第99話 金属鏡

 デザートに出されたのは、黒っぽい何かを黄味がかった色の生地で包んだ水餃子みたいなものだった。いつもの酸味のあるクリームが添えられている。

 ナイフで切ると、赤紫色の汁が出てきた。中には指先ほどの大きさの丸い果実。色合いと粒の形から見て、ブルーベリーだろう。

 口に運ぶと、案外しっかりとしたもちもちの生地とバターの塩気と、ジャムよりもみずみずしいけれどしっかり砂糖の甘さも感じる中身とが、まだ温かいまま口の中で交じり合う。こういう食感の甘いものは食べた記憶がないから、新鮮だ。酸味のあるクリームと合わせるとコクとさっぱりとした酸味とひんやり滑らかな食感が加わって、さらに美味しい。

 俺が初めて食べるタイプのデザートを楽しんでいる間に、宴席の話題はジェイドさんの誘導で南東や北の隣国や、そちらの国と領地を接する貴族の話になっていた。

 うん。地名も人名もわからないと、まったく理解できない話だ。

「『姫様』」と、俺の皿が空になったタイミングで、シトリが声をかけてきた。

「別室に、女性好みの軽い菓子を用意しております。よろしければ、そちらに席を移しませんか?」

 それから勇者に目を向けて、「『勇者様』もご一緒にいかがですか? 異世界からいらした『勇者様』には、この国の貴族事情は退屈でございましょう?」と誘ってくれる。

「助かります。全然話が分からなくて、ちょっと退屈してたんです」と「勇者」が言うのを確かめてから、俺もうなずいた。



 別室には、何人かの女性とふたりの子供がメイドたちと控えていた。

 子供のひとりは、小学校高学年くらいに見える女の子。もうひとりはアレヴァルト辺境伯エマツォーク本人だ。

「ああ、堅苦しいのは嫌いなのよ。頭を上げて、楽にして」

 スカートを摘まみ上げ頭を下げる女性陣と最敬礼するメイドたちと、貴族らしく礼をするエマツォークが待つ部屋に入ったところで、優しげだけれど気取らない感じを意識して、俺は言った。

 続けて俺の後について入って来た勇者姫様が「お邪魔します」と言えば、ぱっと顔を上げたエマツォークが「勇者様だ!」と目を輝かせた。

「これ。失礼ですよ、エマツォーク」と慌てる一番年上らしい女性に、「構いませんよ。『姫様』も楽にとおっしゃったでしょう?」と「勇者」は明るく言った。

 大勢が集まってもいいようにか、四人掛けの円形テーブルセットがふたつとソファーセットが置かれた「女だけの一席」に揃っていたのは、この館に住む女性と子供。

 エマツォークを嗜めた先代アレヴァルト辺境伯の正妻・ナナーム、六女ナレダと七女アウラ、ふたりの母である元・二人目の第二夫人ボーヌ、13歳の八女のモナとその母である元・三人目の第二夫人ニルタ、そして、エマツォーク。

 エマツォークの実母である四人目の第二夫人は、産後の肥立ちが悪くそのまま亡くなったのだと、ここに来るまでの馬車の中で聞いている。

 一人目の第二夫人は、自身の産んだ四女の嫁ぎ先に引き取られ、孫娘の教育をしながら幸せにやっているらしい。

 それぞれのテーブルに置かれた菓子を摘まみながら、女性たちが笑いさざめく。

 軽くてガリザクッとしていて、口の中に入れて噛むとじゅわっと唾液を吸って甘く溶けていくメレンゲ。三日月形に型抜きされて焼かれたサクサク軽いパイ。蝋引きの紙に包まれたキャラメル。カラフルな糖衣掛けのナッツと飴。

 スパイスを入れて温められた赤ワインと、新鮮なブドウを絞ったジュースと、聖泉石の水。

「こんなに間近で勇者様のお姿を拝見することができるとは、思っておりませんでしたわ」

「本当に」

「剣と杖の神に感謝いたしましょう」

 正妻と2人の元・第二夫人が、同じテーブルでにこにこと笑い合っている。

 その関係で、本当に仲が良さそうなのが、常識が違うんだなあという感じだ。

 彼女たちの視線の先では、エマツォークとモナがソファーに座る勇者姫様の両隣に座って使徒討伐話をねだっている。

「第三使徒は人をも飲み込むほどの大蛇なのでしょう? 勇者様は怖くなかったのですか?」

 エマツォークが興味津々というようすで聞いてくる。

「オレには聖剣を通じて姫巫女様の力が与えられますからね。まったく怖くなかったですよ」

 にこにこと勇者姫様が言う。

「勇者様は、優しい方なのですね。宴席では、その……食事の召し上がり方にびっくりしてしまいましたけれど」

 4人掛けの円卓に俺と一緒に座ったナレダが言い、アウラがうなずく。

「『勇者様』は、異世界からの来訪者様、私たちとは行儀作法が違うのよ」

 俺は「気さくなリアナ姫」を演じながら続けた。

「せっかくの美味しい料理だもの。『勇者様』にはくつろいで楽しんでもらいたいでしょう? だから、『宴席ではこちらの行儀作法は気にせず召し上がってください』とお願いしているのよ」

「まあ、姫様。それは素晴らしいお心遣いだと思いますわ。慣れぬ作法に緊張しながら食べるのでは、味を楽しむ余裕もないですもの。ねえ、アウラ?」

 ナレダが言えば、アウラは頬を染めうつむいた。

「ナレダお姉さまの意地悪……」

「あら、初めての大人の席では、緊張してひと口も料理を食べられなかったナレダが、人のことのを言えるのかしら?」

 うつむくアウラの肩に手を置いたのは、皆を紹介した後で席を外していたシトリだ。

「ですから私は、『その気持ちが私にもわかる、アウラにもわかるでしょう?』という意味で言ったのですよ」

 少し不満そうに言うナレダを「まあ、そうだったのね」と笑顔で流して、シトリは俺の隣の席に座った。

「アウラは先日成人したばかりで、この宴席が初めての大人の席だったのです。多少の不作法は、どうぞ許してやってくださいませ、『姫様』」

「言ったでしょう? 堅苦しいのは嫌いなのよ。アウラも、肩の力を抜いて気楽にやりましょう」

 俺が言えば、アウラが顔を上げてこちらを見る。にっこり微笑んでやれば、アウラはぎこちなく笑みを返し、ほっとしたように息をついた。

 そんな年の離れた妹の様子に微笑んでから、シトリは「『姫様』」と俺を振り向いた。

「依頼されておりました金属鏡ですが、こちらでいかがでしょうか?」

 そう言って差し出したのは、手の平より小さいくらいの丸い木の円盤。端の方にハトメのような金属のパーツがはめられた穴があけられていて、長めの革紐が通されている。首に掛けられる長さだ。表面には、焼き印で描かれたシンプルな六弁の花。

「こうすれば開くようになっております」とシトリは花が描かれた表面のパーツを、ハトメ穴を軸に回転させるようにスライドさせた。下から出てきたのは、同じ大きさの木の枠にはめられた、ピカピカの金属鏡。覗き込めば、しっかりと俺の顔が映ってる。

「直接触れないので曇りにくいものです。首にかけることも、紐を外して持ち歩くこともできます。いかがでしょう?」

「シトリお姉様。姫様にお渡しするのなら、意匠が美しくて大きいものがよろしいのではなくて?」

 ナレダが小首を傾げ、アウラも同意するように小さくうなずく。

「いいえ、これがいいわ」

 俺は蓋を閉じた金属鏡を、フィンガーレスグローブをした両手で胸元に押し当て言った。女性にしては大き目な爪を隠しながら、優美なレースを見せて視線をそこに集める。脇を締め、仕草とシルエットで女性らしさを表現することを意識しながら、俺は言葉を続けた。

「軽くて、かさばらなくて、旅の供に丁度良い。私の状況に合わせた見事な選択よ、シトリ」

「『姫様』にご満足いただけたようで、嬉しいですわ」

 シトリが自分こそ満足そうにそう笑ったときだ。

「聖剣を見せてくれるの?!」

 モナのひときわ嬉しそうな声が、部屋の中に響いた。

 そちらに目をやれば、勇者姫様がモナとエマツォークに挟まれにこにこ笑っていた。

「良いですよ。でも、条件があります」

 勇者姫様は顔の前で人差し指を立てて言った。

「今、聖剣には鞘がありません。聖剣を取り出すと、抜き身になってしまいます。大変切れ味が良いので、とても危険です。わかりますか?」

「私もエンツォと一緒に剣術を習っているの。剣が危険なことくらい、わかってるわ」

 モナがうなずく。

「では、ふたつの条件を守ってください。

 ひとつ、オレが『近寄っても良い』と言うまで椅子から立ち上がらない。

 ふたつ、『近寄っても良い』と言われたら走らずに、剣を持っていない左手の方から近づく。

 エマツォーク殿も、いいですか?」

 モナとエマツォークの返事を確かめてから、勇者姫様は立ち上がった。

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