第97話 若き辺境伯

 国境の砦は、緑の山が連なる山脈を少し登った先の開けた場所に、街道を塞ぐように建てられていた。

 砦の塔が見えてきたところで、黒鉄の馬が引く馬車の御者台に、勇者姫様、俺、シトリが並んで座り、ジェイドさんが物理防御結界と一方通行の音の結界の魔術を御者台を含めた範囲に掛け直す。

「勇者様と姫巫女様と同じ席に座る栄誉を与えてくださり、ありがとうございます」とシトリが言う。

「ここまでの完璧な手配に対する褒美です。少しは、シトリの助けになるでしょう?」

「助け?」

 勇者姫の言葉に思った疑問を口にすれば、シトリは苦笑した。

「女領主代行の私が気に入らなくて、私の失敗を喜ぶ輩は大勢おります。私が失礼なく勇者様御一行をもてなすことができ、信頼を得ていると周りに示すことは、私の領地経営や駐屯騎士団との力関係に有利に働くのです。とても助かりますわ。姫様の配慮に、心から感謝いたします」

「私達の秘密を守ってもらうのですから、このくらいのことはいくらでもします。さて、そろそろ音の結界を解きましょう。ここからは、私は勇者、ユウキ様は姫巫女様ということで頼みますよ、シトリ」

 綺麗に笑って勇者姫様が言う。

 ん?

 なんか、少し違和感を覚える。

 勇者姫様の笑顔の印象がいつもと違うというか――あれ? 勇者姫様って、シトリに対してこういう笑顔をしたっけ?

 考え込んだ俺の耳に、涼やかな音の結界が解除される音が届いた。

 おっと。ここからは言葉に注意だ。

 まあ、基本的には、黙ってにこにこしていればいいんだけど。

 砦が近づいてくると、街道の両側に二階建ての建物が増えてきた。

「勇者様がいらしたわよーっ!」

 誰かの声とともに、二階の窓の鎧戸が次々と開き、中から沢山の人が顔を出す。

「勇者様ー!」「あら、結構若いのね」「使徒をやっつけてくださいねー!」

 窓から顔を出しているのは、女性が多い。なんか色っぽい人が多いな。

「坊やー! いつもの『料理』や、お館の『料理』に飽きたら、遊びにいらっしゃい!」

 誰かが言えば、きゃはははは、と大勢の女の人たちが笑った。

 んー。なんか、馬鹿にしてるとか、からかってるとか、そういうニュアンスの笑い声だなあ。

「お許しください、『勇者様』。この辺りは、領主兵団やここを通り抜ける商隊目当ての『酒場』が多くて――酌婦が多いのです」

 ホステスが多いってことか。

「承知してます」と小さい声でシトリに言ってから、勇者姫様は顔を上げた。

「すみませーん! 料理に飽きるほど長く滞在できないと思いますー!」

 大きな声で、勇者姫様は言った。女の人たちの笑いが止まる。

「でも、すぐに使徒を倒しますからー! ここを毎日沢山の人が通れるようにしますから! 待っててくださいねー!」

 一瞬の間の後で、笑い声が上がる。さっきとは違う明るい笑い声。

「期待してるよー!」「可愛いー!」「絶対、勝ってねー!」「ガンバレー!」

 左右の建物の二階から声をかける彼女たちに、勇者姫様は笑顔で手を振った。

 その笑顔はいつもの「勇者」が人々に向ける笑顔だった。



「ようこそアレヴァルトの砦においでくださいました、勇者様、リアナ姫様、神官長様。エマツォーク・ブロス・アレヴァルトにございます」

 そう言って右足を引き、胸に左手を当て、右手を横に開いてお辞儀をしたのは、シトリと同じ金髪に青い目の男の子だった。

「私は若輩者でございますが、領主代行の姉・シトリが館のこと、砦のこと、使徒のこと、全て取り仕切っております。何なりと姉にお申し付けください。田舎ゆえ十分なおもてなしもできませぬが、使徒討伐が成るまでお気兼ねなくご滞在くださいませ」

 10歳だそうだけれど、ぱっと見は小学校低学年くらいに見える。それでいて、姿勢よくすらすらと口上を述べるから、めちゃくちゃしっかりした子供に見える。

 ネイアもそうだったけれど、この世界の子供は日本の子供よりも精神年齢が高そうだ。

「これは、アレヴァルト辺境伯、頭をお上げください。ご丁寧なあいさつ痛み入りますぞ」

 対応したのは神官長であるジェイドさん。気のせいか、眼差しと口調が柔らかい。

「ネイアーレヴからここに至るまで、姉君には大層お気遣いいただきました。『勇者様』も『リアナ姫様』も満足しておられます。引き続き、世話になります。よろしく頼みますぞ」

「誠心誠意、お世話させていただきます」

 もう一度頭を下げてから、幼いアレヴァルト伯はゆっくり頭を上げ、脇で控えていたシトリを振り向いた。シトリが笑顔で小さくうなずくと、乳歯の犬歯が抜けた穴がちらりと見える子供らしい表情で笑った。



 宿泊場所として来客用に用意しているという館の離れを提供され、俺とジェイドさんはひとまずそこに落ち着いた。

 王都を出発して最初に泊った姫様の別荘に似た建物で、一階にリビングや食堂、二階に4室の寝室が設えられている。メイドたちが食事を運び込む都合で、結界の範囲は二階全体にしようということになった。

 俺が割り当てられたのは一番大きな寝室で、二人掛けのテーブルセットと白い羽根ペンが立てられたインク壺と紙の束が置かれた書き物机、天蓋付きのベッドがひとつある。

 トイレは一階にひとつ、寝室のある二階にもひとつ。使用人スペースにもあるそうだが、そちらは俺たちには関係ない。

 人払いをしているからトイレ番メイドが座っているはずの椅子に誰も座っていないけれど、浄化の魔術を使えるようになった俺にもう恐れる物はなかった。厠の結界は使えないけど、まあ、そこは勘弁してもらうということで。

 ああ、でも、そろそろ、ポーチからいちいち浄化の左手お守りを選んで出すのが面倒くさくなってきたな。ぱっと使えるようにできないか、後で勇者姫様に相談してみよう。

 勇者姫様は、使徒との初戦に使う馬車を確かめに行った。ついでに、黒鉄の馬が想定通りに動くかを確認して来るとも言っていた。

 多分、歓迎会までは自由時間だろう。少し体を休めておこう。

 俺は、靴と聖杖も含め丸ごと全身を浄化してから、聖杖を抱えながらベッドに横になった。



 ――違った。

 ――違った。

 ――彼女は私と違った。

 誰かの声が聞こえる。

 ――がっかりするな。

 ――私が勝手に期待しただけだ。

 ――彼女は何も悪くない。

 自分に言い聞かせるような声。

 何を言っているのかは、わからない。

 ――彼女は違った。

 ――私とは違った。

 ――ああ、やっぱり、私と同じ者などいないのか。

 ――誰もいないのか。

 ――私はひとりなのか。

 とても、悲しそうに聞こえる声。

 胸が苦しくなるような声。

 ――覚悟してたじゃないか。

 ――がっかりするな。

 ――私はひとりなのだ。

 ――私は誰にも理解してもらえないのだ。

 ――わかってたはずじゃないか。

 わかってたって言ってるけど。

 覚悟してたって言ってるけど。

 なら、なんでそんなに悲しそうなんだよ?

 ――私はひとりだ。

 ――ひとりだ。

 ――何も変わってない。

 ――最初から、そうだったのだ。

 ――何も変わってない。

 ――だから、するべきことも変わらないのだ。

 泣きそうにも聞こえる声。

 けれど、懸命に前向きになろうとしているのが感じられて。

 ――私はひとりだけれど。

 ――私と同じ者はいないけれど。

 ――それでも、するべきことは変わらない。

 ――だから私はするべきことをするのだ。

 凄いな。

 こんなに悲し気持ちでいっぱいの声なのに。

 聞いてる俺が泣きたくなるくらいの声なのに。

 声の主は前を向いている。

 立ち上がって、前に進もうとしている。

 ――たとえ、私がひとりきりだろうと。

 ――私はするべきことをするのだ。

 この人がどういう人なのかはわからないけど。

 この人が、本当に、ひとりきりなのかは俺にはわからないけど。

 ――たとえ、私と同じ者が他にひとりもいなくとも。

 ――果たすべき役目を果たすのだ……

 この人の悲しい気持ちが、少しでも慰められたらいいな。

 悲しい気持ちを抱えたまま前に進もうとするこの人が、少しでも報われるといいな――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る