第113話 魔女の第五使徒・討伐

「はははははっ!」

 勇者の高笑いに我に返る。

 広場を見れば、半球形の結界の外側を、尻尾のある茶色の子供が常人の限界を超えた動きで飛び回っていた。ときどき、緑の光跡をきらめかせて爪で攻撃しているが、結界に阻まれているようだ。

「見える! 見えるぞ!」

 嬉しそうにそう言った勇者は、聖剣の切っ先を小さく動かして「テアーユ、チッテアー」と結界解除の呪文を唱えた。パキンと谷間に音を響かせ、勇者を守っていた結界が消える。

 即座に茶色の子供が突っ込んでくるのを、勇者は聖剣で受けた。

 ぎいん、と音が響き、茶色の子供が飛び退る。距離を取ったところで茶色の子供は、勇者を警戒するように、ささっ、ささっ、と前後左右に高速ステップを踏み始めた。

 勇者は茶色の子供を見据えながら、両手で聖剣を構えた。

 俺の隣から青い光が視界に差し込む。

「青玉の聖杖よ! 魔を打ち倒す姫巫女様の力を、勇者に与えたまえ!」

 視界の隅でキラキラきらめく青玉を高く掲げ、ジェイドさんが良く響く声で言う。

 勇者の握る聖剣の剣身が金色の光に包まれ、青玉の光が輝きを増す。

 茶色の子供が、フェイントも交えたステップを踏みながら右手に剣を持つ勇者の左手側に回り込もうとする、ときに本気で襲おうと深く踏み込んで勇者の反撃の気配にバックステップで逃げる。

 高速で前後左右に駆け回る茶色の子供に対し、勇者は両手で剣を構えたまま攻撃モーションに応じて振り向くだけだ。

 攻めあぐねているのかな?

 そう思ったとき、勇者が左手を聖剣から離した。さっとしゃがみ込み、左掌で地面に触れる。

「ペミタ、チッテアー!」

 広場の半分ほどを覆う半球の結界が展開する。茶色の子供は即座に後ずさったけれど、逃げられなかったようだ。勇者と共に結界に閉じ込められてしまう。

「チッテアー!」

 続けて結界の中に茶色の子供を狙って小さな半球形の結界が展開される。茶色の子供が、それを避けて左に走る。

「チッテアー! チッテアー! チッテアー!」

 大きな結界の内側に沿って左回りに逃げる茶色の子供を追うように次々形成される結界。

 結界に区切られた空間に、茶色の子供を捕えそこなった結界が増えていく。大きな光の半球の中に、大きさがまちまちの光の半球がちりばめられる。部分的には大きな半球から小さな半球が半分はみ出したりもしている。茶色の子供が走って逃げることができるスペースがどんどん減っていく。

 大きな結界の内側に広いスペースがなくなったところで、勇者は立ち上がり、光をまとった聖剣を手に直接茶色の子供を追い始めた。

 全体を視界に納められる距離から見ているからこそかろうじて目で追える速度で、茶色の子供と勇者が大きな結界の中を駆け巡る。近くで見ていたら、絶対に目で追い切れないだろう高速移動だ。

 大きい結界からは逃れられない、その中の小さな結界には進入できない。茶色の子供は迷路を逃げているようなものだ。逃げられるルートが限られるので追いやすい状況になったことはわかる。

 けれど、速度は互角に見える。このまま追っても、決着はつかないんじゃないか?

 そう思ったとき、突然、勇者が足を止めた。

 茶色の子供は、小さな半球の結界を挟んで勇者と向き合う位置に足を止めた。

 しばらく迷うように右に、左にステップを踏み、やがて、我慢できなくなったように姿勢を低くし、今までで一番のスピードで小さな結界を右手から回り込んだ。緑の光の軌跡を描く翡翠の爪を振り上げながら、勇者に突っ込む。

 だが、勇者は攻撃を待ってはいなかった。大きく踏み込み、金色の聖剣で茶色の子供を迎え撃つ。それをまっすぐ下がって避けようとする茶色の子供に、勇者はさらに踏み込み、返す刀の二撃目を振るう。

 届かないと思った金色の剣の軌跡が、金の斬撃となって剣から放たれた。

 襲い掛かる水平の金の光。結界があるから左右に避けることはできない。茶色の子供が大きくジャンプして避ける。

 だがそのときにはもう、それを予測したように勇者は次のモーションに入っていた。

 真っすぐ上段から宙を切り下ろす聖剣。放たれる金の斬撃。その斬撃が体を通過したとたん、物理法則を無視して一瞬静止し、真下に落ちる茶色の子供。

 いくつも重なった光の壁の向こうに落ちた茶色の子供の姿は、はっきりとは見えなかった。

 けれど、高々と掲げられる勇者の聖剣は、誰の目にもはっきりと確認できて。

 その場にいた討伐隊の騎士や兵が、それぞれに弓を、槍を掲げ、野太い歓声を上げる。

「おおお!」「すごいぞ! あの魔猿をひとりでやっちまった!」「なんか飛んだぞ! 金色のなんか!」「あの結界のデカさ、何だよ!」「いくつ結界を同時展開してんだ?!」「うおおお! 勇者、すげええええ!!」

 興奮と歓喜を抑えきれず、口々に感嘆の言葉を叫ぶ。

「スフェン! スフェン!」

 その歓声の中、ひとつだけ混じる女性の声に、俺はそちらを振り向いた。

「やりましたよ! 勇者様が、やってくださいました!」

 真っすぐ勇者に目をやり、弓を胸元に握り締めながら、シトリが言う。その眼には、涙が浮かんでいる。

「はい。シトリ様。勇者様が、やってくださいました」

 呼びかけられたスフェンは、勇者ではなくシトリを見つめていた。

 眩しいものを見るかのように目を細めて、微笑みながら。

 それが、あんまり優しく見えて。

 いつも真面目腐った顔をしていたスフェンのそんな表情に俺は、意外だなあ、とつい笑ってしまった。

 ふと、スフェンの視線がシトリの横顔越しに俺を捕えた。

 とたん、むっと口元を引き締め、広場の方に目を向けてしまう。

 その横顔の頬が、耳が、みるみる赤くなっていく。

 あれ? もしかして俺は今、スフェンの見られたくないところを見ちゃったのか?

 ――んん?

「『姫様』! すぐに『勇者様』がいらっしゃいますぞ!」

 ジェイドさんが耳打ちをする言葉に、はっとする。

 いけない。今は、「リアナ姫」の演技中だ。

 勇者を手伝うために必要なことの最中だ、気を抜くな。

 こちらに飛ぶように駆けてくる勇者を迎えるために、俺は背筋を伸ばした。

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