第114話 勇者への挑戦

 勇者の使徒討伐を祝う祝宴は、アレヴァルト伯の館ではなく、アレヴァルト駐屯騎士団の館の食堂で催された。この砦の中で一番広いホールがここだからだそうだ。

 広いホールの一画、暖炉の前、冬に一番暖かい席が上座で、暖炉に背を向けて並んで座るようにメインテーブルがセッティングされている。そこに「勇者」「リアナ姫」神官長が並び、それを挟んで、主催のシトリ、アレヴァルト駐屯騎士団団長、領主兵団団長が並ぶ。

 その主催のテーブルに横を向くように並べられたたくさんの椅子と長机。結婚式の披露宴か、映画に出てくる魔法学校の食堂みたいな配置だ。

 いや、ホールの内装自体は全然飾り気が無くて、質実剛健の神官騎士団の館に相応しい感じだけど。

 長机には、シトリの前側に領主兵団副団長・商業ギルド長を上座に、領主の兵達が席に着いている。騎士団長の前側には、騎士団副団長、3人の部隊長を上座に、神官騎士団の騎士たちが鎧を脱いだ楽な格好で座っている。

 民間人が少ないのは、なんだかんだ言ってもここが国境の砦という軍事拠点だからなのだろう。

 主賓の席の前には広めにスペースが開けてあって、下座から主賓の前まで行き、そこから下座に戻るルートができている。


 この手の大規模な宴会では、デザートが出てからは席の移動が許されるようになる。

 誰でも――下座に席が与えらえれるような身分の人間であっても、このルートを通って勇者とリアナ姫の前に出て使徒討伐への感謝の言葉を伝えることができるようになるのは、トスヌサの祝宴で経験済みだ。

 まあ、移動可になるのは主賓も同じで、デザートが出たのをきっかけに席を立っても表立って文句は言われないはずだが、なにせ勇者の使徒討伐の祝宴なので、「勇者」と「リアナ姫」揃って感謝の言葉をニコニコ聞いている方がウケが良いのは間違いない。


 ともあれ、デザートが出るまではただの乾杯の多い食事会だ。

 例のごとくテーブルに立て肘、椅子に立て膝というあえての行儀悪さで同席する人たちの注目を集める勇者姫様の陰で、俺はメイドたちが運んでくる度にジェイドさんがテーブル丸ごと浄化してくれる料理に舌鼓を打った。

 野菜と干し魚のスープ、詰め物をした鶴のロースト、鹿肉の煮込み。

 スパイスとハーブとナッツを皮つきの豚バラ肉に巻き込んで焼いた料理も出てきた。オレンジピールも巻き込まれていて、豚とオレンジの風味が合って美味しい。

 俺たちのテーブルには乳飲み子豚の丸焼きも出された。

 バラ肉のローストは豚らしい旨味とオレンジの風味がマッチした美味さだけど、乳飲み子豚はもっとシンプルで癖のない美味さだ。どっちも美味しい。

 他のテーブルには乳飲み子豚の倍以上大きな子豚の丸焼きがどーんと運び込まれて、兵士や騎士たちが大盛り上がりだ。

 はちみつ酒ミードもワインも、俺たちのグラスには瓶の少し良いものがメイドの手で注がれるけれど、他のテーブルの分は樽で持ち込まれ、持ち手付きのピッチャーにじゃぶじゃぶ注がれてテーブルに回され、その度に「勇者様に!」とか「リアナ姫様に!」とあちこちで乾杯の声が上がる。

 テーブルの上の料理が少なくなってくると下げられて、また別の料理が持って来られて、また誰かが乾杯を叫び、陶器のジョッキが掲げられる。

 2度テーブルが片付けられてから、デザートが出てきた。フルーツのコンポートと砂糖菓子と、まだ温かい揚げ菓子。

 小さめのさつま揚げサイズの小麦粉が材料らしい揚げ菓子は、こんがりときつね色で、まだ温かくて、砂糖とシナモンがまぶされていて、ドーナツみたいだけれどサクサクというよりモチモチで、周りにまぶした砂糖がじゃくじゃくとする歯ごたえとの組み合わせが美味しい。

 デザートが出たのをきっかけに、まず騎士団副団長が席を立ち、俺たちのテーブルの前に作られたスペースに出て、貴族出身を証明するような綺麗な礼をした。

「勇者様、リアナ姫様、神官長様。長年我が領民を苦しめてきた魔猿を退治してくださいましたこと、心より感謝申し上げます」

 そう言ってから姿勢を正した副団長がちらりとこちらを見る。

 こういう挨拶は儀礼的な物らしい。同じテーブルにつけないほどであるのなら身分違いなので返事をする必要はない、何なら視線をやる必要もないと聞いているのだけれど、そこは日本人の本能、つい顔を向けて微笑んでしまう。

 まあ、変な誤解をされるのも困るので、じっと見つめないようにはしよう。

 足取り軽く副団長が席に戻れば、領主兵団の団長がこちらは庶民ぽくぺこりと頭を下げて同じような挨拶をし、これにも俺は笑顔で応じた。

 あとは順不同、俺たちのテーブルの前に来ては簡単に感謝の言葉を述べて去っていく。珍しいものを近くで見るために来るという感じだ。

 しばらくしたところで、意外な人物が俺達の前に進み出た。

 さっきまでシトリの後ろに控えていたスフェンだ。

「勇者様、リアナ姫様、神官長様。魔猿を倒し、この地に平和をもたらしてくださったこと、心から感謝いたします」

 片膝を着き、頭を下げてスフェンは言った。

 あれ? ここまでいろいろ世話になったスフェンに何も返事をしないってのも、変じゃないか?

 そんなことを思いついたとき、「顔を上げてください」と勇者姫様が言った。

「オレが使徒を倒すことができたのは、スフェンが自身の経験を語ってくれたおかげです。初戦の案内も助かりました。オレの方こそ、感謝します」

「『勇者殿』に限らず、わたくしも参考になる話を聞かせてもらった。『姫様』もそなたの働きには満足しておられるだろう」

 ジェイドさんの言葉にこちらを見るスフェンに、俺は微笑んで頷いた。

 俺も何か言いたいところだけれど、「リアナ姫」はこういう場では口を開かない設定だからできない。礼を言うのは後でいいだろう。

「ありがたきお言葉、光栄にございます」

 そう言ったスフェンは、ですがと言葉を続けた。

「ですが、どのようなお言葉も言葉だけでは我が身には夢のごとく思えてなりません。かなうならば、夢とは思えぬ褒美を賜りたく存じます」

「スフェン!」

 シトリが驚きの声を上げ、飛び上がるように立ち上がった。

「あなたは私に仕える者、私の命令でしたことへの褒美は私から与えるのが道理です! お控えなさい!」

 しん、とホールが静まり返る。

「待って下さい、シトリ」

 シトリを制したのは勇者姫様だった。

「スフェンは、欲しいものが決まっているという顔をしていますよ。ここは、まず、話を聞いてみましょう。――スフェン。何を褒美に欲しいのですか?」

「トスヌサから来た商人から、トスヌサ駐屯騎士団員は『勇者様』に挑戦する機会を与えられたと聞きました。

『勇者様』と試合をし、武で勝つことはできずとも一矢報いることができたなら、褒美に『リアナ姫様』より水瓶の水を分けていただける約束であったと」

「リアナ姫の水瓶の水を分けてもらう」というのは、つまり、リアナ姫に召し抱えられることを意味する。お抱え騎士の身分を与えられ、屋敷といくばくかの土地と与えられるのが相場だと聞いている。

 王族直属の騎士になり狭いとはいえ自分の管理する土地を得るというのは、跡取りではない貴族の男子にとってなかなかの出世らしい。貴族出身でないスフェンにとっては、まさに大出世だろう。

「アレヴァルト駐屯騎士団、及び、アレヴァルト領主兵団の者にも――そして、私にも同じ機会を与えていただきたく、お願い申し上げる次第です」

 スフェンが言えば、「おお!」と騎士団長が声を上げる。

「ああ、忘れていました!」

 勇者姫様は今気が付いたという顔をした。

 武術指導のことは覚えていたのだけれど、絶対に与えられることのない褒美のことは本当に忘れていたのかもしれない。

「確かに、トスヌサ騎士団には与えた機会を、アレヴァルト騎士団に与えないのは不公平ですね。騎士団と共に使徒討伐をしてきた領主兵団にも相応の機会は必要でしょう」

 そう言ってから、しかし、と勇者姫様は小首を傾げた。

「しかし、スフェンは『リアナ姫』から水を分けてもらいたい――召し抱えられたいのですか? シトリの下で働くのはもう嫌なのですか?」

 勇者姫様の言葉にスフェンは「そういうことではないのですが――」と困ったように言った。

「実は、結婚を申し込みたい方の身分が高いのです。せめて騎士として村のひとつも任され屋敷のひとつも持たねば、求婚することもできません」

 第五使徒討伐の直後、シトリの横顔を見つめていたスフェンを思い出す。

 あれって、やっぱりそういうことか!――そう思ったのだけれど。

「まあ……まあ、まあ!」

 シトリが興奮気味に言う。

「スフェン、いつの間にあなた、そんな方ができたの?」

 あれ? 相手シトリじゃないの?

 混乱する俺の隣で「なるほど」と勇者姫様は納得したような声を上げた。

「そういう理由ならば、その想いを叶える手伝いをするのもやぶさかではありません。いいでしょう。トスヌサのとき同様に、騎士団員10人と領主兵団員10人、そして忘れていたことを思い出させてくれた礼として、スフェンの挑戦を受けましょう」

 おおお、とホール内がどよめく。

「勇者様のお慈悲に心より感謝いたします」

 頭を下げるスフェンに、勇者姫様は「ただし」と続けた。

「わざと負けてはあげませんよ?」

 にっと不敵に笑う。

「それでこそ価値があるというものでございましょう」

 スフェンは頭を下げたままそう言ったのだった。

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