第110話 美味しい話
ノックの主は勇者姫様だった。
「部屋でおとなしくしていると退屈で……。良ければ少し話でもしませんか?」
鎧を脱いだチュニック姿の勇者姫様は、頭を掻きながら言った。はにかむように笑うけれど、顔色が良くない。
「俺も退屈してたんで、話相手ができるのは嬉しいんですけど、具合が悪いんじゃないですか?」
「正直、体が辛いので、気晴らしが欲しいのです」
「そういうことなら……あ、そうだ」
ドアを開け放ったまま勇者姫様を招き入れてから、俺は胸元の浄化の左手お守りをコルセットの上から押さえ、ベッドリネンが綺麗になることをイメージしながら呪文を唱えた。
「ユオーテ」
浄化魔術が発動し、ベッド全体が光る。
「浄化はもう、左手お守りさえあれば、自在に使えるようになりましたね。この短期間に、素晴らしいです」
勇者姫様が褒めてくれる。
「ありがとうございます。――辛かったら、横になって体を休めてもいいですよ。姫様の楽なようにしてください」
俺はテーブルセットの椅子のひとつをテーブルを挟んでベッドの反対側に動かし、それに座った。
勇者姫様は、開けっ放しのドアを振り向き、椅子に座った俺に顔を戻して小首を傾げた。
「ユウキ様は、とても女性の扱いに慣れてらっしゃいますね。当たり前のように、女性に不安を抱かせないような行動を選んでくださる」
「姉ふたりと、妹ひとりに挟まれて育ちましたからね」
「なるほど。では、お言葉に甘えさせてもらいます」
勇者姫様は、ベッドに腰掛け、靴を脱いで横向きに寝転んだ。
背中を丸めてお腹をかばうような姿勢に、本当にお腹が痛いんだと納得する。
「ユウキ様は庶民だとおっしゃってましたね。ご兄弟とは一緒に暮らしていらしたのですか?」
「はい。貴族は、そうじゃないんですか?」
「貴族はまちまちですが、王族は兄弟一緒に暮らすことはまずないです。一人毎に離宮を与えられて暮らします」
姫様は言った。
「3代目国王レオン1世崩御の直後、身重の王妃と、第二夫人、嫡子9人が住む後宮が火事になり全員焼け死んだのです。それ以来、王の嫡子は別々の建物で暮らす慣習ができたのです」
あー。なるほど、危機管理。
「兄弟と暮らすというのは、どのようなものなのですか?」
「賑やかでしたよ。喧嘩も多かったですけど」
「喧嘩ですか? 姉君や妹君と?」
「もちろん口喧嘩です。お客さんがケーキを手土産に持って来たときなんか、壮絶でしたね。誰から好きなケーキを選ぶか、その順番の決め方で大騒ぎですよ」
「ああ。香辛料入りが良いか、無しが良いかは人によりますしね」
ん? なんか話が噛み合ってない気がする。
「この世界でのケーキは、香辛料入りか香辛料無しかの選択しかないのですか?」
「ケーキと言ったら、その2つですね。料理人による味の違いはありますが。ユウキ様の世界では違うのですか?」
「俺の世界では、ものすごくたくさんの種類のケーキがあるんですよ。お客さんは、だいたい人数分別々のケーキを持ってくるので――」
「ケーキにたくさんの種類がある?!」
がばりと勇者姫様がベッドから上半身を起こして、すぐに、顔をしかめて低く唸り、ゆっくりと体を横にして丸まる。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です。――たくさんの種類のケーキとは、どんなものなのですか? どんな味のものがあるのですか?」
「ええと、イチゴと生クリームのケーキとか、ふわふわな食感のシフォンケーキとか、こってりと濃厚なチョコレートケーキとか、チーズケーキとか、カスタードクリームのフルーツタルトとか、栗の乗ったモンブランとか……」
「生のクリーム……しフォん……もんぶらん……聞いたことのない言葉がたくさんです」
うーん。自動翻訳の限界。
「あ、でも、チョコレートは知っています。ずっとずっと西の国の高級菓子ですね。一度だけ王都の商人から国王陛下へ献上されたことがあります。一粒賜り食しましたが、甘くてこってりしていてほろ苦くて……苦いのに美味しい、衝撃的な味でした」
「俺の世界では、庶民の子供でもしょっちゅう食べる、定番のお菓子ですね」
「それはうらやましいです。――チーズケーキとは、どのようなもので、どのような味なのでしょうか? チーズでできたケーキなのですよね?」
「チーズケーキにも色々な種類があるんですけど、俺が好きなのは上に焼き目がついてるスフレチーズケーキです。食べるとしっとりひんやり滑らかで、舌の上に塩気と酸味と甘味とコクが広がって、美味しいです」
「チーズを食べるのとどう違うのでしょうか?」
「チーズをそのまま食べるより、軽くて甘いんですよ。ふわっとした食感です」
「軽くて甘いふわっとした食べ心地のチーズケーキ。食べてみたいですね。――もんぶらんとは、どのようなもので、どんな味なのでしょうか?」
勇者姫様はベッドの上で横向きに丸まったまま、次々とこの世界にはないケーキの味を尋ね、さらには俺の世界の料理の話をねだった。
「――では、あの豚肉の揚げ物にダヤナのソースを使った料理は、ユウキ様ご自身は食べたことがなかったのですね?」
「はい。俺の地元でとんかつ――豚のパン粉揚げとライスを組み合わせる場合は、もっと違う感じになります」
「どのように違うのでしょうか?」
「豚のパン粉揚げとスライスした玉ねぎを、醤油――ダヤナのソースと、出汁――ええと……そう、旨味の濃いスープを出汁と呼ぶんですが、それらを合わせた汁で煮て、溶いた玉子をかけて半熟になるまで加熱して玉子とじにするんです。それを汁ごとライスにかけて食べます」
「ダシという物の味はわかりませんが、生玉子とライスとダヤナのソースの組み合わせがあれだけ美味しいのですから、絶対その料理も美味しいですよね? その上、豚肉も柔らかくて美味しいのですよね? ああ、どれだけ美味しさが増しているのか、想像がつかないです!」
ベッドに横になってお腹をかばうように丸くなっているのに、勇者姫様の声の調子とその目はとても生き生きしている。
「ギョーザなる料理も気になります。中身がひき肉と野菜で、焼いて作るヴェシガタ。小麦粉を練って作った皮で物を包む料理に、蒸し焼きにするという調理法があるとは思っていませんでした。これも絶対に美味しいとわかります」
ヴェシガタというのは、この世界の水餃子らしい。このあいだの歓迎会のデザートで出てきたブルーベリーの水餃子が、ブルーベリーのヴェシガタ。おかず系のバリエーションもあって、潰したじゃがいもを入れたり、カッテージチーズを入れたり、炒めた野菜を入れたりするらしいけれど、肉を入れる習慣はないのだそうだ。
「てんぷら、らーめん、かれー、ぁんばーぐ……ユウキ様の世界にはどれほど多くの美味しいものがあるのでしょうか? こちらから向こうに行く魔法陣がないことが残念過ぎます」
本気で悔しそうに言うのが面白い。
「もしも姫様が俺の世界に来たら、美味しい料理をたくさん食べさせてあげますよ」
「もしもそうなったら、是非お願いしたいです」
枕に頬を付けて俺を見ながら、勇者姫様が真剣な目で言う。
あまりに本気の顔に、笑いたくなるのをこらえながら、俺は「約束します」と言った。
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