第116話 シトリの勘違い
アレヴァルドの砦の国境側の城壁の内側は、小学校のグラウンドほどの広場になっている。隣国が攻めてくればこの砦が最前線になる。敵を迎え撃つ準備をするために必要なスペースを確保しているのだろう。
今は、広場に杭を立てロープを張り、本来中央を通って街中を下りネイアーレヴに至る道を遮り、試合会場がセッティングされていた。城門を通って行き来する行商人や隊商は、おとなしく広場を迂回して行き来している。
トスヌサでもやけに手際よく試合会場が作られていたけれど、戦技向上のために個人戦や団体戦の試合は娯楽も兼ねてどこの騎士団でも定期的に行っているのだそうで、騎士団もこの街道を利用する人もこういうことに慣れているらしい。
城壁を背に立てられたテントに張られたジェイドさんの結界の中、三つ並べられた椅子に俺はジェイドさんとシトリに挟まれて座っていた。結界のすぐ外では、シトリが用意してくれた絵具の器を手にした勇者姫様が出番待ちをしている。
杭の外側には、騎士団員と領主兵団員だけでなく、兵や館の使用人の家族などの非戦闘員も集まっている。広場の端に立っている騎士団の館の上階の窓からは、アレヴァルド辺境伯関係者様御一行が顔を出している。砦の酒場の酌婦も見物に来ているようで、何とも賑やかだ。
広場の中央には、挑戦者である騎士団員10人と領主兵団員10人、そしてスフェンが整列していて、その前で騎士団長が今回の試合のルールと勝利者への褒美について説明している。
今回は勇者との一騎討ちを望む者が3人いるので、まずは、その3人を除いた18人対勇者の試合をして、その決着がついたら一騎討ちを3連戦。3連戦の最後が、この試合の結果に結婚がかかっているスフェンなのは、スフェン以外の挑戦者20人の総意らしい。ギャラリーの盛り上がりを考えた遊び心なのだろう。
「がんばれ、むっつり坊主!」「男を見せろよ、堅物従者!」「クソガキ、がんばれよー!」
ギャラリーからの声がかかるけれど、スフェンは生真面目そうな表情を崩さない。
「意外と人気者なんですね、スフェンは」
「6歳から砦で暮らしていますからね。古参兵にとっては、弟や息子みたいなものなのです」
俺の隣の椅子で、シトリはそう言って小さくため息をついた。
「もっと早く私に相談してくれていればよかったのに……」
「どういう意味ですか?」
シトリのぼやきが気になって、俺はそう訊ねた。
「あ。いえ……」
無意識にこぼれた言葉だったのかシトリは少し慌てて、それから誤魔化すのを諦めたように口を開いた。
「スフェンのことは父も気に入っていたようでして、もしも、スフェンが貴族としての身分を望んだのなら、バレッティア伯に頼れと遺言をしていたのです」
父というのは先代のアレヴァルト辺境伯だよな? で、バレッティア伯は、隣の領地の伯爵だったはず。
「『アレヴァルト辺境伯の要請であれば、スフェンに限りバレッティア伯は無条件で養子にするという約定を交わしている。必要になったならバレッティア伯を頼れ』と、父は私とふたりだけのときに何度も言っておりました」
シトリの言葉に、俺は心の中で首を傾げた。
スフェンはそれを知らなかったから、無駄なことをしているということか?
アレヴァルトの家の騎士になるよりも、隣の伯爵家の養子になって貴族になる方が、シトリに結婚を申し込むには通りがいいかもしれない。
いや、でも、問題はシトリがスフェンの求婚を「恩返しのためにしていること」と思い込んでることなわけで、スフェンの身分は直接の障害ではなかったはずだ。
この試合を通じてスフェンがしたいことは、「スフェンがどれだけ思い人を愛しているかを、シトリと世間にしらしめること」だから、スフェンがそれを知っていたとしても、やっぱりこの試合は必要になるわけだ。
「無条件で養子にとは、なかなかできる約束ではありませんぞ。相応の謝礼が必要でございましょう。先代伯はよほどスフェンを気に入っておられたのですな」
ジェイドさんが感心したように言った。
「拾ったときから、同じ年頃の子供に比べて落ち着いた所作と思慮深い行動が身についておりましたから、父も興味を持っていたようでして、しばらくそばに置いていたくらいですわ」
そう言ったシトリは、何を思い出したのか面白そうに笑った。
「子供の頃のスフェンは、本当に可愛かったのですよ? 人買いに虐げられていたためでしょうね、最初は酷く脅えて、誰も信用しないと言いたげな目をしていましたが、それでも心根の優しさは言動に出ていました。私が気落ちしたときには、子供なりに言葉を尽くして精一杯慰めてくれました。あの頃から小さな騎士のようでもありましたわ」
眩しそうに目を細め、でも少し眉尻を下げながらシトリはスフェンを目で追う。
「大きくなって、逞しくなって、すっかりひとかどの男のような顔をするようになったとは思っていたのですが、その方のためになりふり構わぬほどに思いを寄せる女性ができていたなんて、まるで気づきませんでしたわ」
ああー。これ、すっかり失恋モードじゃないか?
出会ってからこちら、シトリには何かと気を配ってもらってる。
この男性らしさ、女性らしさを強制する力の強い世界で好きなものを好きと言い切ってここまで来たのだろうシトリには――俺ができなかったことをしてきただろうという意味で、こう、なんというか尊敬みたいな気持ちも感じてる。
それだけに、幸せになって欲しいというか――結婚がこの世界の女性の幸せの形だからというだけじゃなくて、純粋に、シトリの抱えているのだろう気持ちが報われてほしいというか、こんな顔しててほしくないというか。
ああ、「スフェンはシトリのために頑張ろうとしているんですよ」と教えたい!
けど、俺が教えたことで、スフェンの計画が狂うのはマズイから言えない!
淋しそうにスフェンを見つめるシトリの横で、俺は言うに言えない言葉を飲み込みながらニコニコしているしかできなかった。
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