第147話 魔法と平和
「全部の魔法陣を活性化させるのには、思ったよりも時間がかかりそうですね」
宿として与えられた離れの館の食堂で、目の前に自分の分と言わんばかりにドンと1羽置かれたガチョウのローストをもりもり食べながら勇者姫様は言った。
ネズラルグ領に来るまでの各地では出されることがなかったガチョウは、どうやらネズラルグ領の特産品らしい。
牛も豚も焼いたり茹でたりで食卓に乗せられているが、ガチョウに比べたら量は少ない。他の料理もあるのにガチョウは3人の食卓に2羽も出ている。丸ごとローストなので、かなりのボリュームだ。
「たくさん食べたい」という勇者姫様のリクエストに応えるため、用意しやすい肉を多く用意したということなんだろう。
牛肉と野菜のスープと、三日月形のパンもたっぷりと用意されている。飲み物にはエールとワインと聖泉石の水。デザートは、赤いジャムのタルトと干しブドウ。デザート用の甘い白ワインも用意されている。
「用意されている魔法陣の石板は200枚程だそうです。修正で効率が上がらないと、10日はここで足止めですね」
「オグレクでの滞在も含めると、ひと月以上ネズラルグ領に留まることになるかもしれませぬな」
ジェイドさんも、取り分けたもう1羽のガチョウのローストを食べながら言う。
こっちのガチョウは、俺とジェイドさんで縦半分で分けて食べている。もも肉とか胸肉とかいろんな部位を食べ比べできて、ちょっと嬉しい。
しっかり脂の乗った胸肉を食べ、俺は山盛りのパンに手を伸ばした。
まだほんわり温かい、外側も適度に柔らかい三日月形のパンは、クロワッサン形のツヤの無い硬めのロールパンという感じだ。ちぎって食べようとするとふわりとバターが香って、食欲をそそる。口の中に入れても、どこもチクチクしたりしない。噛める。美味しい。
柔らかいパンというのは、それだけで美味しい。
あの、口の中の水分で溶かすように食べなければならない硬くなったライ麦パンを思えば、パンは柔らかいだけで美味しい。
いくら先を急ぐためとはいえ、パンがあれしか食べられない状況は辛いよなあって――あれ?
「ここまで、昼食の質を落としてまで急いで来たのに、ネズラルグで何日も時間をかけるのは構わないんですか?」
俺は素直な疑問を口にした。
そう言えば、急ぎの旅だったんじゃなかったっけ?
「オグレクでの休養は、それだけの時間をかける価値があるとされておるのです。『勇者と姫巫女双方の心と体が癒えるまで、オグレクで過ごすべし』と神殿にも伝えられております」
ジェイドさんがパンをちぎりながら言う。
「それだけではありません」
勇者姫様が、丸ごとのガチョウからもも肉を外しながら言う。解体が得意なのは料理もか、手際よくチキンよりもずっと大きなもも肉を外し、自身の皿に取る。
「魔女とその使徒は世界の脅威ですが、ネズラルグの秘法が失われることも世界の脅威なのです」
世界の脅威? 魔法が使えないことが、何で世界の脅威になるんだ?
「例えば、国家間の交渉事には、特定の状況で知ったことを他者に伝えることができなくなる沈黙の魔法陣が使われます。決まった条約の締結には、血の約定の魔法陣が使われます。国王の名代として王位継承権一位の王子同士が、約定を破れば本人だけでなくその親兄弟子孫までも命を奪われる魔法をかけあうのです」
骨際にナイフを入れてガチョウのももから肉を外し、一見して急いで食べているようには見えない優雅さで、でも実際はかなりの勢いでもも肉を食べながら、勇者姫様は説明してくれる。
「なるほど。王国の間の約束に王族全員の命がかかってたら、まず、条約は破られないわけですね」
世襲の専制君主制国家ばかりなら、すごく有効な魔法かも。内乱とかで国が亡んだらそれまでだろうけど。
「他にも、上に置かれた純金の地金をレオン金貨の形に作り替える金貨製造の魔法陣、上に置かれた錠前と鍵にその鍵以外では開かなくなる魔法をかける堅錠製作の魔法陣、表面に一方通行の水の流れを生み出す水流の魔法陣、触れながら嘘をつくと肌が灰青色になる灰青罰の魔法陣など、失われると為政者に都合が悪い魔法は数多くあるのです」
ん?
「水流の魔法陣は、為政者に必要なんですか?」
「治水に必須です」
納得。
「魔法陣の石板も、永遠に壊れない物ではありませぬ」
ジェイドさんがエールを飲みながら言う。
「かつて、始まりの神殿にだけ存在した『復活の魔法陣』は、神殿による独占を恨んだ民に破壊されました。悪意や事故による破損、喪失の危険は決してなくならぬのです。魔女の使徒に苦しむ周辺国にしても、必要ならばネズラルグから魔法陣の石板を買うことができるという安心は必要なのです。
勇者が姫巫女様の力を借りることができるのは、魔女を倒すまでの間だけ。ネズラルグの秘法のために魔女の使徒討伐が遅れることは、やむを得ぬと許容されているのです」
魔法が便利すぎて無い状態に戻れないのか。
その魔法陣を作れるのがひとつの一族だけって、かなり危うい気がする。――いや、そもそも、たったひとりの勇者しか活性化できないんだから、今更か。
「魔法陣の修正が上手くいって活性化に必要な聖霊気の量が減れば、今日以上の数をこなせると思います」
勇者姫様は俺に目を向ける。
「ユウキ様にとっては黙って聖杖を手に座っているのもお辛いことでしょうが、しばらくお付き合いください」
「作業を見てるのも面白いですから、辛くなんかないですよ。喜んでお付き合いします」
俺が言えば、勇者姫様は「ありがとうございます」と微笑んだ。
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