第112話 魔女の第五使徒・答え

 魔女の第五使徒の縄張りの端に作られた石畳の広場、そこを見下ろす坂の上で俺達と討伐隊一行は、戦闘準備を整えた。

 大量の槍や矢をここまで運んで来た荷馬車は、荷物を下ろし、俺達の乗って来た馬車や皆が乗って来た馬と一緒に後方に下げられた。

 トスヌサの神官騎士団と同じサーコートを着た騎士団員や、赤いスカーフを首に巻いた領主兵が、弓や短めの槍を手に俺たちの前に並ぶ。

 そろそろ、準備が整って来たかなというところで、俺はジェイドさんに声をかけた。

「『神官長様』、聖杖をどうぞ」

 音の結界が張られていないのでそう言い、聖杖を差し出す。


 この世界の人たちの前では、俺は「リアナ姫」だ。

 本来、王女は武器など持たないし、戦いに参加することもない。

 武器を手に戦場で戦う貴族女性というのが、この世界ではほとんどない。護身術として武術を習うこともあるのだそうだが、あくまでも身を守るためのもの。自ら戦場に出ることは本来ありえない。勇者姫様やシトリは例外だ。

「自分でもできることをあえて人にやらせる」のが権威の証明ということもある。

 これが異世界から来た姫巫女様なら自ら杖を手に参戦してもよいのだろうけれど、こと、王族の姫君が杖という武器をもって参戦するのは、女性が戦場に立つ以上にありえないことなのだそうだ。

 言葉遣いが怪しい俺には、何かのアクシデントがあったときに王女らしい言葉で対応できないかもしれないという問題もある。

 トスヌサの第三使徒の大蛇討伐のとき、勇者姫様がジェイドさんに聖杖を持たせたのはそういう理由だ。

 第四使徒の鉄虎と戦ったときのように人目がない場合はともかく、人目がある場合はジェイドさんに聖杖を預けるのがいいと、俺も納得している。


「姫巫女様のお力、お預かりいたします。青玉の光が陰ったときには、すぐにお返しいたしますゆえ、よろしくお願いいたします」

「はい。もちろんです」

 俺と杖を交換し、ジェイドさんは聖杖を押し戴いてから体の前に立てた。

 ジェイドさんの杖を手に反対側を振り向けば、勇者姫様が左掌に右の人差し指で、くるり、すっすっすっすっ、くるり、すっすっすっすっ、と何かを描いていた。

 第四使徒の鉄虎と戦う前にも、似たようなことをしてたような?

 俺の視線を感じたのか、勇者姫様はこちらを振り向いて屈託ない笑顔を見せた。

「いちいち紋章を描くのも面倒なので、遅延発動の結界の紋章を先に描いてます。重ね書きできるのは同じ紋章の魔術だけなのが、今ひとつ使い勝手が悪いのですけどね」

「『私』は体調が回復しましたけど、『勇者様』は不調はありませんか?」

 俺が言葉を選んでそう聞けば、勇者姫様はにっと不敵な印象の笑顔を作った。

「大丈夫です。いつもよりも調子がいいくらいです。負ける気がしません」

 すごく頼もしい勇者の顔。

 ああ。なんだか、すごくしっくりくる表情だ。

「じゃあ、今夜は祝宴ですね」

「ええ。美味しいものをたくさん食べられるといいですね」

 そんな軽口で笑い合っていると、ドレスに革鎧を装備し、腰に剣を下げ、手に強化の紋章を刻んだ弓を持ったシトリがやってきた。

「『勇者様』、『姫様』、神官長様。準備が整いました」

「こちらも準備できました」

 勇者は左手からスラリと聖剣を抜き放った。

 そんな勇者を見て、続けて俺とジェイドさんに視線を巡らせてから、シトリは優しく微笑んだ。

「皆様、既に答えを得ていらっしゃるようですね」

「わかりますか?」と聞いたのは勇者。

「ええ。お顔を見ればわかります。私の見立ては、外れたことがないのですよ」

 そう言うと、「では」とシトリは勇者の隣で広場の方を向いた。

「討伐隊諸君! これより、第五使徒討伐戦を開始します!」

 左手に持った弓で広場を指し示しながら、シトリは張りのある声で言った。

「討伐隊の我らの役目は、『勇者様の後詰め』という名の『高みの見物』です!」

 シトリの声に、その場にいた騎士や兵がどっと笑う。シトリの側にいたスフェンも苦笑し、その隣の騎士団長も笑う。

「ここにいる者にしか見ることを許されぬ勇者様の魔猿討伐、しかと見届け、死ぬまでの自慢話にしましょうぞ!」

 弓を掲げ、高らかにそう宣言するシトリに、「おう!」と騎士団長とスフェンが即座に応じ、次々、騎士が槍を掲げ、兵が弓を掲げ、声を上げる。

 そして、シトリは勇者に向き直り、弓を持ったまま両手でスカートを摘まんで貴族女性の礼をした。

「それでは、勇者様。ご存分に」と言ってから頭を上げ、勇者ににっこりと笑いかける。

「あっさり終わりすぎて話のネタにならなくても、文句を言わないでくださいよ? ――では」

 そう笑って勇者は歩き出すように一歩足を踏み出し、次の一歩にはもう広場へ向かって駈け出していた。三歩ほどを助走に費やし、下り坂の途中から大きくジャンプする。一度のジャンプで、広場の中ほどにまで到達した。

 相変わらずすごい身体能力だ。

 勇者は着地直後に左掌で地面に触れ、「ペミタ・チッテアー!」と呪文を唱えた。その場に物理防御結界の光のドームが出現する。

 結界の中で聖剣をぶら下げぐるりと周りを見回すと、勇者は広場の右手の林へと目を止め、そちらに体を向けて聖剣を構えた。

 次の瞬間、何かが林から飛び出して来た。



 気が付けば、俺の目の前にガボーグ伯が立っていた。

 いや、ガボーグ伯じゃない。本物のガボーグ伯とは違う、幻のガボーグ伯だ。

『あなたは、本当は何者なのですか?』

 にやにやとあの気持ちの悪い笑みを浮かべ、幻のガボーグ伯は俺に問う。

 俺は、久中勇樹だ。

 スカートが好きでも、弱くても、情けなくても、男らしくなくても、俺は久中勇樹という男だ。

『あなたは、何をしたいのですか?』

 俺は、今するべきことをしたい。

 今、俺のするべきことが勇者を助けることなら、それを俺の全力でしたい。

 あの人のために俺ができることをしたい。

『あなたは、本当は何をしたいのですか?』

 本当は?

『助けたいのは勇者なのですか? それとも――?」

 俺は――

 その答えを言葉にするよりも先に、幻のガボーグ伯の姿が歪んだ。

 歪んで、色を変えながら縮んで、幼稚園児くらいの痩せこけた、茶色の毛で全身がびっしり覆われた子供になった。

 猫の尻尾に似た細めで長い尾が背中から見え隠れしている。茶色の体毛に覆われた顔の中で、異様に大きな白目のない翡翠の目が光っていた。

 その目が細められ、毛むくじゃらの子供は歯を剥いて笑った。緑色の翡翠の歯列の中で、やけに大きな犬歯が光る。

 けれど、その表情からはなぜか敵意を感じなかった。

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