第102話 魔女の第五使徒・問い

 ガボーグ伯は、にやにやと笑いながら俺の両手を掴んだ。

 物凄い力で俺をベッドに押し倒し、頭の上に両手を左手一本で縫い留める。――あのときのように。

『よくも騙してくれましたな』

『まさか、あなたが本物のリアナ姫ではないとは……』

『これでは、あなたをモノにしても、私の目的は叶わぬではないですか』

 手を離せ!

 そうだ、俺に何をしても、お前はどうにもならないんだから、離せ!

『いいえ、離しませんぞ』

『神の聖なる力を伝える姫巫女様は、やはりこの白いローブ姿がたまらんですな。清らかな白い頭巾も汚し甲斐がある』

 離せ! 俺は男だぞ! 女じゃないぞ!

『――本当に?』

 ガボーグ伯は紅潮した頬でいやらしく笑いながら言った。

『あなたは本当に、自分は男だと断言できるのですか?』

『本当は、嬉しかったのではないですか? 女に見られて、女として男の性欲の対象になることができて』

『女として扱われることが、嬉しかったのではないですか?』

『嫌だったのは、乱暴にされたことや、相手が私だったことだったのではないですか?』

『別の男に、もっと優しくされたら、嫌ではなかったのではないですか?』

『そうされたいから、こんな格好をしているのではないですか?』

 違う。違う! 男にそういう対象にされたいなんて、考えたことなんかない!

『男は、スカートを着ない』

『男は、膝を揃えて座らない』

『男は、女物の服を着ない』

 それは、頼まれたからだ! 俺の意思でやってるわけじゃ……

『男は、自分のために女物の服を買わない』

 俺は反論に詰まった。


 通販で買った、グレーの長袖マキシ丈ワンピース。

 この世界に来る直前に宅配で受け取って、ベッドの上に放り出したままの通販の袋の中身。

 オープンカラー、身頃は高めのウエストをダーツで絞って、ダーツから広がるように作られたボックスプリーツのスカートは適度にボリュームがある。

 上半身はすっきりとマニッシュで、背が高くても、胸がなくても似合いそうなやつ。

 見た途端、カッコイイと思った、これを着こなしてみたいと思った、自分で買った婦人服。


『あなたは本当に、男なのですか?』

『心の底では、女になりたいのではないですか?』

『男にこういうことをされたいのではないですか?』

『女装したいというのは、そういうことなのではないですか?』

 ガボーグ伯がにやにや笑う口でそう言う。

 違う。違う。

 そんなこと思ってない。

『ではなぜ、男なのにあんな服を買ったのですか?』

『へんなの!』

 ガボーグ伯のものではないぷっくりと子供っぽい小さな口が、怒ったように言う。

『おとこはスカートはいちゃいけないんだぞ!』

『スカートはくのはおとこじゃない!』

『おとこのなかまにはいってくんな!』

 ちがう。ちがうよ。ボクは……ボクは……

『あなたは、本当は何者なのですか?』

『あなたは、何をしたいのですか?』

 俺は……俺のしたいことは…………



 ガタン、と大きな振動が体を揺らし、俺は我に返った。

 速足で走る黒鉄の馬が引く改造馬車は、ゆるい下り坂を進んでいる。

 となりを見れば、勇者姫様がうつむいていた。頭の揺れ方が意識がない感じだ。

「気が付かれましたか」

 顔を上げると、向かいの席に座ったジェイドさんが少し疲れた顔をしていた。

「大丈夫ですかな?」

「身体に問題はありません。――気分は最悪ですが」

 俺が言えば、ジェイドさんは苦笑した。

「皆さん、ご無事ですか?」

 スフェンの声に振り向けば、馬車の後ろから馬でついてきていたらしいスフェンの心配そうな顔と目が合った。

「『勇者殿』の意識はまだ戻らぬが、『姫巫女様』はご無事だ。わたくしも問題ない。第五使徒は?」

「縄張りを出るまで数度私に襲い掛かってきましたが、攻撃をいなしながら逃げましたら、縄張りを出たところで去っていきました」

 第五使徒は初戦に臨んだ者は襲わないんだっけ。

「魔猿は縄張りの外には決して出ません。追いすがられることはありませんので、ご安心ください」

「承知した」

 ジェイドさんはスフェンにそう言うと、自前の杖を膝に置き、深くため息をついた。

 ああ。ため息をつきたくなる気持ちはわかる。


 心のどこかで、俺は、もしかしたら第五使徒はガボーグ伯に見えるかもしれないと予想していたのかもしれない。

 あんな風に、自分の存在を脅かされたのは初めてだったから。

 できるだけ思い出さないようにしていたけれど、それでもあのことは自分にとってショッキングな出来事で。

 だから、ただガボーグ伯が出てきただけなら、当然だと思えただろう。まだマシだっただろう。こんな気分にはならなかっただろう。

 けれど、アレは――ガボーグ伯の姿をしたあれの中身は、ガボーグ伯なんかじゃなかった。


「痛いところを突いてくるわい……」

 俺の感じていることを代弁するかのようなジェイドさんのつぶやきが耳に入る。

 俺は膝の上に置いた聖杖を握り締めた。

 聖霊気が体をめぐるのを感じる。

 いつもと同じその感覚に、俺は少しだけほっとした。



 砦が近づいてきたところで、俺はシトリからもらった金属鏡をポーチから出して頭巾から髪がはみ出ていないかをチェックした。

 金属鏡に映った自分の表情が冴えな過ぎて男らしさ丸出しで、俺は少し笑ってしまった。眉間に寄ったしわ、寄せられて目に近づいた眉、下がった口角。それらは、壮年の男性ほどにがっしりと発達してはいないけれど、素では男に見える俺の顔の骨格と組み合わされると、あまりに男性らしく見えた。

 これが、本当の俺だよな、と少しほっとして、でも、「リアナ姫」を演じるにはこの表情はダメだよな、とも思って。

 ネットで女性らしい表情について調べたときに読んだ記事を思い出しながら、俺は金属鏡に向かって一度笑顔を作った。

 眉間を緩め、眉毛を上げ、口角を意識して上げる。

 一度笑ってから表情筋の力を抜くと、笑っていなくてもさっきよりも女性らしい表情になった。

 うん。「リアナ姫」っぽい表情になった。

 俺はそう納得して、金属鏡をしまった。

 砦の城壁の前には堀が作られ、石橋がかけられている。

 石橋の手前、出発時に黒鉄の馬に命令を与えた場所に戻ったところで、黒鉄の馬が足を止めた。

 ほぼ同時に、隣に座っていた勇者姫様がハッと大きく息を吸いながら顔を上げた。そのまま、あえぐような呼吸を繰り返しながら、背伸びをするように周りを見回す。

「大丈夫ですか?」

 俺が声をかけると、勇者姫様はものすごい勢いでこちらを振り向いた。

 目が合ったとたん、勇者姫様はくしゃりと顔をゆがめた。目尻を下げ、口元に力が入った、何かを我慢するような顔。そんな表情なのに血の気が引いている肌が、具合が悪そうに見える。

「――大丈夫です」

 俺から顔を逸らしながら言うけれど、全然大丈夫そうに見えない。

「『姫様』も『ジェイドさん』も、無事ですね」

 勇者姫様が俺を「姫様」と呼び、普段呼び捨てのジェイドさんに敬称をつけて呼ぶのは、演技を忘れるなというサインだ。

 砦の城壁の上には、何人かの神官騎士や領主兵団の兵士がこちらを見ている。もう気を抜けない状況なのだ。

「はい。『勇者様』」と俺が返事をすれば、勇者姫様は振り向いて綺麗に笑った。

 いつもよりも血色の悪い、でも、完璧で綺麗な、作られた笑顔。

「では、砦に戻りましょう。黒鉄の馬! 今朝いた場所に歩いて戻れ!」

 勇者姫様の命令に、黒鉄の馬は嬉しそうに鼻を鳴らして歩き始めた。

 宿にしている離れの玄関前、置いていった俺たちの馬車の横には、勇者一行帰還の知らせを受けたらしいシトリが何人かの兵士たちを連れて待っていた。

「おかえりなさいませ、勇者様、姫様、神官長様。御無事で何よりでございます」

 黒鉄の馬が足を止めると、シトリはさっと荷馬車の後部に回り、手ずから柵を開けてくれた。

「出迎えありがとうございます」と明るい声で言いながら、勇者姫様は立ち上がった。

 その後ろ姿に、俺は違和感を覚えた。

 勇者姫様の鎧は、機動性重視だ。心臓を守る胸当てと胴体を守る革鎧、前腕を守るアームガード、脛から下を守るレッグガードの構成で、肩・肘・尻・膝、という大きく動く部分は防御よりも可動性を優先して防具を着けていない。

 後ろから見ると、鎧の下に着たチュニックの裾が勇者姫様のあまり女性らしさを感じさせないヒップを覆っている。その下から除くトラウザーズの尻の下の方に、5センチ大ほどの黒い染みがついていた。


 これで「もしかして」と気づいたのは、俺が姉二人、妹一人に挟まれて育ったせいだろう。

 勇者姫様が座っていた場所に目を走らせ、クッションに赤黒い染みがついていることを確認する。

 どうする?

 を男の俺からフォローされるのは、女性にとっては嫌なことだろう。

 シトリにこっそり伝えてフォローしてもらうか?

 でも、その間に周囲の兵士たちに気付かれて、「勇者」に対する疑念を抱かれたら?

 あー。迷ってる時間ない!

 姫様、ごめん!


 俺は、聖杖を手放しながら立ち上がり、左手で胸元の浄化の左手お守りを服の上から握った。

「あっ!」と驚いたように声を上げ、よろけたふりをしながら勇者姫様の背中に右手で抱きつき、勇者姫様のトラウザーズのお尻のあたりだけを浄化するテグルオー効果のイメージを思い描きながら、小さな声で浄化の呪文を唱える。

「ユオーテ……!」

 浄化の魔術が発動して、抱き着いた俺の体の陰で勇者姫様のトラウザーズが光る。

 クッションは範囲外だけれど、そこは何とか誤魔化せるだろう。

「『リアナ姫様』?」

 ことん、からからん、と荷馬車の床に転がる聖杖の音が響く中、勇者姫様が戸惑いの声を上げながら振り向く。

「すみません、めまいがして……。『女性は、月に一度具合が悪くなるのです』。すぐに部屋に連れて行ってくれますか?『勇者様』」

 俺が現状を伝えようと必死に考えた言葉に、勇者姫様は大きく目を見開いた。

 さっと視線を動かして、おそらく自身の座っていたクッションの状態を確認した勇者姫様は、すぐさましゃがんで聖杖を取り上げ、そのまま俺を横抱きに抱き上げた。

「『ジェイドさん』、お借りしたこの馬車は『小物も含め全てを綺麗に浄化して』お返ししてください。オレは『姫様』を部屋にお連れします。

 シトリ。そういうわけですので、後を頼みます」

 聖杖を片手に、一応、成人男性の俺を軽々とお姫様抱っこしながらそう言い、勇者姫様は荷馬車を降り、早足で離れの玄関に向かったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る