレインは、職人から一目置かれているんですね」

 俺と同じことを感じていたのだろう、 10枚の魔法陣を活性化したところで午後の休憩に入った勇者姫様も、音の結界の中でそんなことを言った。

「『こちらの世界』では、女は侮られるものだと思っていたので驚きました」

 異世界からの来訪者の演技を自然に入れるあたり、さすがだ。

「私も、ネズラルグに嫁いで驚きましたわ」

 ロレインは聖泉石のグラスを手に笑った。

「古来魔法使いが住まう地であるネズレクでは、才ある者は男女問わずそれにふさわしく敬われるのだそうです。その魔法使いの子孫であるネズラルグの人々にも、その習慣は受け継がれています。

 硬き銀鋼の国王家から与えられた爵位こそ男子相続ですが、ネズラルグの秘法を受け継ぐ翡翠加工工房では才こそ全て、魔法陣を正しく作ることができる者が尊重されるのです。――パトラ!」

 ロレインが職人に声をかけると、隅で大きな魔法陣の石板の上に渡された板に座り手を動かしていた帽子をかぶった職人が、意外に高い声で「はい」と返事をして振り向いた。さっと板から地面に飛び降り、かぶっていた帽子を外しながらこちらに駆けてくる。

 帽子を胸元に持ちながらロレインの傍らに立ったのは、トラウザーズ姿の中年の女性。帽子の下から出てきたのは、低い位置でひっつめられた長い髪。

 帽子で髪が隠れていたし、スカートをはいていなかったので、少年見習いかと思っていた。


 改めて工房を見回せば、明らかに体つきや歩き方が女の、帽子をかぶった職人が何人かいる。そういう職人は、工房の隅で細かい仕事をしていて、勇者の前に翡翠の石板を運び込むような仕事には携わっていないようだ。

 近くに来るのが男の職人ばかりだったのと、女性は髪が長くスカートをはいている、という思い込みのせいで気づかなかったんだろう。

 我ながら、この世界の常識に毒されていたんだなあ。

「魔法陣の仕上げを担当しているひとりのパトラです。月の半分は農作業や家のことをし、月の半分はここで働いています」

 パート労働の兼業農家ということだろうか?

 紹介されたパトラは、戸惑いながらもぺこりと庶民らしいお辞儀をする。

「製図通りに仕上げるパトラの腕は確かです。昨夜からの修正で活躍してもらっていますのよ。他にも、何人か女の職人がおります。

 魔法陣を彫る職人は給金も高いので、この町に生まれて細かい仕事を苦にしない子供は男も女も、まず翡翠加工職人を目指すのです。まあ、職人頭に認められて本格的に修行ができる子供は限られるのですけれど」

「あれほど大きな石板を扱うのであれば、力仕事が多いのではないですかな? 女性では苦労することも多いのでは?」

 ジェイドさんが言うと、ロレインがパトラに目をやって答えを促す。

「力仕事は多いですけど、強化魔術もありますからある程度は自分でできますです。切り出しや大きな石板の運搬なんかの本当に力が必要な仕事は、男でもできる人が限られてて、強化魔術の重ね掛けが得意な奴がやりますです」

 微妙に変な丁寧語は、自動翻訳の問題なのか、本人の言葉遣いの問題なのか。きっと緊張しすぎて変な言い回しになってるんだろう。

「翡翠加工工房は休みも融通が利くので、女だからってここの仕事で苦労するってことが――」

 そう続けたところで、パトラは言葉を切ってロレインをちらりと見た。

「素直に思うことを申し上げなさい」

 ロレインが言うのに「はい」と返事をしてから、パトラは話を続けた。

「女だからってここの仕事で苦労することが、ないわけじゃないですけど、せいぜい他の土地から来た取引相手に舐められることくらいです。あたしが責任持って仕上げた常時発動型の水流の魔法陣を、『女が作った物など使えない』と言われたときには、本当に腹が立ちましたです」

「あれはひどかったわね」と、ロレインが苦笑する。

「猛き獅子守る王国の公爵の次男だったのですが、あいにく訪ねてきたときに夫が留守だったのです。私が相手をしたのも気に入らなかったようで、ネズラルグが自信を持ってお出しした魔法陣をさんざんにけなしてくれましたわ」

「公爵は王家の血を引くもの。侯爵御自身ならともかく、侯爵夫人の立場では思うことも言えますまい。それは大変な思いをされましたな」

「それが、けなしている最中に知らせを受けた夫が帰ってまいりまして、『ネズラルグの職人の作った物を気に入っていただけないのであれば、残念ながらお渡しできるものはございません』と追い返してくれましたのです」

「お館様は、奥様を侮辱されたから余計に怒ったんですよ」とパトラが言うのに、「そうかもしれないわね」とロレインは微笑んだ。

「必要だから買いに来たものが手に入らなかったのだから、それで終わりではないんですよね? それからどうなったんですか?」

 わくわくした顔で聞く勇者姫様に、ロレインは少し意地の悪そうな笑みを返す。

「後日、本人がもう一度やってきて、売っていただくためにはどうすればよいだろうかと言うので、夫が私とパトラに謝罪させ、5割増しの金貨でパトラの作った魔法陣を売り付けました。差額が冬支度の買い物の資金になりましたし、職人たちに臨時給金を出すこともできました。心がすっとするような出来事でしたわ。ねえ、パトラ?」

「公爵の若様のつむじを見たって、一生自慢できますです。臨時給金で飲んだ酒も美味しかったです」

 パトラの言葉に、ジェイドさんは頬を引きつらせ、勇者姫様は声を上げて笑った。

「ネズラルグ候は、ロレインのことをとても大切にしているのですね」

 仕事に戻るパトラを見送りながら勇者姫様が言った。

「さきほども、ロレインへの愛を熱っぽく語っていましたよ」

「お恥ずかしいですわ」

 ロレインは本当に恥ずかしそうに言った。

「夫のあれは、そういう習性のようなものなのです。リアナ姫様を褒め讃えよと言えば、微に入り細に入り延々と美辞麗句を並べるでしょう」

 左手で左頬の赤いあざに触れる。

「このような醜い痣を、『愛しい紅の薔薇』などという言葉で例える夫ですから、実際にお美しい姫様の美しさを表現しようとすれば、きっと、子供が寝てから起きるほどの時間も言葉を途切れさせることなく褒め続けることができますわ」

 子供の睡眠時間って10時間くらいあるんじゃないか?

 そう思ったけれど、ジェイドさんと勇者姫様が笑うところを見れば、きっとオーバーな表現なのだろう。それに合わせて俺も上品に笑っておく。

 けれど、ウケをとったのにロレインは伏し目がちで、何か含みのある表情で。

 ……あれ?

 なんか、ネズラルグ候の愛妻家トークと、温度差があるんじゃないか?

「『姫様』をどれほど長い間褒めたたえられるかはさておき」と勇者姫様が言う。

「自分に見えているものが、他人にも同じように見えているとは限りません。自分が美味しそうだと思う猪を別の人は怖いと思うように、ネズラルグ候にとってのロレインも、美味しそうな猪なのかもしれませんよ?」

「『ユウキ殿』。そこは、『自分が美の化身と思う女性を、他人が十人並みと評するように』とか、もう少し言いようが……」

「そっちの方がわかりにくくないですか?」

 ふたりのやり取りにロレインが口元を隠しながら小さく笑う。

「いずれにせよ、美辞麗句は並べられすぎると聞いているこちらも疲れるので、ほどほどにしておいて欲しいものですね」

 勇者姫様はそんな言葉で話をまとめ、作業を再開するために立ち上がった。

 俺も休憩の間、椅子の右横にいた聖杖に右手を伸ばしたのだった。

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