第96話 シトリ・ナノ・アレヴァルト

 最後の宿場で昼食を取り、黒鉄の馬の引く馬車に5人で乗り込み、御者が操るシトリの馬車が先導するのについて街道を進む。

 今日の昼食は、緑色で酸味のある葉物野菜ロアデを刻んだものがたっぷり入れられた白いスープと、ブドウの葉に包んでから卵白と塩を混ぜたもので全体を包んでパン焼き窯でじっくり焼いたという豚肉と、貴族の食卓に定番の丸い白パンと、あの黄色いメロンだった。美味しかったけれど、少しボリューム控えめだった。

「日暮れ前には砦に着きます。砦では館の料理人が勇者様御一行を歓迎する料理をたっぷり用意してお待ちしておりますから、覚悟してくださいませね」

 ゴトゴト馬車に揺られながら、シトリが笑う。

「それは楽しみですね」と生き生きした目で勇者姫様が言う。

「町から砦までの間で、こんなにも美味しい食事を食べられるとは思っていませんでした。硬いライ麦パンの食事に戻るのが怖いです」

 俺が言えば皆が笑った。スフェンでさえ口元をゆがめて笑いをこらえている。皆、旅の間の硬いパンに辟易した経験があるんだろう。

「しかし、見事な領地経営ですな。街道沿いに冬場の半日に人の足で移動できる距離毎に宿場を整備し、領主の雇った兵を配置し、多くのよく訓練された馬も用意している。旅に便利でありながら、しっかり、野盗の類にも備えている」

「ああ。どの宿場にも赤いスカーフの男達がいましたし、宿場毎に馬車の馬も交換していましたね。ひとつの宿場に10頭ほど用意しているのですか? あれだけの訓練済みの馬を備えておくのは、なかなか大変でしょうに」

「ひとつの宿場に2人の兵を常駐させております。馬は、騎士団から預かったものを含めて8頭。国境の砦に隣国からの侵入があった場合、いざというときには援軍を出し合い助け合う協定を結んでいる北のバレッティア伯の館まで馬を交換しながら最速で駆け、丸一日で援軍を要請できる体制です。もちろん、バレッティア領に何かがあった場合にも、丸一日で国境の砦の領主の館に知らせが届きます」

「私がアレヴァルトの砦を守っていた頃にはなかった仕組みですな」

「『鉄壁のジェイドの三夜守護結界』の話は、アレヴァルトの子供の寝かしつけ話の定番ですよ」

 シトリの言葉に、「光栄ですな」と笑ってから、ジェイドさんは話を続けた。

「バレッティアとの協定は、シトリ殿が考えられたのですか?」

「原案は父のもの、下準備のバレッティア伯との交渉も父がしたことです。私はただ、父の指示を実行し、父亡きあとに仕上げをしただけですわ」

「そうだとて、先代辺境伯が亡くなられた時点で協定を反故にされなかったのは、シトリ殿への信頼あってのことでしょうな。これだけの宿場を整備するのも並みのことではありませぬ。いや、シトリ殿が男であったなら、これ以上の跡継ぎも無かったろうと噂されるのも納得いたしますぞ」

 ふふふ、とシトリは笑う。

「面白いですわね。皆さんにはよくそう言われます。私は男になりたいなどと、一度も思ったことはないのに」

「え?」

 小さく声を上げて、顔を上げたのは勇者姫様だった。

「男になりたいと、思ったことがないのですか?」

「はい。男だったらもっと楽だったかもと思ったり、女だから父の後を継げないのは悔しいと思ったりはしましたが、それは男になりたいというのとは違いますでしょう?」

「確かにそうですが……自分は何故女の体で生まれたのだろうかと、思ったこともないのですか?」

 シトリはしばし勇者姫様を見つめてから目を伏せ、何故か「すみません」と言った。

「私は、そう思ったことはありませんわ」

 それから毅然と頭を上げ、胸を張る。

「アレヴァルトの女領主などと呼ばれてはいますが、私を気に入らない殿方には散々なことを言われているのが私です。『男勝りの行き遅れ』『あれでは嫁の貰い手がないのも当然だ』などという言葉はまだ可愛いものです。聞くに堪えない罵声を浴びせられることも、若い貴族女性であれば聞くだけで卒倒しそうな言葉で侮辱されることもあります。

 試合で負けたことを根に持って、女としての辱めを与えようと徒党を組んで襲ってきた者たちを返り討ちにしたことも二度や三度では済みません。

 その度に思うのです。

 私はただ、女らしいとされることが嫌いで苦手であるだけなのに、男がするとされることが好きで得意であるだけなのに。それだけなのに、何故こんなにも何度も『お前など女ではない』と言われ続けなければいけないのかと。

 女らしくなくとも、男よりも強くとも、私は女なのにと。

『お前のような女は好みではないから俺は相手にしない』と言われるのは構いません。実際、行き遅れてしまったことも仕方ないと思っています。先様もより良い条件の娘を選びたいでしょうからね。

 ですが、試合で負かした騎士に『お前など女ではない』『男女』『女のなりそこない』『イチモツがついていないか確かめてやるから股を開いて見せろ』と言われれば、何故貴様よりも強いだけでそこまで言われなければならないのかと怒りを覚えるのです。

 私は女です。

 髪が短くとも、どれほど年を取ろうとも、結婚できなくとも、我が子をもうける機会に恵まれなくとも、どれほど女らしくなくとも、私は女です。

 男になりたいと思ったことは、一度もございませんわ」

 シトリは短い髪で、まっすぐ前を向いてそう言い切った。


 この男尊女卑の世界の中で、女でありながら、男のように剣を取り、騎士や兵士という男達と共に使徒と戦い、父親という後ろ盾を失ってなお領民の上に立って領地経営をする。

 それがどれだけ大変なことであるか、本当の意味では俺にはわからないだろう。

 けれど、「男らしくなければ男として認められない」という重圧は、日本で普通に暮らしていた俺にも確かにあった。

 子供の頃、「男らしくなくても、ボクは男だ」と言い切って、好きなものを好きだと押し通すことは、俺にはできなかった。

 女と男の違いはあるけれど、シトリはそれをしてきたんだ。

 現代日本以上に、男らしさ女らしさを強制する力が強いだろう、この世界で。

 おそらく、まわりの誰にもそれを望まれていないと感じながら。


「シトリさんは、心が強くて、かっこいい、自立した女性だと思います」

 少しでも、そんなシトリを肯定したくて、俺は言った。

「俺の叔母みたいです」

 シトリが俺に笑顔を向ける。

「40歳を前にして独り身で、誰に養われるでもなく、自ら働いているという姫巫女様の叔母上様にですか?」

「はい。凛として美しいところも似ています」

 そううなずけば、シトリは「まあ」と目を丸くして、「お上手ですわね」と笑った。

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