第100話 勇者姫様の異変

 勇者姫様は、たくさんの菓子が載ったテーブルを挟んでソファーの子供たちの方を向いて立つと、胸の高さに左掌を差し出した。

 何も持っていないその手を一度握り、ぱっと手を開くとその掌の真ん中から黄色の宝玉がきらめく剣の柄が飛び出していた。いきなり出現するあたり、手品のようだ。

 驚きの声が聞こえる中、勇者姫様は逆手に柄を握り、ゆっくりと左掌から聖剣を引き出した。

 両手持ちができる長さの柄が引き出されると、左掌の上にわずかに光をまとう金色の魔法陣が広がって、その魔法陣から剣の鍔が出てくる。

 鍔が出現しきると、しゅるっと魔法陣が縮小した。よく見ると剣の本体が出てくる左掌にうっすら魔法陣が見える。

 今まで、さっと出してさっとしまっているところしか見ていなかったから、掌より大きな鍔がどうやって左手から出入りするのかわかっていなかったけど、なるほど、実際には左掌上に展開する魔法陣から出し入れする仕組みなわけだ。

 ずるうりと勇者姫様は逆手で左掌から聖剣を引き出す。

 刃の幅は指の幅3~4本分、刃渡りは勇者姫様の腕の長さくらい。

 こんな長い剣が手の中に物理的に入るわけがない。異空間とかにしまわれているって感じなんだろうか?

「ふたつの条件を、覚えていますか?」

 勇者姫様が言うのに、モナとエマツォークがうなずく。

「――近寄っても良いですよ」

 ふたりは座ってたソファーから降りると、ゆっくり歩いて勇者姫様の左側に回り込んだ。

 勇者姫様は、ふたりに柄の方を向けて聖剣を差し出した。

「わあーっ!」

「黄玉が内側から光ってるわ!」

「姫巫女様の力が、黄玉に宿って光っているのです。――柄になら、触っても良いですよ?」

「いいのですか?!」

「持ってもいいかしら?!」

「触るのは良いですが、持つことはできませんよ。聖剣は、オレ以外が柄を握ると、怒って重くなるんです」

 初耳だけど?!

「怒るのですか? 聖剣が?」

 エマツォークが目を丸くする。

「ええ」と笑顔で言うと、勇者姫様はふたりの方に柄を向けたまま、聖剣を絨毯の上に置いた。

「持ち上げられるか、やってみますか? エマツォーク殿」

「はい!」と元気な返事をして、エマツォークがしゃがみ込み、聖剣の柄を両手で握る。

 唸りながら顔を真っ赤にして持ち上げようとするけれど、柄頭が10センチくらい浮いただけで、それ以上は持ち上がらない。

 交代してモナが持ち上げようとするけれど、これも同じくらいしか持ち上がらない。

「『勇者様』、私も試してみてよろしいでしょうか?」

 シトリが俺の隣から立ち上がって言う。

「ええ。もちろんですよ、どうぞ」

 にこやかに勇者姫様が言うけれど、何だろう少し違和感がある。シトリに対しての距離感がこれまでと違うような……

 いや、でも、今は「兄弟弟子のリアナ姫」ではなく「勇者様」として接しているんだから、これでいいのか?

 シトリは腰を落として聖剣の柄を両手で握った。持ち上げようとするけれど、やはり柄頭の黄玉が20センチくらい浮いたところで、シトリは諦めて聖剣を絨毯の上に戻した。

「頑張れば持ち上げられそうですが、これ以上持ち上げたらふらついて危険なことになりそうです……この大きさの剣にありえない重さですね」

 俺は、召喚された直後に渡された聖剣の重さを思い出した。

 男の俺がやっと持てるくらいの重さで、びっくりしたっけ。

「オレが召喚されるまでは『リアナ姫様』も聖剣を使えたそうですが……オレが聖剣に触れてからは『人見知り』になってしまったのかもしれませんね」

 勇者姫様は聖剣を逆手でひょいと取り上げた。切っ先を下に向け、子供たちに剣身の平らな面が向くように持つ。

「では、聖剣をしまう前に、もうひとつ、綺麗なものをお見せしましょう」

 勇者姫様は俺に目を向けた。

「『姫様』、聖杖を握ってもらえますか?」

 俺が聖杖を握って見られる綺麗なもの? ――ああ、あれか。

「いいわよ」と返事をして、俺は椅子の手すりの内側に立てかけていた聖杖を取り上げ、膝の横に立てて握った。

 聖霊気がざっと体の中に流れ込み、膨れ上がり、聖杖に吸い上げられる。

 青玉がミラーボールのように四方八方に青い光を放ち、それに呼応するように勇者姫様が逆手に握る聖剣の柄で黄玉が金色の光を放つ。

「わああああ!」

「綺麗ー!」

 エマツォークとモナの声。他の女性陣の歓声も重なる。

 うん。綺麗だよな。

 予想通りの反応に緩む口元を、せめてお姫様らしい上品な微笑にコントロールしながら、俺はこの光のショーを一緒に実現している勇者姫様へと目を向けた。

 きっと盛り上がっている皆に満足の笑顔になっているだろうと思いながら。

 ――勇者姫様には、表情がなかった。

 金色の光に下から照らされていたのは、人形ように無機質で美しい、でも何を考えているのかわからない無表情。

 今まで見たことのない顔。

 俺の視線を感じたか、勇者姫様が顔を上げ、俺の方を見た。

 目が合ったときには、いつもの勇者姫様の笑顔だった。



「女だけの一席」がお開きになったところで、まだまだだらだらと飲んで話してが続いている宴席のジェイドさんと合流し、一緒に宿として提供された離れに戻る。

 一旦、ジェイドさんの部屋に三人で集まり、第五使徒との初戦の手順を確認する。

 打ち合わせを終えて、勇者姫様と一緒にジェイドさんの部屋を出たところで、俺は勇者姫様に相談したいことあったのを思い出した。

「姫様、ちょっといいですか?」と自身の部屋へと向かう勇者姫様の背中に声をかけると、「はい、なんですか?」とにこやかに勇者姫様は振り向いた。

「浄化の左手お守りを、いちいちポーチから選んで出すのが面倒なんですが、何か良い持ち方とかありませんか?」

「ああ、皆同じことを考えますね」

 勇者姫様は笑った。

「左手お守りで練習をしている子供は、紐で首から下げて、服の下に隠していたりしますよ。魔術的な力は布を透過するので、服の上から握って使うことができるんです。その際、テグルオーと共にそこに握っている左手お守りの形を意識するのがコツです」

 なるほど。

「さっき、シトリからもらった金属鏡に革紐がついていましたよね? とりあえず、あれを流用しましょう。金属鏡も首から下げたいですか?」

「いいえ。鏡はポーチに入れて持ち運ぶので大丈夫です」

 左手お守りと違って似た形の物がないから、簡単に手探りでポーチから出せるだろう。

「では、金属鏡と浄化の左手お守りを貸してください」

 勇者姫様は廊下に立ったまま、ささっと金属鏡の革紐の結び目をほどいて外した。浄化の左手お守りの透かし彫りの隙間に紐を通す。

「姫様」

「なんですか?」

「疲れていませんか?」

「少し……。ですが、この先、隣国領のネズラルグという地で第六使徒を倒したあとで、しばらく休養します。あそこには、聖霊気を回復する効果がある保養施設があります。残りの使徒との後半戦に向け、勇者の聖霊気と姫巫女様の体調が完全に回復するまで休養するのが慣例なのですよ」

 そんなご褒美があるの?!

「保養施設ですか? どんな?」

「それは、実際に行ってのお楽しみです。――はい、頭を下げてください」

 透かし彫りの細工に紐の両端を通して軽くひと結びした紐を両手で広げて、勇者姫様が言う。俺が素直にうつむくと、紐を頭巾に引っかけないように上手に浄化の左手お守りを首にかけてくれる。仮に結んでいた紐をほどいて、左手お守りの高さを調節する。

「このくらいで良いですか?」

 勇者姫様が左手お守りを合わせたのは、心臓のあたり、ちょうど握りやすい高さだ。

「はい」とうなずけば、紐をしっかり結び直して高さを固定してくれる。勇者姫様の紐の結び方には全然迷いがない。これがこの世界で浄化の左手お守りを身に着けるときの定番なんだろう。

 その結果、俺の胸には、ペンダントというよりもループタイに似た形で浄化の左手お守りが鎮座した。

「最初の数回は、直接握って浄化魔術を使って感触に慣れると良いですよ。試しに私の聖霊気で一度、発動してみましょう」

 俺が胸のお守りを左手で握ると、勇者姫様がその手に両手を重ねてくれる。俺の手を通して聖霊気が左手お守りに流れ込む。

 俺と勇者姫様を浄化するテグルオー効果のイメージを思い描きながら呪文を唱える。

「ユオーテ」

 きっちり、俺と勇者姫様、俺の持っている聖杖や着ている服も含めた全部が浄化される。

「できましたね。ユウキ様は魔術の飲み込みが早いです」

「ありがとうございます……」

 礼を言いながら顔を上げたら、間近に勇者姫様の顔があった。

 やっぱり、今夜の勇者姫様の表情には違和感があった。今まで、常に感じていたポジティブなエネルギーが足りない気がする。簡潔に言えば、元気がなさそうに見える。

「――姫様、やっぱり、疲れていませんか?」

 勇者姫様は、俺の言葉に綺麗な綺麗な笑顔を作って見せた。

「大丈夫、ユウキ様が聖杖に触れながら寝てくだされば、少しの疲れも一晩で吹っ飛びますよ」

 男装の麗人の綺麗な笑顔。

 とても女性的な、綺麗な笑顔。

 けれど、どこか一線を引いているような笑顔。

 よく考えてみれば、勇者姫様は素直に何かを楽しんでいたり、喜んでいたりする時には、この笑顔をしていなかった気がする。

 もしかして――

「――もしかして姫様、その顔で笑えば俺を誤魔化すことができるって、思っていませんか?」

 勇者姫様は一瞬目を見開いて、ぱっと半歩後ろに下がった。

 それから、再びあの笑顔を浮かべる。

「ユウキ様を誤魔化す必要など、私にはありませんよ」

 それは、隙のない綺麗な綺麗な笑顔だった。

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