第105話 久中勇樹は何者なのか

 今後の方針が決まったところで、夕食まで自由時間ということになった。

 ひとりきりになったところで、俺はいつものように手に持った聖杖ごと全身を浄化した。靴を履いたままベッドに寝転がって、そこで、もうしばらくは外に出ないのだから、ゲートルを外しても良いことに気が付いた。

 靴だけならスニーカーを脱ぎ履きするのと大差ないくらいの手間だ。急に何かがあっても、さっと履けばいいだろう。

 よし、脱いじゃおう。

 俺は、いつもは就寝するときまで外さないゲートルを外し、靴を脱いだ。ついでに靴下も脱いでしまう。

 ああ、開放感!

 この世界に来てから、ベッドで寝るときは朝起きたら靴を履き、夜寝る前に靴を脱ぎ、馬車泊の間は靴も脱がない生活をしていたので、すごい開放感がある。

 体型補正コルセットも、緩めてしまおうか。

 ローブを脱ぎ、チュニックの下でコルセットの前ひもを緩め、俺は深呼吸をした。

 全部脱いでしまいたいけれど、さすがにコルセットを付け直すのは時間がかかる。諦めるしかない。

 ベッドに寝転がり、抱き枕よろしく聖杖を抱いて目を閉じたら、ドッと疲れが押し寄せてきた。

 ああ、風呂に入りたいなあ。

 温泉に入りたい。いや、スーパー銭湯でも、実家の風呂でもいい。なんなら、俺のアパートのユニットバスでもいい。うちの風呂は追い炊きできないけどそれでもいいから、裸になって温かいお湯につかってリラックスしたい。

 この世界の諸々で一番慣れないのは、風呂に入る習慣がないことかもなあ。

 そんなことを考えていた俺は、いつもと違う感覚に目を開けた。

 あれ?

 聖杖に触れているのに、体の中に入ってくる聖霊気の気配がほとんどない。

 なんだろう? いつも心のどこかでつながっている何かが、今は酷く遠い感じがする。

 勇者姫様の体調が悪いからかな?

 ちょっと心配だけど、変に気を使うと逆に負担かもしれないからなあ。

 夕食のときに、それとなく聞いてみようか。

 そんなことを考えながら、俺は再び目を閉じた。




 サラサラの裏地、艶々で滑らかな生地のスカート。

 くるりと回ると裸足の足をくすぐってから綺麗に広がって、止まれば足にまとわりついてから解ける。その感触が気持ちいい。

 一穂いちほ双葉ふたばが、楽しそうに笑う。

 くるりと右に回り、くるりと左に回る、その度に柔らかな生地が波打って、広がって、さえ綺麗に重なって、また広がる。

 それが俺にも楽しかった。

「へんなの!」

 黄色い帽子をかぶってランドセルを背負った、名前も覚えていない誰かが言う。

「おとこはスカートはいちゃいけないんだぞ!」

「スカートはくのはおとこじゃない!」

「おとこのなかまにはいってくんな!」

 同じようにランドセルを背負った誰かと一緒に、ボクを仲間外れにしようとする。

 ちがう。ちがうよ。ボクは……ボクは……

 ボクはおとこだよ。

『心の底では、女になりたいのではないですか?』

 にやにやと笑いながら、クソ野郎が言う。

 違う。俺は男だ。

 女になりたいって思ってるわけじゃない。

『男にこういうことをされたいのではないですか?』

 違う。あのとき、お前に押し倒されたとき、心からぞっとした。怖かった。

『女装したいというのは、そういうことなのではないですか?』

 違う。そういうことじゃない。

『本当は、嬉しかったのではないですか? 女に見られて、女として男の性欲の対象になることができて』

 違う。そうだったら、トスヌサで、あんな気持ちにならなかった。

 神官騎士たちに、あんな目を向けられることに罪悪感を覚えたりしなかった。

『女として扱われることが、嬉しかったのではないですか?』

 それはその通りだけど違う。

 女として扱われることだから嬉しいんじゃない。

 自分の仕掛けたいたずらが成功したことが嬉しいみたいなもんだ。

 もし、姫様のふりじゃなく、ジェイドさんのふりをしろと言われて、老人扱いをされたら、きっと同じように嬉しかった。

『嫌だったのは、乱暴にされたことや、相手が私だったことだったのではないですか?』

 暴力を振るわれたのは嫌だったし、お前の顔が間近に迫ってたのにゾッとしたのも確かだよ!

『別の男に、もっと優しくされたら、嫌ではなかったのではないですか?』

 でも、どんなイケメンだって、優しくされたって、男に押し倒されたくはない!

『そうされたいから、こんな格好をしているのではないですか?』

 そういうことじゃない。

 そういうことじゃないんだ。


 ひらひらした服が好きだ。

 動くたびにひるがえる生地の感触が好きだ。

 たっぷりした生地の服が好きだ。

 姫巫女装束は、ローブが好きだ。ローブを脱ぐと、すごく残念な気分になる。

 正直、スカートじゃなかったのが残念だ。まあ、旅装束なんだからしょうがない。

 自分が着たい服を着たときに、不自然じゃない姿でありたい。不自然じゃない立ち居振る舞いをしたい。

 バイトして金を貯めたら、今度はすね毛を脱毛したい。色白の足に貧相なすね毛って、みっともないと思うし。水泳部では水の抵抗を少しでも減らすために処理してたから、自分で自分のすね毛に慣れてないし。

 けれど、女になりたいわけじゃない。女扱いされたいわけじゃない。

 それは、実際に「リアナ姫」として扱われてわかった。

 クソ野郎のような性欲にぎらつくような目でなくても。トスヌサの騎士たちの、俺を「女性」として見る熱のこもった目は、俺には「困った」ものだった。そう見られたくないという気持ちを呼び起こした。

 俺は、男だ。

 どこまで行っても、男だ。

 女になりたいわけじゃない。


『あなたは、本当は何者なのですか?』

 俺は、久中勇樹という男だ。

 女の格好をしているけれど。

 この世界の男のように、男らしく戦えないけど。

 巨牛の使徒に腰を抜かすくらい情けないけど。

 クソ野郎に殴られて抵抗する心が折れるくらい弱いけど。

 勇者に守られてばかりだけど。

 それでも男だ。

 女になりたいわけじゃない。

 誰に認められなくても、それは変わらない。

『あなたは、何をしたいのですか?』

 何を?

 俺は――

 俺は、何をしたいんだろう?――

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