第148話 馴れ初め
「やはり、できの良い魔法陣は格段に活性化しやすいですね」
朝から立て続けに10枚の魔法陣の石板を活性化しての休憩中、工房に置かれたテーブルでクルミのペーストを巻き込んで焼いた甘いパンを食べながら、勇者姫様は言った。
「できの悪い魔法陣は、聖霊気を慎重に注ぎ込まないと魔法陣に充分な聖霊気を満たせませんでした。対して、できの良い魔法陣だと、聖霊気を注ぎ込み始めるだけで魔法陣に滞りなく行き渡ります。こちらから注ぎ込む勢いを調節しなくとも、すんなり隅々まで聖霊気が行き渡るのでとても楽です。神経を使わずに済むためか、一枚当たりの体力の消耗も少なくなりました」
まあ、と笑顔で勇者姫様は続けた。
「まあ、消費聖霊気量が減ったわけではないのですが、『リアナ姫様』のおかげでそこはどうにでもなります。枚数をこなせるようにはなりそうです」
「最初の1枚は、昨夜のうちに修正した物だったのですがいかがでしたか?」
そう言ったのはネズラルグ候。
「とても活性化しやすかったですとも!」
勇者姫様が明るく言うのに、ネズラルグ候は目を細めた。
「それはよかった。夫婦で遅くまで作業した甲斐があるというものです」
「候と御夫人御自身が作業をされたのですかな? 職人に任せずに?」
ジェイドさんが驚いたように言う。
「実際に手を動かすのは職人です。私共は、どこをどれだけ修正するかの指示と、歪みが正せたかの確認をしておりました。なんの道具も使わずに、一目で魔法陣の歪みを見分けられますから、職人だけで作業をさせるよりも効率が良いのです」
ネズラルグ候は、顎髭の中の唇に笑みを浮かべる。
「私一人でしたら、徹夜仕事になったかもしれません。ロレインには助けられてばかりです」
「なるほど。一人よりも二人の方が効率がいい。夫婦とも同じ才を持っているのなら、その子にも才が受け継がれる可能性が高い。魔法使いの子孫の嫁として、これ以上の女性もなかったわけですな」
ジェイドさんが納得したようにうなずく。
「はい。私が心から結婚したいと願った女性がロレインであったことは、まさに幸運でありました」
ん?
ネズラルグ候の言葉に、俺は内心で首を傾げた。
「まるで、ロレインがその才を持つと知る前に、結婚したいと考えたような言い方ですね?」
勇者姫様が俺の疑問をそのまま口にした。
「いえ、結婚したいと願ったときには、私と同じ才があることは承知しておりました。それが結婚したいと願った理由ではなかったということです」
ネズラルグ候は首を振ってそう言ってから続けた。
「――勇者様と姫様は、応接室の赤い花のタペストリーをご覧になられましたか?」
「はい。ロレインが作ったものだと聞きました。精緻で美しいと同時に、何とも言えない力強さとぬくもりを感じるタペストリーでした」
勇者姫様が言うのに、俺もうなずいて同意を示す。
「そうなのです! まさに、おっしゃる通り!」
ネズラルグ候がテーブルで前のめりになりながら上げた声に、ジェイドさんがびくっとする。
「精緻で怜悧な美しさが、力強く温かく組み上がっている! あのタペストリーを初めて見たとき、私は感動に打ち震えました! 正確で迷いのない線に、これを作った者には私と同じ才があるのだと判りました。ですが、その同じ才で私には思いもつかないものを生み出していた。
私はこの才を、ただ、魔法陣を作るためにしか使ってきませんでした。それ以外のことに使うことを思いつかなかった。けれど、あのタペストリーの作り手は違ったのです! 教えられた魔法陣を――教えられたものを、教えられたとおりに作るだけではない。自ら考えて新しく美しいものを生みだしていたのです! それも、単に美しいだけではない! 見る者を抱きしめ慰めてくれるような何かを分け与えてくれるものを!」
興奮し、早口でまくし立てたネズラルグ候は、両手を広げ天を仰いだ。
「そうです! 私はあの時、顔も名も知らぬあのタペストリーの作り手に恋をしたのです! 剣と杖の神の与えたもうた、新しいものを生み出す創造の才を持つ稀有なる人物に! それが適齢期の未婚女性であり、進んでいる縁談がなかったことは幸運でした。まさに天の配剤! まさに運命! 私は神が提示してくれた手掛かりを正しく読み解き、ロレインと出会い、最愛の女性を得るに至ったのです! ああ、神よ! 力と知恵を人にお与え下さったすべてを知る天上の光よ! 私に世界に二つとない尊き紅の薔薇を与えて下さったことに心から感謝いたします!」
うーわー。
言い回しが怪しい
なんか、ここまで自分の妻に入れ込めるって、怖くないか?
両手を揚げてしばし静止したネズラルグ候は、俺たちが呆気に取られていることに気づいて我に返ったか、すっと両手を下ろした。
「ともあれ、私が妻にと求めたのはあのタペストリーを作ったロレインであって、家業を手伝える者を求めたわけではありません。魔法陣製作の要を共に担ってもらえるのはありがたいことですが、それは結果的にそうなっただけのことなのです」
「なるほど」
納得したように、勇者姫様はうなずいた。
「ネズラルグ候は、夫人の実家である公爵との縁も、公爵家の血筋も、魔法陣製作に役立つ才も関係なく夫人を選び、娶ったということですね。そして、これ以上なく愛していると」
「はい。まったくもってその通りです」
ネズラルグ候が、照れもせずめちゃくちゃ良い顔で言う。
「爵位を継ぐ男子にとって、結婚とは家のためにするのが常。そこまで思える女性を正妻に迎えられたというのは、まこと幸運なこと。うらやましいことですな」
ジェイドさんが言えば、勇者姫様は「この世界の貴族は、色々と大変なんですね」と演技で感心したように言ってから、聖泉石の水を飲み、「さて」と立ち上がった。
「では、昼食前に、もう少し頑張ってきます」
左掌から聖剣を逆手で引っ張り出し、やはり立ち上がって後に続くネズラルグ候を従えながら、勇者姫様は並べられた魔法陣の石板へと向かった。
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