第115話 スフェンの思い

 勇者一行へ礼を言う人たちの列が切れたところで、シトリが「館に美味しいお菓子を揃えた気軽な席を用意してあります。『リアナ姫様』、よろしければそちらに席を移しませんか?」と声をかけてくれる。

「『勇者様』もご一緒にいかがですか?」と俺が勇者姫様に声をかけると、「『姫様』とご一緒したいところなのですが……」と勇者姫様は少し困ったようにジェイドさんを見た。

「試合の勝利条件などについては、わたくしが詰めておきましょう。トスヌサでの、兜をかぶせた杭を立ててからの条件を基準にしてでよろしいですかな?」

「命にかかわらない、勝敗にまぎれのない条件であればそれでいいです。頼みます」

 勇者姫様の言葉にうなずいたジェイドさんが、シトリに目を向ける。

「騎士団長と、領主兵団長がそれぞれを代表してもらうとして、シトリ殿には立会人として話し合いに同席してもらいたいのですが……。なに、たいして時間はかからないでしょう」

「喜んで。――では、スフェン、おふたりを館の応接室にご案内して」

「承知いたしました。では、『勇者様』『リアナ姫様』、こちらへどうぞ」

 スフェンの案内で、俺たちは祝宴の会場を後にした。


 祝宴の会場となった騎士団の館とアレヴァルト辺境伯の館は馬車で数分ほどの距離だ。馬車を使おうとするスフェンに、酔い覚ましに歩いて行こうと言い出したのは勇者姫様だった。

 砦の城壁の内側にある広場の端に立っている騎士団の館を出ると、広場ではかがり火が焚かれ多くの人が集まってお祭り騒ぎをしていた。

「見つかると面倒臭いことになりそうです。少し暗いですが裏道を行きましょう」と用意した大理石ランタンふたつのうちのひとつを俺たちに渡し、もうひとつを持ったスフェンが先に立って歩き出す。

 アレヴァルトの館の使用人家族や領主の兵の家族が住んでいる区画を通る石畳の裏道は、ひと気を感じない。皆、表通りで勇者の使徒討伐を祝っているらしい。

 月のない夜空の下、静かな道をとぼとぼと歩きながら、ちらちらと何か言いたげにスフェンが俺を振り向く。

「どうしました、スフェン? 姫巫女様に、何か言いたいことでも?」

「あの……はい。ひとつ、お願いがありまして……」

 スフェンが言い辛そうにする。

「『勇者』に褒美を求めておいて、さらに『姫巫女様』にもお願があると?」

 勇者姫様の言い回しは意地が悪いけれど、口調はちょっと面白がっているようでもある。

「お願いって何ですか?」

 俺は聞いてみた。

「『姫巫女』としてではなく、私個人としてできることであれば、叶えることができるかもしれません。試しに言ってみてください」

「とても簡単なことです。『姫巫女様』が今日気が付いたことを、シトリ様に言わないでいただきたいのです」

 あー。そういうことかー。

「オレには口止めしなくていいんですか?」

 勇者姫様が言えば、「えっ?!」とスフェンが驚いたような声を上げ立ち止まった。スフェンの持つ大理石ランタンが大きく揺れる。

「シトリに伝えられたくないことというのは、スフェンの気持ちでしょう? まあ、オレが気付いたのは今日より前ですけど」

 勇者姫様が言えば、スフェンはくるりと俺たちの方を向き、その場に片膝を着いた。

「――おふた方に、お願いいたします。どうぞ、シトリ様には……」

「ああ、そう堅苦しくならずに。一応、内緒話にしましょうか」

 勇者姫様が、ランタンを下げる左手の甲に紋章を描き「ウク、チッテアー」と音の結界の呪文を口にした。

「私の足元を中心にした音の結界です。自分の足音が聞こえなくなったら、結界からはみ出た証拠です。あまり離れすぎないように歩きながら話しましょう」

 ふたつのランタンの明かりを揺らしながら、俺たちはゆっくりと緩やかな坂道を下っていった。

「――で、スフェンは何故、シトリに自分の思いを知られたくないのですか?」

 勇者姫様が訊ねる。

「今の私がシトリ様に求婚しても、断られるだけだからです」

 スフェンは言った。

「断る以外の可能性がないのは、身分違いだからですか?」

 俺は訊ねてみた。スフェンは庶民、シトリは辺境伯の姉、普通は結婚できないのだろうかと思ったのだけれど。

「いえ、そこはあまり問題ではないのです」

 スフェンは首を振った。

 あれ? 身分違いだから結婚できないんじゃないの?

「結婚適齢期に持参金を用意できないほど領地経営が上手く行っていなかったとか、婚約者が立て続けに不幸な死に方をして呪われた姫と噂されたとか、結婚できないまま年を重ねてしまった貴族女性というのはときおり出るものです。そういう状況での選択肢のひとつが、お抱え騎士との結婚です」

 勇者姫様が説明してくれる。

「庶民を騎士として召し抱えて娘と結婚させる場合は、別の貴族に形だけの養子にしてもらい、貴族子息の立場を手に入れてから結婚させるのが一般的ですね。スフェンがシトリに求婚して、シトリがその気ならば、そういう選択肢はあるのですよ」

「じゃあ、何が問題なんですか?」

「シトリ様は、幼い頃からお慕いしていた私の結婚の申し込みを、『人買いから救われたことを恩義に思うあまりの行動』と思い込んでいるのです」

 スフェンが第五使徒との初戦で見た「恐ろしいモノ」は、スフェンを買った人買いだと言ってたっけ。

 その状況から救ってくれたシトリに実際恩も感じているのだろうから、シトリの勘違いも根拠のあるものなのだろう。

「10歳の頃、シトリ様をひとりの女性として好ましく思っていることに気付いて以来、ことある毎にその思いを告げて来ましたが、シトリ様はずっと『子供のたわごと』と思っていたようでした。

 16歳になって成人したところで、改めて心からの愛を告げ、結婚を申し込んだ私に、シトリ様は言いました。

『人生をかけて、私に恩を返そうとしてくれる、その気持ちは嬉しいわ。でも、ごめんなさい、スフェン。私は、恩を売った子供にしか相手にされない哀れな行き遅れとそしられたくはないのよ』と。

『あなたには、幸せになって欲しいのよ』と」

 そう言って、スフェンは大きくため息をついた。

「実際、私の結婚の申し込みを受けて、アレヴァルト家で私を召し上げ釣り合いを整え、シトリ様と結婚したのなら、きっと口さがない人々はシトリ様を陰であざ笑うでしょう。子供の頃から恩を売り、逆らえない私に結婚を強いたと言い出す者は確実に出ます。そんな言葉でシトリ様がそしられることは私にも耐えがたいことですが、おそらくシトリ様は、そんな目で私が見られることも良しとしていないのです」

「ああ、それは攻略が難しいですね。シトリにしてみたら、絶対にあなたとは結婚したくないことでしょう」

 勇者姫様が言う。

「ですから、私は正攻法でシトリ様を口説き落とすことを諦めました」

 スフェンは言った。

「私がシトリ様を手に入れるためには、私が望む結婚相手がシトリ様であることを気付かせぬまま、相手をどれだけ愛しているかを言葉以外の手段でシトリ様と世間に知らしめることが必要なのです。真実、シトリ様を望んでいるのだと証明しなければならないのです。

 そのためにも、勇者様、姫巫女様、私がシトリ様に思いを寄せていること、シトリ様にはどうぞ内密にしてください。お願いいたします」

「分かりました。いいですよ」と俺は即答したけれど、勇者姫様は違った。

「ふたつ、確認したいことがあります」

 2本の指を立て、勇者姫様は言った。

「ひとつ、エマツォーク殿が成人していない今、女領主代行の結婚は、夫が女領主代行の行動を左右する可能性があると、シトリの領地経営に不利に働くと思われます。それが分かっていて、シトリが結婚を承諾する可能性は低いのでは?」

「正式な結婚はエマツォーク様が実権を握られてからでも構わないと考えています」

「気の長い話ですね。エマツォーク殿は10歳、あと6年もありますよ?」

「エマツォーク様は聡明な方です。シトリ様が選んだ教育係もついていますので、そこはもっと短くなるでしょう」

「もうひとつ――これが一番重要なのですが、そもそも、シトリは何の障害も無ければあなたと結婚することに異論がないのでしょうか? 心底嫌がるシトリを手に入れるための計画に、私は加担したくはありませんよ」

「少なくとも、他のどの男よりも好かれている自信はあります」

「根拠は?」

「私の求婚を拒絶し、『幸せになって欲しい』と言いながら、シトリ様は私を遠ざけようとしません。私程度の従者ならば他にもおりますが、それでも私を選んで傍に置いてくださっているのです」

「それに」とスフェンは続けた。

「これはすぐにこの地を離れるおふたりだからお話ししますが……領主兵の目印の赤いスカーフは、赤の染料が色褪せやすいため毎年春に新しいものが支給されます。シトリ様は、私が成人して正式にシトリ様の従者になって以来毎年、手ずから私の頭文字を刺繍したスカーフを用意しては、結局渡さずにしまい込んでいるのです」

「シトリがですか?! あんなに刺繍が嫌いだと言ってたのに!」

 勇者姫様が驚きの声を上げる。

「シトリ様がです。――存外に可愛らしい方なのですよ」

 スフェンが目を細めて微笑む。

 その表情は、スフェンの気持ちを何よりも雄弁に物語っていた。

「わかりました。あなたの思惑をシトリには伝えないと約束しましょう」

 勇者姫様はそう言ったのだった。



 館に着いてみると、ちょうど馬車で館に戻ったシトリが玄関先に到着したところだった。

「まあ、『勇者様』『姫様』、今到着ですの?」

「ええ。酔い覚ましに歩いてきました」

 シトリに声をかけられるより先にさっと音の結界を解除した勇者姫様が、にこやかに言う。

「ちょうどよかったわ。スフェン、あなたは今日はもう休みなさい。試合は明日ですから、英気を養うことも必要でしょう?」

「お心遣い、ありがとうございます、シトリ様。それでは、お言葉に甘えて下がらせていただきます」

 スフェンは勇者姫様から大理石ランタンを回収し、丁寧に礼をしてから俺達に背を向けた。

 ふと、ふりむくと、シトリがスフェンの後ろ姿を見送っていた。

 胸元に握りこぶしを押し当てるシトリの口元は、何かをこらえるかのように引き結ばれていた。

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