第101話 魔女の第五使徒・遭遇

 カッカッカッカッと石畳を蹴る蹄鉄付きの蹄の音と、ガッガッガッガッともう少し重い音の黒鉄の馬の蹄の音、ガラガラガラガラと荷車の車輪が石畳を走る音が一緒に聞こえてくる。

 国境のレソ峠へ至る街道の緩やかな坂を、俺たちは魔女の第五使徒の縄張りを目指し進んでいた。

 この辺りは大軍の侵入経路を限定するため、山を覆う木々を薪や炭にする目的で伐採することが禁じられているそうで、街道の両側には針葉樹や広葉樹の混ざった森が広がっている。

 先導するのは馬に乗ったスフェン。勇者一行以外に同行しているのはスフェンひとりだ。

 今回の目的は、第五使徒と初邂逅を果たし、迅速に砦に戻ること。小回りが利くように、最少人数での初戦挑戦になったわけだ。

 馬の速度は速足、人間が走って追いつけるか追いつけないかくらいの速度で、普段のポクポク歩いて進むより倍くらい速いらしい。

 第四使徒の縄張りまでいつもの馬車で駆足で走ったときよりも、揺れはかなりマシだ。

 シトリが揺れ対策も考えて、貴族用のサスペンション付きの馬車のベースに箱型の荷台を取り付けた特別な荷馬車を用意してくれたおかげだ。

 その荷馬車は、乗っている人間の意識がなくなっても落ちないように粗い格子状の柵で荷台が囲われている。荷台に立ったら顔が出る高さで、上に蓋がされていないから、ギリギリ「檻」に見えない。

 綺麗に浄化された荷台には両側の側板に沿って低いベンチが向かい合わせに設えられていて、いくつものクッションが置かれていた。王族である「リアナ姫」を床に座らせないように、硬い木の椅子でお尻が痛くならないように、という配慮なのだろう。

 中身は羊毛だろうか? しっかり弾力があるタイプのクッションを用意してくれたシトリに、俺は感謝した。

 ここまでガタゴト揺れる木の椅子に座って来て、今のところ尻は痛くない。ありがたい。

 普段使っている馬車と違って周囲が良く見えるせいか、馬車酔いもこれだけ揺れている割にマシな気がする。


 今朝、宿にしているアレヴァルトの館の離れで、起きたときにはもう1階の食堂に用意されていた朝食をシトリと食べていたとき、アレヴァルト駐屯騎士団の斥候が魔女の第五使徒の出現を確認したという一報が入った。

 双玉光る国と硬き銀鋼の国の国境の峠道は、毎月の12日から16日、27日から翌月1日まで、それぞれの国の側に建てられた砦によって封鎖される。

 魔女の第五使徒は討伐されてから復活するまで最低11日はかかるため、討伐後10日間の安全に通過できる期間以外は、第五使徒の縄張りに一般人が入れないようにしているのだ。

 峠道が封鎖されてから第五使徒討伐の日までは、第五使徒の縄張りの端に戦場として整備した広場までの道に異常がないかを、定期的に「既に答えを得た者」で編成された斥候を出して確認しているのだそうで、早朝巡回に出た斥候が第五使徒の出現を確認したのだ。


 ふと、前を進むスフェンの馬がスピードを緩め、止まった。

 スフェンの馬について行けと命令されている黒鉄の馬も止まる。

「そろそろ、魔猿の縄張りが近くなってきました。昼にはまだ早いですが、ここで軽く食べておくことをお勧めします。初戦に臨んだ者は、大概、しばらくものを食べられなくなりますから」

 振り向いたスフェンが言う。

「はい。少し待っててください、スフェン」

 勇者姫様はそう返事をすると、「休め」と黒鉄の馬に命令してから、シトリが持たせてくれたバスケットを取り出した。

 中身は、シンプルな丸い白パン。

 シトリは当然、サンドイッチなどの携行食を知っているだろう。それでもあえてこれを持たせたということは、消化の良いものだけを食べておいた方が良いという判断なのだろう。その証拠に、量も控えめだ。

 勇者姫様が渡してくれるパンを受け取り、練習を兼ねて自分で浄化をする。

 毛織物のローブの上から胸元を押さえると、手の下に硬くて丸い左手お守りの感触。

 ここにいつも使っていた浄化の左手お守りがあるんだと思いながら強く押さえつけると、それに気が集まる感覚が生まれる。

 自分の体と手に持つパンをまとめて浄化するテグルオー効果のイメージを思い描きながら、「ユオーテ」と呪文を唱えれば、ぱあっと俺の全身とパンが光り、さっぱりする。

「すっかり、浄化の左手お守りを使いこなしてらっしゃいますな」

 勇者姫様からパンを受けとりながら、ジェイドさんが言う。

「魔術の姫巫女様と呼ぶのがふさわしいほどです。素晴らしいです、ユウキ様」

 勇者姫様が、綺麗な笑顔で言う。

 うーん。この笑顔、なんか違うんだよなあ。

 ずっと、綺麗だ、女性らしい、と思ってた笑顔だけど、改めて見ると、これは勇者姫様の本当の笑顔じゃない感じがする。

 勇者姫様の本当の笑顔は、なんていうか、もっと可愛いくて、愛嬌があって、素直で、自然さがある。

 完璧で綺麗で女性らしいこの笑顔は、違う感じがする。あまりにも、完璧に綺麗で女性らしすぎるんだ。

 ふと、勇者姫様が小首を傾げた。

「どうかしましたか?」

 あ。見つめ過ぎたか。

 でも、「姫様の笑顔が嘘くさいと思っていました」とは言えないよなあ。

 えーと――

「――これから第五使徒との初戦なのに、姫様は、ずいぶん落ち着いているなあって思ってました」

「ああ、そうですね」

 勇者姫様は、目を伏せた。

「第五使徒が『その人間にとって恐ろしいモノ』に見えるのなら、私が見るモノの予測はつきますから」

 少し自嘲するようなニュアンスのある微笑みは、さっきまでの綺麗な笑顔よりもよほど本当の表情に見えた。



 食べ過ぎにならない量の食事を済ませ、俺達はいよいよ魔女の第五使徒の縄張りに向かった。

 カッツカッツカッツカッツと石畳を踏んで進むスフェンの馬の蹄の音と、ガッツガッツガッツガッツと黒鉄の馬の蹄の音、ゴトゴトゴトゴトと荷車の車輪が石畳を進む音が、一緒になって聞こえてくる。

 峠道と言っても、アップダウンはある。

 ひとつの坂道を登り切ってたところで、前方が開けた。

 少し下った道の先に、第四使徒と戦ったのと似たような石畳敷きの広場があるのが見える。使徒と戦いやすくするために、整備された広場なのだろう。

「この坂の終わりあたりからが、魔猿の縄張りです」

 スフェンが言った。

 ここから先は荷馬車を方向転換させやすいようにゆっくり前進する。勢いがついていると方向転換する転回半径が大きくなってしまうからだそうだ。

「皆さん?」

「大丈夫です」「はい」「問題ない」

 声をかけてくるスフェンに、俺たちは口々に返事を返す。

 第五使徒と初めて遭遇した人間は、まず何を言われても耳に入らず目の前で手を振られても目に入らない、応答ができない状態になるから、返事が返ってこなくなったら第五使徒と接触したことが分かるんだそうだ。

 第五使徒は道の両側の林の中に潜んで接近して来るので、先頭を進んでいる人間が最初に気付くとは限らない。

 スフェンが気付かないうちに俺たちが第五使徒と接触した場合に速やかに撤退できるよう、スフェンの声掛けに全員の返事が聞こえなくなったら、スフェン自身が第五使徒を視認していなくてもすぐさま黒鉄の馬に「逃げろ」と声をかけることになっている。


 黒鉄の馬は俺と勇者姫様以外の命令には従わない。

 けれど、「前の馬について荷馬車を引いて進め。『逃げろ』と声が聞こえたら、砦前の広場まで荷馬車を引いて戻れ」という勇者姫様の命令には従う。

 この命令の仕方とスフェンの「逃げろ」の声で想定通りに黒鉄の馬が動くことは、砦に到着した日に実際に試して確かめたのだそうだ。


「皆さん?」

「大丈夫です」「はい」「問題ない」

 スフェンの問いかけに、同じ返事を繰り返しながら、俺たちは広場に向かう坂を下りて行った。

 そろそろ広場が近づいて坂が緩やかになった頃だ。

「皆さん?」

「大丈夫です」「問題ない」

 勇者姫様の返事がない。

 思わず振り向けば、勇者姫様は坂道の左側に顔を向けて口元に力を入れていた。どこかの何かを見ている目、青ざめた肌、食いしばった口元。初めて見る勇者姫様のそんな表情には生気が感じられなくて、俺はぞっとした。

 勇者姫様が見ている方向に目をやっても、そこにはただ林があるだけだ。

「皆さん」

「大丈夫です」

 今度はジェイドさんの返事がない。見れば、ジェイドさんは正面に顔を向けて顔のしわがさらに深くなるような、眉をしかめ鼻にしわを寄せ口角を下げた顔をしていた。

 ジェイドさんの目線を追って馬車の進行方向に目を向けたら、石畳の広場の真ん中に人がいた。

 本来なら、表情など見えないくらい遠いはずなのに、俺にはそいつの表情が良く見えた。

 二重顎とパンパンに張った頬。にやにやと気持ち悪い笑顔。

 思い出したくもない笑顔。

 そこにいたのは、ガボーグ伯だった。

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