第103話 この世界の事情と俺の事情
離れの二階、俺に割り当てられた部屋に入ったところで、勇者姫様は俺を下ろして聖杖を渡してくれた。
それから、テーブルに右手の人差し指で正方形とそれに外接する円の結界魔術の紋章を描き、呪文を唱える。
「ウク、チッテアー」
音の結界――おそらく、一方通行の
それから、顔を覆った手を上に動かし、前髪をかきあげた。手の下から出てきたのは、珍しく頬を赤らめた勇者姫様の顔。
「その……ユウキ様の世界では、男性も女性の……その……生理について知っているのが、普通なのでしょうか?」
言いづらそうに、俺の方は向きながらも顔に目を向けずに勇者姫様はそんなことを聞いてきた。
この男尊女卑の世界で、男性が女性の体についてどれほど知っているのが普通なのかはわからない。
俺の世界だって、他の男がどれくらいの知識を持ってるかは知らない。
俺はただ、俺が小5のときに聞きかじった知識で4つ上の姉をからかって母さんにがっつり叱られたり、俺が小6のときに家族の留守中に初潮を迎えて泣き出してしまった小4の妹の為に母さんに電話してどうしたら良いかを聞いてやったり、その後で母さんから「家族の体に起きることだから、あんたもちゃんとした知識を持ちなさい」といくつかのWebページをプリントアウトしたものを渡されてそれを読んだりしただけだ。
あ、高2のときの担任がちょっと変わった先生で、ロングホームルームの時間に被爆者へのインタビュー映画や、詐欺やデート商法の啓発動画とかを見せられることがあって、妊娠・出産のドキュメンタリー映画も見せられたりしたな。まあ、これはイレギュラーだろう。
あとは、親父から「知ってても、気付いても、女の方から何か言って来ないなら気付かないふりをしながら、こっそりフォローしてやるのが男の思いやりってもんだ」と言われたりもした。今回は、こっそりできなかったわけだけど。
ともかく、こういうことに関してはちょっと普通でない可能性は自覚している。
けれど――
「はい。年頃になるまでに、一通りのことは教えられます。この世界では違うんですか?」
俺はあえて嘘を吐いた。
多分、「異世界では当然の常識」ということにした方が、勇者姫様にとっては気楽だろう。
「この世界では、男性はそういうことを具体的には知らないものです。貴婦人には、『月の障り』という『家から出ずに大人しくしていなければならない日』が、ひと月に数日ほどある――くらいしか知らないでしょう」
「そうなんですね。……俺、余計なことをしましたか?」
「いえ! とても助かりました!」
勇者姫様は、俺の顔に目を向け、言った。
「その……私はとても不順な体質でして、いつ来るか分からなくて……いつもは、来たところですぐに対処するのですが、第五使徒を見て自分を見失っている間のことだったので……意識を取り戻してすぐ、他のことに気を取られてしまいましたし……だから、その……汚してしまったことに気づかなくて……」
一度合った目を伏せながら、言い訳をするように勇者姫様は小さな声で続ける。
「すみません……男性のユウキ様に、こんな形で気を使わせることになるとは……」
「気にしませんよ。役に立てたなら良かったです」
俺が言えば、勇者姫様はほっとしたように肩の力を抜いた。
「あのままでは、『怪我をしたのか』と騒ぎになって、そばにいた兵たちに疑念を抱かれたかもしれません。ユウキ様の機転のおかげで助かりました。改めてお礼申し上げます。ありがとうございます」
勇者姫様はそう言うと、少しぎこちない笑顔を見せた。
まあ、この世界の常識が今聞いたようなものだったら、感謝はしても微妙な気持ちになるのは当然だろう。
「どういたしまして」
笑顔を作り、できるだけ明るく軽い感じで、俺は言った。
きっと、軽く流した方が、勇者姫様も気が楽だろうから。
そんな話が終わってしばらくしたところで、ジェイドさんがシトリを連れて離れの二階に戻ってきた。
改めてジェイドさんが物理防御結界と一方通行の音の結界を二階全体に張り直す。
「荷馬車は丸ごとすべての汚れを落とす浄化をいたしました。黒鉄の馬はお二人の命令がない状態で他の者が近づくと噛みついてきますゆえ、荷馬車が外せませなんだ。やむなく、荷馬車と我々の馬車両方に物理防御結界を張っておきました」
「良い判断だ。苦労をかけるな、ジェイド」
「なんのこれしき」
「姫様。僭越とは思いましたが、こちらを持ってまいりましたわ」
シトリが弁当箱くらいのサイズの風呂敷包みを差し出す。
それを受け取った勇者姫様は、中に入っていた生成りの布を確認してほっとしたような顔になった。
「ああ。馬車に取りに行かねばと思っていたところでした」
「元々、姫巫女様のもしものときのために用意したものですから、どうぞご遠慮なく」
「助かります。さすがシトリですね。では、ちょっと失礼」
そう言って勇者姫様は、ひとり俺の部屋から出て行った。
「ユウキ様」
ドアが閉まったとたん、ジェイドさんが俺を呼んだ。
「ユウキ様も姫様も、怪我をしたわけではないのですな?」
クッションに着いた血に気付いたのかな?
「はい。怪我をしたわけではありません。その点は心配ありません」
「ならばよかった」
ジェイドさんは安堵の息を吐いた。
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